ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

『生協の白石さん』

2005-11-15 | 読書
久々に ハマった本だった。

いったい なんのツボにはまったというのだろう?

確かに おかしくて面白いけど 
爆笑、というほどのものではないし。

(著者:白石昌則・東京農工大学の学生の皆さん、
 講談社、2005.11.2、952円)




どうやら この本は
『がんばれ、生協の白石さん!』なるブログ
もとにしたものらしい。

いや、それでは不正確。

東京農工大学という大学(農学部と工学部しかないらしい?)の
工学部キャンパス、
そこの生協で働く白石さんという人が、

生協に対する意見・希望を書いて投函する
「ひとことカード」に
真摯に対応しているその回答を

面白がっているだけなのだ。

もちろん、白石さんに限らず、
他の職員も「ひとことカード」への対応に取り組んでおり、
白石さんでなくても 楽しい応酬(?)はありそう。



それでも とにかく、
丁寧な言葉で 
ふざけた質問に対しても 
極力 真面目に対応するその態度。

おまけにそのユーモアに、
私としては 
読んでいて
とっても嬉しくなってしまった本なのだ。



ネットで有名になってから
白石さんに 楽しい回答を書いてもらおうとして
生協に関係のない質問が増えた、

ということだが
それでも
掲示できないような悪ふざけはほとんどなかったという。



有名になったのに、

そして 東京農工大学工学部の生徒のほとんどは
白石さんの素性を知っていたか
あるいは知りうる立場だったのに、

誰も 白石さんの正体を明かさなかった。

性別すらも。



これには 驚く。

「あたし、知ってるよー。」

「なに、お前、知らないの?」

そんなちょっとのことで得られる優越感にさえ
人は浸りたいものなのに。

東京農工大学の生徒の レベルの高さを物語る、
とも言えそう。



私の乳がんも、
私達が人を選んで相談したり伝えたりした
一部の人たちからは
全然 ウワサになって広まったりせずに
二年以上経過したのに

亭主の以前の上司から
ムラのひとりの人に伝わると、
そのひとから 親しくもない人たちに
あっという間に広まった。

「なに、おめえ、そんな近所に住んでて、
 知らねえ?」

「何やってんだ、
 あすこんちに出入りしてて、知らねえのか?」

と言われてびっくりした人や

「本当ですか?」と聞いてきた業者や

「病気だって聞いたけど・・・。」
とつぶやきつつ、
ガーデニングに汗を流す私の姿を見て
拍子抜けする人などが続出。



東京農工大学は
大根踊りで有名な私立の東京農業大学と
混同される事が多いらしいが、
さすが国立、
5科目7教科入試を制して入学した学生達!

そこは そっと 「優しい無関心」を発揮。

いいなあ。こういうところ。



さて、
肝心の 「ひとことカード」でのやり取りというのは、
たとえば、こんなものが。

「生協への質問・意見、要望

   青春の一ページって
   地球の歴史からすると
   どれくらいなんですか?」

   「生協からのお答え
      
      皆さんは 今まさに 
      1ページずつめくっている最中なのですね。
      羨ましい限りです。
      地球の歴史と言うよりも、
      私の歴史からすると、
      目次でいえばかなりまえのほうです。
      いつでも呼び出せる様、
      しおりでも挟んでおきたいものです。
               担当:白石」



「生協への質問・意見、要望

   自分の自転車がパンクしたので
   友達のを借りたら
   友達のもパンクさせてしまいました・・・。」

   「生協からのお答え
   
      ご自身の不遇さを憂うご様子がつたわってきます。
      パンクは破れた箇所を修理すれば直ります。
      お友達との関係が破れていないのなら、
      それで良しとしましょう。   
                担当:白石」



