「ママ、この本、凄いよ。」
「どう凄いの?」
「とにかく、凄いよ。読んでみな。」
娘が読んでいた文庫本を貸してくれた。
手渡された本を見て 私はドキリとした。
『“It(それ)”と呼ばれた子』の幼年期編だった。
この娘は
昔の事を どれほど覚えているのだろうか?
‘育てにくい子’の娘は 高校生になっていた。
なにしろ
娘を完全に自分の管理下に置きたかった私は
娘をよく叱り、
怒鳴りつけ、
脅し、
挙句は
ひっぱたいてきた。
娘を自分の思い通りにしたかった。
つまりは
自分達が 母にされてきたのと同じ事を
繰り返したに過ぎないのだが。
けれど
幼い娘は
敢然とそれをつっぱね、
拒否し、
徹底して自分の興味のあるところへ向かって
突き進むタイプだった。
私は 子供は みな
こうすれば こうなる、
こう育てれば こう育つ、
という‘Haw to’があるものと思っていた。
けれど 少なくとも 私の娘は違っていた。
私の考えは どうやら 間違っていた?
そう気づいた時には
打ちのめされた。
思い通りにならない娘に悩む日々から
思い通りにしたかった私自信のエゴに思い至って
自分と娘との葛藤に悩む日々に変わった。
いろいろな本や雑誌を読んだ。
思い当たる記述に出合ったときは
救われる、そう思った。
けれど 活字の世界は、あくまで、活字。
日々成長を遂げ
いろいろな事をやらかす娘との対決は
決して無くならない。
‘待ちの子育て’
‘子供育ては自分育て’
‘きょうから叱らないお母さん’
わかってるわよ、だけど、どうしようもないじゃない、
わたしだって、やりたくて やってるわけじゃない。
毎日毎日 反省し、
いつもいつも やはり思い通りにならずにがっかりし、
もう叩くまい、怒鳴るまい、脅すまい、
そんな決心も空しく
ヒステリーは続く。
何年も。
そして 亭主も 殴られて育ったので
こどもはひっぱたいて育てるもの、
と思っていた。
自分の体が痛みやだるさで思うように動かない。
ショッピングや 美容院や 図書館通いや
それどころか 日々の買い物にさえ
出かけられない。
店はない。
車は運転できるようになったが、
外出の許可が 亭主から出ない。
冷凍品以外に食べるものがない。
でも 買い物に行けない。
可愛い子供服など買えない経済事情。
私が思っていた 主婦としての子育てとは
かけ離れた現実。
「子供がいれば それは当り前」
という雰囲気。
私には 当り前なんかじゃなかったのに。
亭主は亭主で
毎日毎日 四六時中 娘を怒鳴りつける私の声と
娘の鳴き声とで
育児ノイローゼのようだった、
と 亭主は後に告白した。
あのころ 亭主は 忙しさは今以上、
けれど 仕事はたいてい自宅でしていたので
私と娘の葛藤の日々を
もらさず耳にしていた。
だから、亭主の辛さもわからないではない。
孤立無援の、孤軍奮闘の 私の子育ては
実は 亭主に支えられていたのかもしれない。
事実、食事や入浴の時に亭主がいれば
それなりに手伝ってくれてはいた。
けれど
体中が毎日悲鳴を上げているような私には
それはそれは 辛い日々だった。
アトピー性湿疹があった娘のために
毎日 家中にクリーナーをかけ、
毎週 シーツや掛け布団カバーをはずして洗い、
布団や毛布にも クリーナーをかけた。
小児喘息になったら、大変。
そう思って続けていたが
あれは 腰痛を悪化させたなあ。。。
『“It(それ)と呼ばれた子』は
母親に虐待され 父親にも見捨てられた男の子が
どんなことがあって
その時どんな心境だったのかを語っている。
その様子は かなり悲惨で
読み続けるのが辛い。
最後に 施設に引き取られるのだが
親と引き離される事でやっと安心できる幼い子が
哀れだ。
娘は
この本の青春編も自分の小遣いで購入している。
本のためには お金を惜しむ彼女としては
異常な執着をみせた。
本の著者が
成長し 心の傷を乗り越えて
幸せな家庭を築き
自分の子供を愛し 育てている現在の姿にだけは
ほっと安堵する。
「どう凄いの?」
「とにかく、凄いよ。読んでみな。」
娘が読んでいた文庫本を貸してくれた。
手渡された本を見て 私はドキリとした。
『“It(それ)”と呼ばれた子』の幼年期編だった。
この娘は
昔の事を どれほど覚えているのだろうか?
