私は哄笑(こうしょう)を抑えることが出来なかった。
愚劣な作戦の犠牲となって、一方的な米軍の砲火の前を、虫けらのように逃げ惑う
同胞の姿が、私にはこの上なく滑稽(こっけい)に映った。彼らは殺される瞬間にも、
誰が自分の殺人者であるかを知らないのである。
私に彼等と何のかかわりがあろう。
私はなおも笑いながら、眼の下に散らばった傷兵に背を向けて、径を上り出した。
「天皇陛下様。大日本帝国様」
と彼はぼろのように山蛭をぶら下げた顔を振りながら、叩頭(こうとう)した。
「帰りたい。帰らせてくれ。戦争をよしてくれ。俺は仏だ。
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)。なんまいだぶ。合掌」
しかし死の前にどうかすると病人に訪れることのある、あの意識の鮮明な瞬間、
彼は警官のような澄んだ眼で、私を見凝(みつ)めていった。
「何だお前まだいたのかい。可哀(かわい)そうに。俺(おれ)が死んだら、
ここを食べてもいいよ」彼はのろのろと痩(や)せた左手を挙げ、右手で
その上膊部(じょうはくぶ)を叩(たた)いた。
私がその腕から手を放すと、蠅が盛り上った。皮膚の映像の消失は、
私を安堵(あんど)させた。
そして私はその屍体の傍(そば)を離れることは出来なかった。
雨が来ると、山蛭(やまひる)が水に乗って来て、蠅と場所を争った。
虫はみるみる肥(ふと)って、屍体の閉じた眼の上辺から、睫毛(まつげ)のように、
垂れ下がった。私は私の獲物を、その環形動物は貪(むさぼ)り尽すのを、
無為に見守ってはいなかった。もぎ離し、ふくらんだ体腔(たいこう)を
押し潰(つぶ)して、中に充(み)ちた血をすすった。
私は自分で手を下すのを怖れながら、他の生物の体を経由すれば、人間の血を
摂(と)るのに、罪も感じない自分を変に思った。
この際蛭は純然たる道具にすぎない。他の道具、つまり剣を用いて、この肉を裂き、
血をすするのと、原則として何の区別もないわけである。
この物体は「食べてもいいよ」といった魂とは、別のものである。
私はまず屍体を蔽った蛭を除けることから初めた。上膊部の緑色の皮膚
(この時、私が彼に「許された」部分から始めたところに、私の感傷の名残を認める)が、
二、三寸露出した。私は右手で剣を抜いた。
その時変なことが起った。剣を持った私の右の手首を、左の手が握ったのである。
この奇妙な運動は、以来私の左手の習慣と化している。
私が食べてはいけないものを食べたいと思うと、その食物が目の前に出される前から、
私の左手は自然に動いて、私の匙(さじ)を持つ方の手、つまり右手の手首を、
上から握るのである。私が行っては行けないところへ行こうと思う。
私の左手は、幼時から第一歩を踏み出す習慣になって
いる足、つまり右足の足首を握る。そしてその不安定な姿勢は、私がその間違った
意志を持つのを止(や)めたと、納得するまで続くのである。
万物が私を見ていた。丘々は野の末に、胸から上だけ出し、見守っていた。
樹々(きぎ)は様々な媚態(びたい)を凝らして、私の視線を捕えようとしていた。
雨滴を荷(にな)った草も、或(ある)いは私を迎えるように頭をもたげ、
或いは向うむきに倒れ伏して、顔だけ振り向いていた。
私は彼等に見られているのがうれしかった。
「あたし、食べてもいいわよ」と突然その花がいった。私は飢えを意識した。
その時再び私の右手と左手が別々に動いた。手だけでなく、右半身と左半身の全体が、
別もののように感じられた。飢えているのは、たしかに私の右手を含む右半身であった。
私の左半身は理解した。私はこれまで反省なく、草や木や動物を食べていたが、
それ等な実は、死んだ人間よりも、食べてはいけなかったのである。
生きているからである。
この垂れ下った神の中に、私は含まれ得なかった。その巨大な体躯(たいく)と
大地の間で、私の体は軋(きし)んだ。
私は祈ろうとしたが、祈りは口を突いて出なかった。私の体が二つの半身に別れて
いたからである。私の身が変わらなければならなかった。 3につづく
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(画像はお借りしました)