「生協への質問・意見、要望

   オラオラオラオラオラ―――!!
   裁くのは俺のスタンドだー!!」

   「生協からのお答え

      勇ましい意思表明、なによりです。
      このような裁判官がいたら、
      かのマイケル・ジャクソンも
      ムーンウォークで逃げ出したに違いありません。
      しかし、ここは生協の掲示板です。
      折角の志高き思い、当店でくすぶるよりも
      広く全世界に発信してみてはいかがでしょうか。  
                担当:白石」



「生協への質問・意見、要望

   エロ本おいて下さい。」

   「生協からのお答え
      
      ご要望ありがとうございます。
      大学生協は
      学生さんや教職員の方をはじめとした組合員の
      勉学研究支援および生活支援に取り組んでおりますが、
      煩悩の分野は支援できません。
      あしからずご了承ください。
                担当:白石」



こんな調子。

ストリートファイター関係のものは 
私にはよくわからなかったが

プロ野球チップスについて
(特に 中に入っているらしい、
 土橋選手のカードについて)のやりとりも
ほのぼのと 可笑しく、ほほえましい。



ブログの管理人が 本書のなかで語っているように、

「『東京農工大学?

  もちろん、知っていますよ。

  あの生協の白石さんで有名な大学ですよね?

  私、生協の白石さんの大ファンなんです。』

 という反応が返ってきてくれたらな」

と言う状況になっているオバサンが、

ここに、

約一名。

白血病という病気(2)

2005-11-12 | 考えたこと
彼女に会ったのは、たまたまの、偶然?

ふと出会って言葉を交わした。

身体の線が華奢なら、
心のほうも繊細な印象だった。

あれは いつごろのことだろう?

彼女の小柄な一人息子が小学生。

もう5年も前かもしれない。



そのままどこの誰とも知らないまま、
時々出会って言葉を交わすうちに
だんだん 会話の時間が長くなった。

名前も知らずに何年も薄いお付き合いをした。

実家が隣ムラだということだった。

私はいつも 相槌を打ちながら
ただ 彼女の悩みを聴いた。

こんな時は
ただ話を聴くだけでいいんだ、
へんに 提案をしたり 結論を出したり
しないほうがいいんだ、
と 何かで読んだし、
実際に 経験的にそう感じていたので。



どんな生活をしているのか。

何が根本の悩みなのか。

彼女はいつも 別れる時には
「私がもっと頑張らなければ。」
とつぶやくのだった。

私の
「そのままでいいんだよ。」
「頑張らなくてもいいだよ。」
と言うメッセージは
なかなか伝わらなかった。

たとえそれを言葉にしても
彼女の耳には届かなかった。

そのうち 亭主も顔を覚えたが
彼女の愚痴?悩み?のはけ口は私だった。





去年 闘病中だったお母様が亡くなった。

それから彼女の苦悩が増したようだった。

初めは 同じように話を聴いていたが
彼女の考えには‘思い込み’もあった。
(なかなか 頭の固い女性だった。)

苦しみが少しでも軽くなればと
私もだんだん
今までよりも積極的にアドバイスをするようになった。

別れる時にはそれなりに
ほっとしたような顔になるのだが
次に会う時には
同じ事を訴えてくる。



わざわざ私に会いにやってくるようになった彼女を
そうそう放ってはおけない。

長い時間をかけて 
話を聴いて
少しずつ 
私が思っていることを伝えるように話しかける。

初めて電話をもらって
長々と話した時に
フルネームを教えてもらったっけ。



私がビニールポットをたくさんかかえて
事務所の前に植えようとしていた時に
彼女が来て

話し込んでいるうちに暗くなって
息子が私を迎えに来たり、というようなことも
一度ならずあった。

と、息子が言っている。



突然の訃報だった。

急性骨髄性白血病だった、というのだ。

うそ・・・・・・。



病院に入院して 一週間だったという。

病気が判明して、一週間と少し。

抗がん剤を6回投与した、とも聞いた。

直接の死因は ‘脳内出血’。

白血病で内出血、というのは聞く。

脳の中にも 出血するのか?



白血病?

