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ギャラリー閉店、そして新年




主宰していたギャラリーを昨年いっぱいで閉めた。17年間のギャラリー活動だったが、ギャラリー上棟時の「せんぐまき(餅まき)」のことがついこの前のようだ。月日が過ぎるのは早いということか。ほとんど地域活性を兼ねたボランティア感覚の運営だったので、金銭的利益はほとんどなかったが、世間的にはうらやましがられていたようだ。表面的には楽そうで良さそうに見えていたのかもしれない。金銭的には無理があったが、人や作品との出会いは財産として残った。得たものは多い。
ということで、正月を過ぎても後片付けに追われる毎日だ。片付けても片付けても、後から後からゴミと不要品が顔を出す。私の所だけでこの始末だから、人類全体ではどうなることか。産業革命以降の人類のエネルギー消費は右肩上がりだ。中でも最近は、エネルギー消費もゴミも急カーブで上昇している。このままでは、近いうちに人類はゴミに埋もれて死ぬということか。

年明けは例年のごとく地区にある神社での新年祭から始まった。まだ夜も明けぬ内から神社へと急いだ。家並み越しに時々見える東の空は、全く雲がなくかつてない美しさ。若い夫婦の足音を後ろに聞きながら鳥居をくぐると、たき火のまわりは既に地区の人がいっぱい。たき火の材料は、昨年の台風で落ちた枝木や、境内周囲の梅の剪定枝木がたくさんで、材料に困ることはない。
それぞれに新年のあいさつの後、皆たき火から拝殿へ移動。神職は、親の後を引き継ぎ、今年で2回目の新年祭。そのためか仕草も祝詞も先代とは違うように感じる。時折裾踏む仕草は練れぬためだったのだろうが、それもまた良しだ。その後の地区役員の拝礼も新人が数人。慣れぬ手付きでパチパチ。どうにか拝礼が終わり、祭典無事終了。
祭典が終わると、皆が目指すのはたき火のまわりだ。そこで炙ったシシャモやイカを片手に、お酒を回しながらしばし談笑。いつもは焼酎ばかりなのに、この日だけは日本酒が振る舞われた。それも金粉が入ったものだ。そうこうしているうちに、太陽は地平線からすっかり顔を出し、みんなの顔をぴかぴかに照らし出していた。こうして、例年にも増して素晴らしい初日の中で新しい年を迎えた。良き年でありたい。
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