愚劣な作戦の犠牲となって、一方的な米軍の砲火の前を、虫けらのように逃げ惑う
同胞の姿が、私にはこの上なく滑稽(こっけい)に映った。彼らは殺される瞬間にも、
誰が自分の殺人者であるかを知らないのである。
私に彼等と何のかかわりがあろう。
私はなおも笑いながら、眼の下に散らばった傷兵に背を向けて、径を上り出した。
「天皇陛下様。大日本帝国様」
と彼はぼろのように山蛭をぶら下げた顔を振りながら、叩頭(こうとう)した。
「帰りたい。帰らせてくれ。戦争をよしてくれ。俺は仏だ。
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)。なんまいだぶ。合掌」
しかし死の前にどうかすると病人に訪れることのある、あの意識の鮮明な瞬間、
彼は警官のような澄んだ眼で、私を見凝(みつ)めていった。
「何だお前まだいたのかい。可哀(かわい)そうに。俺(おれ)が死んだら、
ここを食べてもいいよ」彼はのろのろと痩(や)せた左手を挙げ、右手で
その上膊部(じょうはくぶ)を叩(たた)いた。
私がその腕から手を放すと、蠅が盛り上った。皮膚の映像の消失は、
私を安堵(あんど)させた。
そして私はその屍体の傍(そば)を離れることは出来なかった。
雨が来ると、山蛭(やまひる)が水に乗って来て、蠅と場所を争った。
虫はみるみる肥(ふと)って、屍体の閉じた眼の上辺から、睫毛(まつげ)のように、
垂れ下がった。私は私の獲物を、その環形動物は貪(むさぼ)り尽すのを、
無為に見守ってはいなかった。もぎ離し、ふくらんだ体腔(たいこう)を
押し潰(つぶ)して、中に充(み)ちた血をすすった。
私は自分で手を下すのを怖れながら、他の生物の体を経由すれば、人間の血を
摂(と)るのに、罪も感じない自分を変に思った。
この際蛭は純然たる道具にすぎない。他の道具、つまり剣を用いて、この肉を裂き、
血をすするのと、原則として何の区別もないわけである。
この物体は「食べてもいいよ」といった魂とは、別のものである。
私はまず屍体を蔽った蛭を除けることから初めた。上膊部の緑色の皮膚
(この時、私が彼に「許された」部分から始めたところに、私の感傷の名残を認める)が、
二、三寸露出した。私は右手で剣を抜いた。
その時変なことが起った。剣を持った私の右の手首を、左の手が握ったのである。
この奇妙な運動は、以来私の左手の習慣と化している。
私が食べてはいけないものを食べたいと思うと、その食物が目の前に出される前から、
私の左手は自然に動いて、私の匙(さじ)を持つ方の手、つまり右手の手首を、
上から握るのである。私が行っては行けないところへ行こうと思う。
私の左手は、幼時から第一歩を踏み出す習慣になって
いる足、つまり右足の足首を握る。そしてその不安定な姿勢は、私がその間違った
意志を持つのを止(や)めたと、納得するまで続くのである。
万物が私を見ていた。丘々は野の末に、胸から上だけ出し、見守っていた。
樹々(きぎ)は様々な媚態(びたい)を凝らして、私の視線を捕えようとしていた。
雨滴を荷(にな)った草も、或(ある)いは私を迎えるように頭をもたげ、
或いは向うむきに倒れ伏して、顔だけ振り向いていた。
私は彼等に見られているのがうれしかった。
「あたし、食べてもいいわよ」と突然その花がいった。私は飢えを意識した。
その時再び私の右手と左手が別々に動いた。手だけでなく、右半身と左半身の全体が、
別もののように感じられた。飢えているのは、たしかに私の右手を含む右半身であった。
私の左半身は理解した。私はこれまで反省なく、草や木や動物を食べていたが、
それ等な実は、死んだ人間よりも、食べてはいけなかったのである。
生きているからである。
この垂れ下った神の中に、私は含まれ得なかった。その巨大な体躯(たいく)と
大地の間で、私の体は軋(きし)んだ。
私は祈ろうとしたが、祈りは口を突いて出なかった。私の体が二つの半身に別れて
いたからである。私の身が変わらなければならなかった。 3につづく
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(画像はお借りしました)