じゃあ、あの時の電話・・・。

半月ほど前に
彼女から 二度目の電話があった。

「わたし、もう、頑張れない・・・。」

気弱な内容だったけれど、
声はいつもと同じだと思った。

体調が悪いなんて 言ってなかった。

私は
頑張れない時は 頑張らなくていいんだよ、
頑張れない時は 休めばいいんだよ、
と、繰り返した。

いつもどおり彼女は
「わかりました。」「ありがとうございました。」
と受話器を置いた。

なにが、どう「わかった」か?
とは思ったが
一時的にせよ 彼女の心が軽くなれば、
と 思っていた。

電話を切る頃には 
気持ちが軽くなってくれたように思った。



あの時。

あの人は 死ぬほどだるかったのではないのだろうか。

熱があったのではないのだろうか。

苦しくはなかったのか。

自分でもまだ病名を知らないはず。

不安でいっぱいだったはず。



私は彼女に 何かの役に立てたのか?

ただの私の自己満足ではなかったか?

亡くなって初めて 私より3つくらい 年下だとわかった。

いつも一緒で いつもとてもおとなしくそばにいた彼女の息子は 
声変わりしていた。

ひとり残ってしまった息子さんは
彼女の実家に引き取られる事になった。

そうしたら、隣ムラだから、
自転車に乗ればすぐだから、
たまには遊びにおいでね。

そんな事ぐらいしか 言えなかった。



本田美奈子さん。

あの細い身体から 
どうやったら あんなパワフルな声が出るのか。

スリムな身体にクリクリの目。

先月なくなった あの女性も
負けないくらいスリムで
負けないくらい 大きな瞳で
とてもきれいな女性だった。

ブログに書くつもりはなかったけれど
本田美奈子さんが亡くなったというニュースに触れて
書かずにいられなくなった。

本田美奈子さんの記事に
「よくある病気なんだな。」
と亭主がつぶやいたのは
亭主にとっても驚愕の、
先月の出来事だったからだ。

今、書いておきたかった。

白血病という病気

2005-11-10 | 考えたこと
歌手の本田美奈子さんが 
今月6日に
急性骨髄性白血病という病気で亡くなった。

私が新聞に見入っていると
亭主が覗き込んで

「結構ある病気なんだなあ。」
と言った。

「そうねえ。

 治らないで亡くなる人、多いみたいだよね。

 渡辺謙はよく元気になったよね。」



以前から この病気については
ムジュムジュと いろいろ考えてきた。

言葉にならないけれど
言葉にして発したい、
でも 言葉にならない。

そう思ってきた。

今回 ちょっと 書いてみようと思う。

考えてきた事すべてが 言葉にならないとしても。



ちょうど読売新聞の‘医療ルネサンス’で
「病院の実力・血液がん」というのが始まったがhttp://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20051110ik01.htm


血液のがんは 急性骨髄性白血病のほかに
急性リンパ性白血病や
骨髄異形成症候群なんてのもある。

血液がん:白血球ががん化する白血病
        (推定患者数2万5000人)、
       リンパ球ががん化する悪性リンパ腫(しゅ)
        (同3万7000人)、
       リンパ球の一つである形質細胞ががん化する
       多発性骨髄腫
        (同1万3000人)などがある。

と書かれていた。

あと 白血病のほかに ‘多血症’なる病気があって、
治療のために抗がん剤を使った話を聞いたことがある。

これは 血液のがんではないのか?