‘育てにくい子’の娘は 高校生になっていた。
なにしろ
娘を完全に自分の管理下に置きたかった私は
娘をよく叱り、
怒鳴りつけ、
脅し、
挙句は
ひっぱたいてきた。
娘を自分の思い通りにしたかった。
つまりは
自分達が 母にされてきたのと同じ事を
繰り返したに過ぎないのだが。
けれど
幼い娘は
敢然とそれをつっぱね、
拒否し、
徹底して自分の興味のあるところへ向かって
突き進むタイプだった。
私は 子供は みな
こうすれば こうなる、
こう育てれば こう育つ、
という‘Haw to’があるものと思っていた。
けれど 少なくとも 私の娘は違っていた。
私の考えは どうやら 間違っていた?
そう気づいた時には
打ちのめされた。
思い通りにならない娘に悩む日々から
思い通りにしたかった私自信のエゴに思い至って
自分と娘との葛藤に悩む日々に変わった。
いろいろな本や雑誌を読んだ。
思い当たる記述に出合ったときは
救われる、そう思った。
けれど 活字の世界は、あくまで、活字。
日々成長を遂げ
いろいろな事をやらかす娘との対決は
決して無くならない。
‘待ちの子育て’
‘子供育ては自分育て’
‘きょうから叱らないお母さん’
わかってるわよ、だけど、どうしようもないじゃない、
わたしだって、やりたくて やってるわけじゃない。
毎日毎日 反省し、
いつもいつも やはり思い通りにならずにがっかりし、
もう叩くまい、怒鳴るまい、脅すまい、
そんな決心も空しく
ヒステリーは続く。
何年も。
そして 亭主も 殴られて育ったので
こどもはひっぱたいて育てるもの、
と思っていた。
自分の体が痛みやだるさで思うように動かない。
ショッピングや 美容院や 図書館通いや
それどころか 日々の買い物にさえ
出かけられない。
店はない。
車は運転できるようになったが、
外出の許可が 亭主から出ない。
冷凍品以外に食べるものがない。
でも 買い物に行けない。
可愛い子供服など買えない経済事情。
私が思っていた 主婦としての子育てとは
かけ離れた現実。
「子供がいれば それは当り前」
という雰囲気。
私には 当り前なんかじゃなかったのに。
亭主は亭主で
毎日毎日 四六時中 娘を怒鳴りつける私の声と
娘の鳴き声とで
育児ノイローゼのようだった、
と 亭主は後に告白した。
あのころ 亭主は 忙しさは今以上、
けれど 仕事はたいてい自宅でしていたので
私と娘の葛藤の日々を
もらさず耳にしていた。
だから、亭主の辛さもわからないではない。
孤立無援の、孤軍奮闘の 私の子育ては
実は 亭主に支えられていたのかもしれない。
事実、食事や入浴の時に亭主がいれば
それなりに手伝ってくれてはいた。
けれど
体中が毎日悲鳴を上げているような私には
それはそれは 辛い日々だった。
アトピー性湿疹があった娘のために
毎日 家中にクリーナーをかけ、
毎週 シーツや掛け布団カバーをはずして洗い、
布団や毛布にも クリーナーをかけた。
小児喘息になったら、大変。
そう思って続けていたが
あれは 腰痛を悪化させたなあ。。。
『“It(それ)と呼ばれた子』は
母親に虐待され 父親にも見捨てられた男の子が
どんなことがあって
その時どんな心境だったのかを語っている。
その様子は かなり悲惨で
読み続けるのが辛い。
最後に 施設に引き取られるのだが
親と引き離される事でやっと安心できる幼い子が
哀れだ。
娘は
この本の青春編も自分の小遣いで購入している。
本のためには お金を惜しむ彼女としては
異常な執着をみせた。
本の著者が
成長し 心の傷を乗り越えて
幸せな家庭を築き
自分の子供を愛し 育てている現在の姿にだけは
ほっと安堵する。