ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

がんサバイバー

2005-02-14 | 乳がん
やった!!
咲いた!!!
私の窓辺の
ミニ胡蝶蘭。
優しい、儚げな色合い。

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2004年3月。
この試合に勝てば、
オリンピック出場が決まるという、
サッカー・オリンピック日本代表の試合。
私は ノートパソコンを膝に抱き、
スイッチを入れて キック・オフを待った。

待っている間に、
がん関係のいろんなサイトを 
次々「お気に入り」に入れて
ダーッと並べてあるのを、
あちこち拾い読み。

そしたら、何の都合か、
掲示板だけになったサイトがあった。

読んで見ると、面白い。

乳がん患者の集う掲示板なのだが、
内容がやたら明るくて、おかしくて、
衝動で書き込み。

「サッカー・ファンです。
 行けるといいですね、アテネ。」

書き込みをするのは、
元SEという義兄が作った
実家のホームページの掲示板に次いで、
実は、これが 二つ目。

がん関係のところに書き込むときには
違うハンドル・ネームにしようと思っていたのに、
うっかり「ジョルジュ」のまま 書き込んでしまった。



すると、たちまち、何人もの人たちから、
返事があった。

嬉しかった。

驚きでもあった。

本当に、繋がっているんだ、と思った。

それが、ブックマークのところにある、
‘Living as a breast cancer survivor'だ。



自ら「ラテン系」とおっしゃるRiel さんをはじめ、
みなさん、とても明るい。

乳がんだから、いつも眉間にシワを寄せて、
冗談を言ってはいけない、
というような雰囲気のホームページは
うんざりだったので、
新鮮だったし、本当に嬉しかった。

皆さん それぞれ 色々な葛藤を経て
その明るさにたどり着いたのだろうけれど、
暖かく迎え入れていただいて、感激だった。

サッカー日本代表は その夜 アテネ行きを決め、
私は 外に繋がる窓をひとつ 開けさせていただいた。



以来、ハンドル・ネームはジョルジュのまま、
ずうずうしく出入りさせていただいている。

面白い内容に 「プププ」と笑うと、
たいてい そばに 大学入学を控えた娘がいて、
「なに、なに?」と聞いてくる。

そうでない時には、
私から「ねえ、ねえ。」と声をかけて、
娘に読んでやっては、
ふたりでゲラゲラ声を上げて笑っていた。

掲示板以外の内容は マジメで重くて、
ちゃーんとしているのに、
楽しい掲示板なのだ。

乳がんでも、明るく楽しく生きていて、
やっぱり、いいんじゃない。



‘Living as a breast cancer survivor'
の名前を教えたら、
娘は「サバイバー?」と言って、
ケラケラ笑った。

実は私も、「サバイバーとは、大げさな」
と感じていたのだったが。

でも、
「サバイバー」と自らを呼ぶと、
前向きになれるし、
力が湧いてくるし、
なんでもできそうな気がしてくる。

実際、「がん」と宣告されて
頭の中が「死」の文字で一杯になった人は
少なくないはず。

辛い治療を経て、いや、続けていて、
いくつもの山を乗り越えてきた人たちには
「サバイバー」は尊称だし、
「サバイバー」だからこその
明るさや強さがある。

たくさんのパワーを分けていただいて、
今の私がある。