大学に入った娘の様子を見ていて、ピンときた。
パソコンの前に 毎晩 絶対 陣取って
ひとしきりカタカタ キーボードをたたいている。
帰宅は早くて9時。それから夕食。
朝は息子の登校時間に合わせて送り出され、
お風呂に浸かる時間も長く、
家でのんびりする暇はないのに。
やっぱり。
娘もいつのまにか goo でブログを始めていた。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
スノードロップの次に咲く、シラー。
チューベルゲニアナという名前だったと思う。
私が覚えた、最初のフクザツな名前の花だ。
ささやかなピンク色で、
ブルーの花のそばに置くと よく似合う。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
あちこち覗いて コメントをしたり
トラックバックしたり ということは
していないようだった。
コメントをしてくれるのは、
高校の時の友達と 今の大学の友達だけ。
遊びに行くのも 友達の所だけ。
それはそれで 楽しいらしい。
娘のブログが 気にならない、と言えば嘘になるが、
読む気になれず、ほとんど覗いた事もない。
文字があまりに 小さくて、
あの子らしく ウルサイ画面なので。
(まだまだ コギャルっぽい)
娘の方でも 私のは ほとんど見ていないと思う。
私がブログをやってることは
ずっと隠しておいたのだ。
ある日、とうとう 感づいた。
唐突に聞いてきた。
「ママもブログやってんの?」
「・・・・・・うん。」
「やってんの?」
「うん。」
「やってんの?」
「うん。 なんで?」
「え~~~!!
ママ、ブログ やってんの~~~~!?!?!?」
ショックだったらしい。なんでかな?
わからないことがいっぱい出てきて、
教えて欲しいと思ったことも何度もあった。
けれど 大学に入ってからは 新しい生活に夢中で、
何一つ教えてはもらえなかった。
空いた時間は、少しでも寝ることに使いたいようだった。
ムリもないか。
そのうち娘は goo じゃないとこへ 移ってしまった。
そちらで ブログを続けているのだけれど、
見たいとは思わなくなった。
どうせ 細かい文字で、ゴチャゴチャした画面だろう。
今でも 娘がパソコンをいじると、
次に開いた時に 文字サイズが[最小]になっていて、
イライラする。
私も 最初のうちは
ひとつ 記事を投稿すると
へとへとに くたびれていたのだが、
だいぶ慣れてきた。
使えないワザは 多いけど、
タイピングは 少しずつ思い出した。
いまでも まだ ‘・’と ‘。’と ‘、’は
打つのに だいぶ時間がかかったり、
(つまり、何度も 同じところを間違えて打つのだ。)
それから ‘p’を打つところで ‘@’を打ってしまい、
その画面のユニークさに 自分でウケたりしている。
バックスペース・キーだけは、エンター・キーと同じ位、
上手に打てるようになったが。
去年の暮れだったと思うが、
恵比寿から 中目黒方面へ向かう地下鉄のホームの、
階段を降りてすぐの所に
「日経MJ発表! 2004年ヒット商品番付」
という広告が付けられた。
(今も付いてると思う。)
ホームで電車を待つ間、
興味深く見ていた。
「番付」だから、東西に分けて、
横綱とか大関とかの順に書いてある。
東 韓流 横綱 アテネ特需 西
聴く 大関 松下ドラム式
ケータイ端末 洗濯乾燥機
サッポロ 関脇
ドラフトワン 花王アジエンス
シャープ 小結 「世界の中心で
ヘルシオ 愛をさけぶ」
こんな風だった。オモシロイ。
もう少し下に行くと、
東に ‘ピン芸人’、
西に‘電車男’や‘負け犬の遠吠え’などがあり、
それから・・・
西に‘ブログ’というのが あったのだ。
知ってるわよ!
アタシ、やってるわよ!
