ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

I love きもの

2005-02-08 | 考えたこと
この畑のキャベツの外皮は紫色。
ほうれん草やネギに
品種がいろいろあるように
これもキャベツの品種の違いだろうか。
霜は一面に降りてくるのに。

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姉と私が
初めて着物を買ってもらったのは、
私が小学校の高学年の頃。
黒地にかすり模様が入った、
ウールのアンサンブルだった。
 
わずかな柄違いの おそろいの着物2着をもらい、
「あたし、こっち!」と好きなほうを選んだ。

身長はそのころ確か
姉と変わらないか 私の方が大きいくらいで、
同じサイズの既製品だったと思う。

まだまだ我が家は貧しかったけれど、
余裕が出始めた頃だったのだろう。



その後 母は 浪費癖の父に対抗すべく、
まとまったお金があるとすぐに
姉や私に 着物を誂えるようになった。

姉も私も着物が好きで、
正月には せがんで母に着せてもらった。

「着物着んなら、もちっと 早ぐおぎでもらわねえど。
 忙しんだがら。」
といいつつ、母も いそいそと 着せてくれる。
帯を結ぶ頃には、母は 汗だく。



そんな私たちを見て、
たったひとりの男である父は
面白くなさそうだったけれど、
着付けが終われば これもまた
毎年 姉と私を カメラに収めてくれた。

年数が経つと、色が変わってしまうカラー写真。
2代目のカメラだ。
高度成長の波が、いばらきのあの辺の農村まで
ようやく届いた頃だったんだなあ。



2004年の一月も末の頃、
慌しさも一区切りついて落ち着いた頃、
私は タンスの中を探検した。

母が詰めてくれた、糸で織られた、私の財産。
仕付け糸もそのままのもの、
見た記憶のないもの、
ぎっしりと詰まっている。

その中で 二十歳の頃の私が好きだった、
臙脂色の地の鬼ちりめんをひっぱり出した。

かなり赤い色なので、あわせるものは地味にして、
ドキドキしながら 自分で着てみる。

名古屋帯なのに、うまく結べない。
術側の腕が 背中の側だと
上がりづらいのと、力が入りづらいのと。

それより、着付け方を 忘れている。
高校生の頃は 結構自分で着られたのに。

泣きたい気持ちであきらめて、
半幅帯でごまかす。



娘に「着物、着ない?」と聞くと、
「いいよ」との返事。

あのウールのアンサンブルの次に作ってもらった、
小紋を二枚見せると、
赤っぽいのではなく、黒地のがいいと言う。

いそいそと 着せる。
足りない小物もあるけれど、
あのころの母と同じように、
フウフウ言いながら、汗だくになりながら、
必死で着せてやる。

娘が まんざらでもなさそうなのが、嬉しい。



出来上がると、亭主が喜んで
写真を撮らなくちゃ、と動き出す。

庭で、土手で、
愛犬をいれて 家族で撮影会。

フリースを着込んだ息子にも
アンサンブルぐらい、着せたかったかな。



カルチャー奥様になったら、
着付けも是非やりたい事の一つ。

今風のレトロな着付けも、
崩しすぎなければ、悪くない。

いや、目下、問題は 娘の成人式だ。

亭主は、みんなおそろいのような格好は
馬鹿みたいだから、するなと言う。

娘は、振袖ぶんのお金を、
海外留学に使わせてくれるなら、
イラナイと言う。

母のタノシミには 気を遣ってくれない。