私のイライラは 突然 一瞬の収まりを見せた。
そしてまた ぶりかえす、を 繰り返して
だんだんに イライラの時間が少なくなっていった。
実は今でも しょっちゅうイライラするし
キレそうになったりもするが
私の体力も気力も
イライラを持続させることができなくなった。
そのかわり
自分を落ち着かせる事もできるようになったし
気長に待つことも容易になったし
自分をあきらめさせる事もできるようになった。
中学生の時の娘は 激しい反抗期で
私とは 毎日いがみ合い、怒鳴りあって暮らした。
口ではまだまだ 娘に負けなかった。
その頃 私は 怒鳴り合いながらも
冷静に だらしない娘を憎むことができた。
高校生になると
娘もだいぶ 反抗期をぬけてきて
おまけに
遠くの高校に通うようになったため
家にいる時間が少なくなったので
私との仲が良くなった。
あんなに 育てやすかった息子は
成長してからが難しくて
小学生の時には
心療内科に行ったし
中学生になってからは
カウンセラーの所に行った。
最後にカウンセラーの所へ行ったのは
手術の半年くらい前だった。
その後も 息子に関しては
悩む日々が続いている。
娘に関しても 悩みは山のようにあるが
高校を無事に卒業してくれた時点で
親としての最低限のギムは(ほとんど)果たした、
と 開放された気持ちになった。
確かに 手を離れた、と思って
セイセイしたのだが・・・・・・。
だらしなさ とか
いいかげんさ とか
料理もできない とか
掃除もいい加減 とか
お腹や腰の出るファッションをするな とか
眉毛を生やせ とか
正座は最低でも5分はできるよな! とか
主食のある食事をしろよ とか
添加物には気をつけろよ とか
朝はちゃんと起きろよ とか
日付が変わる前に 帰って来い! とか
リビングのソファで寝ないで、自分の部屋で寝ろ!
(今朝もソファに服着たまま寝てたんだよ!)とか
朝のシャワーじゃなくて お風呂に入れよ とか
車のスピード、出しすぎ! とか
初心者マークは 一年貼るんだよ! とか
そりゃあ、もう。。。
限りない小言を今でも連射できる。
ただ 時折りのおしゃべりは とっても楽しい。
(ただし、寝起きでなければ。)
カウンセラーに
「高校生のお姉ちゃんの方とは
最近 友達みたいに 仲良くやってます。」
と言ったら
「友達関係、というのは よくない。
親子はやはり親子でないと。」
と言われたのを忘れない。
というか、生意気な娘のどうしようもない子供っぽさが
親であることを 忘れさせてくれない。
これも ありがたいことではある。
今回実家に帰ってきた時に
姉と 親子関係の話になり
姉は 娘に一度きちんと謝るように、と私に言った。
これは やはり 子供に厳しく当たってきて
つらい思いを 親も子も ともどもにしてきた姉の
心からの助言だった。
私とあの子の間は、それほどじゃあ、ないよ。
そんな必要はないよ。
そう言いたかったが 言葉が引っ込んだ。
こちらに帰ってきて
娘がベッドに乗っかった写真を掲げたり
夢バトンのやり取りをして
おしゃべりの機会が増えた時に
「オバちゃんから アンタに謝るように、
って言われたんだよ。
アンタが小さい頃に
ママ、ヒステリーだったからサ。」
と言ってみた。
「覚えてる?」
「覚えてるよ。
ママが厳しかったの。
でも、虐待じゃないよ。
謝るほどじゃないよ。」
ああ、よかった!
「確かに、弟にくらべると、厳しかったよね。」
「そりゃあ、アナタ。
アナタにくらべれば、あの子はいい子だったもの(笑)。」
娘は選手宣誓みたいに 手を高く掲げて、
「ハイ!