オバサンは、叫びたかった。
ニマっと笑うだけに抑えたけど。
‘東ハト「暴君ハバネロ」’だけは、
今でも何だか わからない。
漢字は親より読める文系息子に
「ブログって何?」
と聞かれたのは、つい三日ほど前。
娘と私の説明で 納得した顔にはならなかった。
娘は自分もやっている、と明かしたが、
私は黙ってた。
パソコンの前に 毎晩 絶対 陣取って
ひとしきりカタカタ キーボードをたたいている。
帰宅は早くて9時。それから夕食。
朝は息子の登校時間に合わせて送り出され、
お風呂に浸かる時間も長く、
家でのんびりする暇はないのに。
やっぱり。
娘もいつのまにか goo でブログを始めていた。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
スノードロップの次に咲く、シラー。
チューベルゲニアナという名前だったと思う。
私が覚えた、最初のフクザツな名前の花だ。
ささやかなピンク色で、
ブルーの花のそばに置くと よく似合う。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
あちこち覗いて コメントをしたり
トラックバックしたり ということは
していないようだった。
コメントをしてくれるのは、
高校の時の友達と 今の大学の友達だけ。
遊びに行くのも 友達の所だけ。
それはそれで 楽しいらしい。
娘のブログが 気にならない、と言えば嘘になるが、
読む気になれず、ほとんど覗いた事もない。
文字があまりに 小さくて、
あの子らしく ウルサイ画面なので。
(まだまだ コギャルっぽい)
娘の方でも 私のは ほとんど見ていないと思う。
私がブログをやってることは
ずっと隠しておいたのだ。
ある日、とうとう 感づいた。
唐突に聞いてきた。
「ママもブログやってんの?」
「・・・・・・うん。」
「やってんの?」
「うん。」
「やってんの?」
「うん。 なんで?」
「え~~~!!
ママ、ブログ やってんの~~~~!?!?!?」
ショックだったらしい。なんでかな?
わからないことがいっぱい出てきて、
教えて欲しいと思ったことも何度もあった。
けれど 大学に入ってからは 新しい生活に夢中で、
何一つ教えてはもらえなかった。
空いた時間は、少しでも寝ることに使いたいようだった。
ムリもないか。
そのうち娘は goo じゃないとこへ 移ってしまった。
そちらで ブログを続けているのだけれど、
見たいとは思わなくなった。
どうせ 細かい文字で、ゴチャゴチャした画面だろう。
今でも 娘がパソコンをいじると、
次に開いた時に 文字サイズが[最小]になっていて、
イライラする。
私も 最初のうちは
ひとつ 記事を投稿すると
へとへとに くたびれていたのだが、
だいぶ慣れてきた。
使えないワザは 多いけど、
タイピングは 少しずつ思い出した。
いまでも まだ ‘・’と ‘。’と ‘、’は
打つのに だいぶ時間がかかったり、
(つまり、何度も 同じところを間違えて打つのだ。)
それから ‘p’を打つところで ‘@’を打ってしまい、
その画面のユニークさに 自分でウケたりしている。
バックスペース・キーだけは、エンター・キーと同じ位、
上手に打てるようになったが。
去年の暮れだったと思うが、
恵比寿から 中目黒方面へ向かう地下鉄のホームの、
階段を降りてすぐの所に
「日経MJ発表! 2004年ヒット商品番付」
という広告が付けられた。
(今も付いてると思う。)
ホームで電車を待つ間、
興味深く見ていた。
「番付」だから、東西に分けて、
横綱とか大関とかの順に書いてある。
東 韓流 横綱 アテネ特需 西
聴く 大関 松下ドラム式
ケータイ端末 洗濯乾燥機
サッポロ 関脇
ドラフトワン 花王アジエンス
シャープ 小結 「世界の中心で
ヘルシオ 愛をさけぶ」
こんな風だった。オモシロイ。
もう少し下に行くと、
東に ‘ピン芸人’、
西に‘電車男’や‘負け犬の遠吠え’などがあり、
それから・・・
西に‘ブログ’というのが あったのだ。
知ってるわよ!
アタシ、やってるわよ!
オバサンは、叫びたかった。
ニマっと笑うだけに抑えたけど。
‘東ハト「暴君ハバネロ」’だけは、
今でも何だか わからない。
漢字は親より読める文系息子に
「ブログって何?」
と聞かれたのは、つい三日ほど前。
娘と私の説明で 納得した顔にはならなかった。
娘は自分もやっている、と明かしたが、
私は黙ってた。