展望台から眺める白良ヶ浜(しららがはま)
ここは三井楽町にある万葉の里公園。先日ハマグリを採った浜はこの展望台から見える白良ヶ浜です。遠くから見ても真っ白の砂浜とマリンブルーの海がとてもきれいです。万葉とは「ことのは(=言葉)のつづり」のことで、ここ三井楽は万葉集には「美禰良久(みねらく)」、藤原道綱母が著した蜻蛉日記には「みみらく」として登場します。
公園内で見つけたシラン(紫蘭)の群生
三井楽町は遣唐使船最後の停泊地といわれています。遣唐使は先進的な唐の文化の摂取を大きな目的とし、留学生や学問僧などが630年から894年に渡り15回ほど(諸説あるのではっきりとはわかりません)中国の唐に派遣されました。初めは朝鮮半島の海岸線沿いを北上する北路がとられていましたが、新羅との国交が悪化した700年頃からは琉球列島沿いに南下する南島路がとられ、後には五島列島から出航する南路もとられたそうです。当時は航海技術も未熟だったため、時には遭難し、時には海賊船に襲われるなど、まさに命がけの航海でした。無事に帰って来られなかった人も少なくないのだそうです。
公園内で見つけた遣唐使船の模型
そんな厳しい状況の中、遣唐使として派遣されることを拒む人が出てきたことや、巨額な派遣資金が財政を圧迫したことなどを理由にし、第18次遣唐使に任命された菅原道真が894年に遣唐使の廃止を建言し、遣唐使制度はなくなります。しかし、現在の日本独自の文化の礎となったのは、遣唐使たちが命がけで持ち帰った大陸の文化に他なりません。 今はすっかり欧米の文化に染まりつつありますが、日本人は異文化を吸収し、そこから独自の文化を創り上げることが昔から得意だったのでしょうね。
この公園内にはアスレチックなどの遊具もあり、お子さん連れでも楽しめそうな場所となっています。展望台も他にもいくつかあるようでした。結構敷地が広いのでまた今度ゆっくり散策してみようと思います。 最後に蜻蛉日記より一首。
いづことか 音にのみ聞く みみらくの 島隠れにし 人をたづねむ
(訳:どこにあるんだろう、噂にしか聞かないみみらくの島は。亡くなった人に会いに行きたいものだ。 *みみらくの島とは福江島のこと)
どうやらみみらくの島に行けば亡くなった人に会えると思われていたようです。
福江島の北西部に位置する三井楽町。歴史が深く、ちょっとミステリアスな場所でもあるようです。学生時代は「白紙(894年)にもどそう遣唐使」なんて適当に年号だけを覚えていた私ですが、その理由がわかって納得しました。(今頃!?)
これからはもう少し真面目に日本史を勉強してみようと思います