ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

隣組

2005-02-26 | なんとなく民俗学?
我が家から2キロ半ほど行くと、
小さい川がある。
上流で大雨が降ったりすると
川のカタチが変わる。
暖かな春を待ちわびている。


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田舎では ひとりひとりの存在の意義が
いろんな意味で 大きい。

そして、いろいろな行事に
必ず参加することが義務付けられている。

たとえば、自治体単位の 水路の草刈。
これは大変な作業なので、
参加しないと、悪口を言われる。
その前に、起こしに来てくれたりする。

怪我をしては大変と、
手術後は 娘が行ってくれるようになり、
ママは楽チンを決め込む。

以前は日曜の朝 5時集合だったが、
その年から 6時に変わった。
田舎にしては 大きな変化だ。



‘隣組’という組織が存在する。
自治会の中を
川上から上・中・下(かみ・なか・しも)に分け、
さら最小の単位の‘隣組’に分かれる。

隣組の組長が集まって 
‘組長会議’を開いたりもする。

自治会館の掃除をする時、
トイレ掃除を担当する。
汲み取り式。

連絡事項をふれまわる。
組員(?)の出産・初節句(ほとんどない)や入院の時は
お祝いやお見舞いを 集めてまわる。
(私の入退院は秘密裏に済ませたので、なかった)

お葬式の時は・・・最近は料理をこしらえなくても
いいようになってきた。

きんぴら、胡麻和え、酢の物、おひたし・・・
スローな食べ物で美味しいけれど、
お付き合いは大変。



昔々は 生活に密着した、
必要不可欠な制度だった事は 理解できる。

家の普請をする時に
‘仕事師’の掛け声に合わせて
隣組の人たちが協力して、
‘よいとまけ’をやったと聞いた。

「おとうちゃんの為なら、え~んや こら」
というやつだ。



実家の方では、
やはり隣組が協力して
川の葦を刈ってきて、
みんなで屋根を葺いていた。

仕上げは 特大の包丁を持ったプロが来て、
きれいな茅葺き屋根にした。

私が子どもの頃、
私の家の屋根の一部分を葺き替えたが、
それでも大仕事だった。

そうそう、忘れちゃいけない、
子どもの頃の田植えや稲刈りは
全部隣組単位で、
順繰りにお互い助け合って
やっていったものだ。

戦争中は 特別な必然性もあったかもしれない。
(私にはわからない、さすがにドラマの中の世界だ)



今 ここに残っている隣組は
本当に助け合っているのかどうか、
疑問がある。

疑問はあるが、
順番が回ってくれば、
受けなくてはいけない。

老人だけの世帯や
独居老人でも 引き受けてもらう。

2003年度、
数々のドジは踏んだけど、
なんとかやり遂げた、
二度目の隣組長。

亭主は仕事が休めないので、
私が一手に引き受けて。

終わって、本当に、ほっとした。