私、虐待されてます!(爆笑)」
この娘も 弟のことは
いつも心から心配してくれている。
息子のハゲを見つけたのは
彼女だったし。
兄弟が仲がいいときは
私は親としての幸せに浸ることができる。
ただ
乳がんになった母として
どうしても 自分の娘だけは
乳がんには したくない。
これは 私に残された
彼女に対する最後の義務だと思う。
けれど 娘は
いっこうに気にしている様子もなく
生活全般、食生活も だらしなくて。
母は、心配しているんだよ。
そしてまた ぶりかえす、を 繰り返して
だんだんに イライラの時間が少なくなっていった。
実は今でも しょっちゅうイライラするし
キレそうになったりもするが
私の体力も気力も
イライラを持続させることができなくなった。
そのかわり
自分を落ち着かせる事もできるようになったし
気長に待つことも容易になったし
自分をあきらめさせる事もできるようになった。
中学生の時の娘は 激しい反抗期で
私とは 毎日いがみ合い、怒鳴りあって暮らした。
口ではまだまだ 娘に負けなかった。
その頃 私は 怒鳴り合いながらも
冷静に だらしない娘を憎むことができた。
高校生になると
娘もだいぶ 反抗期をぬけてきて
おまけに
遠くの高校に通うようになったため
家にいる時間が少なくなったので
私との仲が良くなった。
あんなに 育てやすかった息子は
成長してからが難しくて
小学生の時には
心療内科に行ったし
中学生になってからは
カウンセラーの所に行った。
最後にカウンセラーの所へ行ったのは
手術の半年くらい前だった。
その後も 息子に関しては
悩む日々が続いている。
娘に関しても 悩みは山のようにあるが
高校を無事に卒業してくれた時点で
親としての最低限のギムは(ほとんど)果たした、
と 開放された気持ちになった。
確かに 手を離れた、と思って
セイセイしたのだが・・・・・・。
だらしなさ とか
いいかげんさ とか
料理もできない とか
掃除もいい加減 とか
お腹や腰の出るファッションをするな とか
眉毛を生やせ とか
正座は最低でも5分はできるよな! とか
主食のある食事をしろよ とか
添加物には気をつけろよ とか
朝はちゃんと起きろよ とか
日付が変わる前に 帰って来い! とか
リビングのソファで寝ないで、自分の部屋で寝ろ!
(今朝もソファに服着たまま寝てたんだよ!)とか
朝のシャワーじゃなくて お風呂に入れよ とか
車のスピード、出しすぎ! とか
初心者マークは 一年貼るんだよ! とか
そりゃあ、もう。。。
限りない小言を今でも連射できる。
ただ 時折りのおしゃべりは とっても楽しい。
(ただし、寝起きでなければ。)
カウンセラーに
「高校生のお姉ちゃんの方とは
最近 友達みたいに 仲良くやってます。」
と言ったら
「友達関係、というのは よくない。
親子はやはり親子でないと。」
と言われたのを忘れない。
というか、生意気な娘のどうしようもない子供っぽさが
親であることを 忘れさせてくれない。
これも ありがたいことではある。
今回実家に帰ってきた時に
姉と 親子関係の話になり
姉は 娘に一度きちんと謝るように、と私に言った。
これは やはり 子供に厳しく当たってきて
つらい思いを 親も子も ともどもにしてきた姉の
心からの助言だった。
私とあの子の間は、それほどじゃあ、ないよ。
そんな必要はないよ。
そう言いたかったが 言葉が引っ込んだ。
こちらに帰ってきて
娘がベッドに乗っかった写真を掲げたり
夢バトンのやり取りをして
おしゃべりの機会が増えた時に
「オバちゃんから アンタに謝るように、
って言われたんだよ。
アンタが小さい頃に
ママ、ヒステリーだったからサ。」
と言ってみた。
「覚えてる?」
「覚えてるよ。
ママが厳しかったの。
でも、虐待じゃないよ。
謝るほどじゃないよ。」
ああ、よかった!
「確かに、弟にくらべると、厳しかったよね。」
「そりゃあ、アナタ。
アナタにくらべれば、あの子はいい子だったもの(笑)。」
娘は選手宣誓みたいに 手を高く掲げて、
「ハイ!
私、虐待されてます!(爆笑)」
この娘も 弟のことは
いつも心から心配してくれている。
息子のハゲを見つけたのは
彼女だったし。
兄弟が仲がいいときは
私は親としての幸せに浸ることができる。
ただ
乳がんになった母として
どうしても 自分の娘だけは
乳がんには したくない。
これは 私に残された
彼女に対する最後の義務だと思う。
けれど 娘は
いっこうに気にしている様子もなく
生活全般、食生活も だらしなくて。
母は、心配しているんだよ。