I Love Nature

自然の中で見つけたステキなモノ

万寿山 聖福寺(長崎県長崎市)

2010年09月29日 | 旅のお話
様々な国の文化が混在する長崎市には、崇福寺(そうふくじ)興福寺(こうふくじ)福済寺(ふくさいじ)聖福寺(しょうふくじ)という4つの唐寺があります。これら4つの唐寺は、隠元禅師が開いた黄檗宗(おうばくしゅう)の仏教寺院で、『長崎四福寺』と呼ばれているのですが、そのうちの1つ、隠元の弟子である鉄心同胖(てっしんどうはん)が開山となった聖福寺が、現在倒壊の危機にあるということで、上海生まれで中国に関心の高い義父と一緒にその様子を見に行ってきました

 
こちらが聖福寺の入り口。長崎県の有形文化財に指定されている立派な門は、唐寺というよりむしろ日本のお寺そのものです。
 
 
この門は山門と呼ばれ、1703年(元禄16年)に建立されたもの。なんと300年以上も前の代物です
 
 
山門をくぐった先にあるこちらの建物は借寺亭(しゃくじてい)といって、寺内の不用文書を焼却するための炉なんですって。 れんが造りで漆喰塗りの六角形の建物で、1866年(慶応2年)に中国人信徒によって築造されたものなのだそうです。こちらは市の有形文化財に指定されています。

 
さらに階段を上ると、天王殿という門が見えてきました。こちらは1705年(宝永2年)に建てられたもので、山門と同様に県の有形文化財に指定されています。 

 
 
天王殿をくぐると、目の前に本殿が現れました こちらは1678年(延宝6年)に建立された大雄宝殿。一見すると山門と同じように日本の寺院のように見えます。というのも、聖福寺の開山である鉄心が修行していた宇治・万福寺にならい、伽藍(がらん)様式で朱色塗りを極力さけたため、このようにより和に近い建築になったのだとか。なるほどね~

 
しかし大雄殿に近づいてみると、やはり中国の仏教寺院の様相を漂わせています。が
 
 
さらによくよく見ると、朱塗りの欄干は色が剥げ落ち、木は腐れかけてもうボロボロ



独特の趣がある欄干の彫刻も色が落ちてしまっています

さらに土塀は崩れ、倒壊寸前!!



こちらは手水鉢かな?さすがに石でできたものは無事のようです

 
そんな倒壊寸前の聖福寺の境内で最も目を引くのは、大雄殿の横にあるこの瓦塀(かわらべい)。明治中期に築造され、聖福寺の末寺が廃寺となる際に廃材の屋根瓦の一部を積み重ねて作られたものだそうで、その姿は今も朽ちることなく健在です 映画『夏解(げげ)』ではロケ地となり、この瓦塀も登場したんですって



瓦塀の中に鬼の顔を発見 アップで見るとかなりの迫力ですが、どこかおどけた表情に見えるのは私だけでしょうか 瓦塀の中にはこの他にも様々な文様があり、私はすっかりこの瓦塀の魅力に取り憑かれてしまいました これは絶対に一見の価値ありです
 


幕末維新後、中国広東省出身の人たちが多く帰依したため、『広東寺』とも呼ばれている聖福寺。その後檀家の数は激減し、現在はわずかに40軒ほどなのだとか。文化財に指定されているため、県や市から多少の補助は出るものの、お寺自体がその維持費を捻出できない状況にあり、この歴史ある寺院が今倒壊の危機に直面しています。そこでこの度、郷土史家らが『大雄宝殿修復協力会』を発足し、修復のための募金を募ることになったとのこと その目標額は1億円。私もこの美しい文化財を守るべく、微力ながら協力したいと思っています。(詳しくはコチラ→毎日新聞記事

古く歴史あるものを大切に保存していくことで、それらは将来ますます価値を持つようになり、大切な財産となる。と私は思うのですが、この聖福寺を訪れてみて、実際には人知れず朽ち果てていく文化財が他にも数多く存在するかも知れないという不安を抱きました。最近はマンション等の乱立により、長崎市内にあるこのような素晴らしい建造物が真新しい建物の陰に隠れてしまっているような気もします。様々な文化が入り交じり、独特の文化を持つ長崎の町並みを保つためにも、もうこれ以上無計画な都市開発はやめてほしいと心から思うkero-keroなのでした
どうか近い将来、大雄宝殿の勇壮な姿が蘇りますように!

コメントを投稿