(国指定重要文化財 眼鏡橋)
4月30日、久々に両親と一緒に長崎市内に買い物に行き、父のお気に入りの定食屋さんでランチを済ませた後、石橋好きの父の案内で、父が幼少時代を過ごした中島川周辺を散策してきました
まず最初に目に留まったのは、この「えごばた」と呼ばれる溝。長崎では古くから「溝より大きく川より小さい流れ」を「えご」と呼ぶそうで、このししとき川のえごは、水質を保つために流れの両脇と底には板石が張られ、水量が少ないときは流れの真ん中に水を集めるように工夫されているのだとか。ただ垂直に掘ってコンクリートで固めた溝とは訳が違うようです。
こちらは袋橋(ふくろばし)。眼鏡橋の次に古いとされている橋です。この一体の橋は昭和57年の長崎大水害の際にほとんど流失してしまいましたが、この橋は流失を免れたようです。
こちらは東新橋(ひがししんばし)。この橋はもともと1673年に中国人によって架けられたそうですが、水害で流失したため、昭和61年に再び架橋されたものなのだそうです。しかし、再建された橋のほとんどが昔の風格ある石橋の風情を留めておらず、この地で育った父は「もっと忠実に再現して欲しかった」と嘆いておりました 確かに、以前は様々な形の石が職人さんの手によって上手く積み重ねられていた石垣も、今や真四角の石を積み上げただけになってしまっています。長く残る物だからこそ、時間をかけて丁寧に復元してほしいかったなぁ
新しく架け替えられてしまった橋の傍らには、今もその遺構が残されていました。
東新橋(ひがししんばし)
古町橋(ふるまちばし)
編笠橋(あみがさばし)
大井出橋(おおいでばし)
中島川を上流の方へ向かっていくと、二手に分かれる場所があります。父によると、これを左手の方に進んでいくと、洪水の時にかろうじて残った桃渓橋(ももたにばし)というステキな橋があるというので、そこまで歩いてみることにしました。
と、「ももたふ橋」の文字を発見!これは確かに桃渓橋のようだけど、昔は呼び方が少し違っていたのかな?
そしてこちらが父のお気に入りの桃渓橋の姿です 他の新しい橋と比べると随分小さな橋ですが、その姿を見ていると、昔の長崎の情景が目の前に浮かんでくるようです。この橋は1679年に架けられ、当時河畔に桃の木がたくさん植えられていたことから、桃渓橋の名が付けられたのだとか。水害により半壊したものの、1985年にこのように元の形に復元されたのだそうです。全ての橋がこんな風に復元できていたらよかったのになぁ。歴史的建造物としても、観光資源としても、大変価値のあるものですから、これからも後世に残していきたいものですね