次女が入学予定の、地元の中学校で、4月から制服のデザインが新しくなります。
今までは、男子は学ラン、女子はセーラー服でしたが(私もそれで通学していました)、今度からブレザー制服になるのです。
なんでも、今話題のLGBTに配慮したものだとか。
そういうところ、ここの学校は取り入れるのが早いんですよね。
ですから、男女、どのデザインを着てもいいんだとか。
極端な話、男子がスカートでもいいそうです。
もちろん、女子がズボンでもよくて、クラスのSSちゃんは、ズボンにしたいと言っているとか。
でも、SSちゃん、普通に心も女の子なのです。
ですから、お母さんが、「逆に、あの子はそうなんだって、そういう目で見られたら嫌だよね」って言ってました。
あ、そういう見方も出来てしまうのかって、思いました。
今のところ、この学校で、心と身体が逆の性になっていることを悩んでいる子って、聞いたことがありません。
スカートを選ぶ男子はいないと思うのですが。
この、制服のデザインを新しくする議論にも、次女の学年は関わっていませんでした。
次女の学年から変わるわけなのに、中学校だけで議論して、あっけなく変えてしまったようなのです。
理想は、性別を超えて、どちらのデザインを着ても、誰からも普通に受け入れられることなのでしょうけれど、まだまだ奇異の目で見られる恐れがありますね。
今、その、難しい時代に差し掛かっているのでしょうね。
岸田首相の秘書官が、同性婚に関して、差別的なことを言って更迭されていましたが、この人も、本当のことを理解して言っていたのかどうか疑問に思います。
LGBTQとかに関して、私も含めて本当に正しい情報には触れていないように思います。
巷には、男性同士の恋愛を書いたボーイズラブの本が溢れていますが、あれはまったくのファンタジーで、現実はまったく違うと聞きます。
また、こう言っては何ですが、LGBTQの人たちの言うことばかりを肯定したとして、中に、変態が紛れていたらどうしますか。
男性に生まれてしまって、心が女性の人が、例えば銭湯で男性風呂に入るのを心苦しく思うのは気の毒な事だと思います。
かといって、女性風呂に来たら、それはそれでパニックになりますよね。
それでも、女性風呂に受け入れることが決まった場合、それを利用して、変態が紛れてこないとも限らないし。
どこで線引きするかです。
正しい情報をマスコミに求めても、あてにはならないでしょうし。
それに、差別と言われてしまうかもしれませんが、日本の家族制度が壊されていくのではないかと、危機感を覚えます。
問題の本質には、夫婦別姓の問題と同じものが潜んでいるように思うのです。
自由だとか、人権だとか、そういった言葉を盾にして、何か、日本人として大切なものを崩しにかかっているような気がするのです。
これは、感傷ではありません。
戦後、GHQが日本解体のプログラムを仕込みましたけど、それでもこうして日本が、日本人がバラバラにならなかったことの理由に、「家族」というものが日本を構成する最小の単位として、きちんとしていたからではないでしょうか。
LGBTQの問題は、よほどきちんと折り合いを付けないと、非常に危険だと思うのです。
次女は、制服で、普通にスカートを選んでいます。
理由は、「ズボンがダサかったから」だそうです(笑)