難しい話はわからない。

私の身近に 白血病になった方はいなかったし。

ただ、身近な人の‘大事な人’が 
何人か帰らぬ人になっている。



近所の、お世話になっているご婦人の長男。

私達はまだ当地に来たばかり。

日の落ちるのが早い季節の夕方に
近所中に 若い人が大勢やってきて、驚いた。

お通夜だった。

21歳、若すぎる死。

すごいハンサムな若者だったと 後で知った。

どうりで、大勢の女の子が みんなして泣いてたわけだ。

骨髄バンクも まだなかった頃。

骨髄移植をして 
最後まで 頑張って、頑張って、頑張りぬいて、
そして 
亡くなったのだと、
その お母さんの話。



昔の職場の先輩の、ルームメイト。

若いのに 研究の成果を出し、
研究発表に忙しかった。

あちこち 知らぬ間に内出血ができるのを
「一度 医者にいってみたら?」
「うん。この仕事がおわったら。」

そんな話をしていたら あっという間に・・・。



近所の 娘の同級生のお母様。

働いてらしたので、
私の子守友達はおばあ様だった。

「この子が 床屋を嫌がって暴れるので、
 ママの病室で 
 ママに髪を切ってもらったんですよ。」

一時期はお元気なご様子だったのだが。

その子は 当時まだ2歳。

母の顔を覚えていないと言う。

おばあ様が頑張って、
その子は まっすぐに育ってくれた。


(それに、身近な方の奥様も。)


骨髄バンクがあったら
私達は本当に
オバサンになった夏目雅子に会えたのか?



新聞を覗き込んだ亭主が
「結構ある病気」と口にしたのには
わけがある。           (つづく)

『スイングガールズ』

2005-11-07 | 考えたこと
テレビで放映のあった、邦画。

東北の女子高生達の話、ということで、
言葉も面白いかなあ、と楽しみにしていた。

言葉の方は
イバラキ弁に似た所もあったので
白石美帆は ラクにセリフが言えたかな?

実家の母と同じ言葉も出てきた。

「~だべした。」なんて。



出演した女の子達が
実際に演奏しているのだそうだ。

音が出ない段階から、
ジャズを舞台で演奏するまで。

4ヶ月間の特訓で
あそこまでできるようになるとは。

「若いってすばらしい」。
やはり 若い人の集中力・記憶力・体力・気力が
あってこその上達だったろうと思う。



ちょうど同じようなセーラー服を着て
クラリネットと格闘していた昔を思い出す。

中学生の時なので、かなり、昔の話。

「空がうまれる瞬間」
tsukimachi-bunkoさんの
吹奏楽と共にあった青春時代のエピソードの数々
(この夏に「五線紙にかけた青春」のタイトルで長期連載!)を
イキイキとした文章で読ませていただいていたので
思い出しやすかったようだ。

高台の上の中学校。
グランドを吹き過ぎる風。
音楽室の前の廊下。
音楽室のにおい。

とは言え、事情ですぐに止めてしまったのだけど。



あきらめずにつづけていた友人。

いつも叱っていた先生。

先生にいつも叱られ、叩かれていた男子たち。

晴れの体育祭での演奏。

それが 一年生、二年生から 三年生になると
明らかに音が変わった。

悔しさ。

続けなかった事への後悔。

確かに彼らは 私にはとてもまぶしくて
もうそばには行けない気がした。

いつもブラスバンドの活動は
気にして見たり聞いたりはしていた。

それなのに
コンクールに出場したと聞いた時には
羨ましさでいっぱいで、
素直には 喜べなかった。



映画の中の女の子達も
若くて まぶしくて キラキラ光っていた。

気力も体力も
決してかなわないけれど
もう年だから、などとは思いたくない。

我慢も根気も経験も
今のほうが 若い頃より数段 勝っている。

彼女達のように
打ち込めるものがあるわけではないけれど
せめて
日々の小さなあれこれに
精一杯の 興味と好奇心と観察力とを持ち続けよう。



『スイングガールズ』の女の子達は
演奏がうまくなるのと同時に
方言もはじけてきて、
それが見ていて(聞いていて)痛快だった。

きょうは、立冬。
冬の野菜は
これから甘みを増して 美味しくなる。

和定食

2005-11-06 | 食生活
最近、和食の店や 定食屋が
増えてきたように思う。

Rielさんに教えていただいた大戸屋
最近 恵比寿にもある。
というか、あちこちに増殖中。

私の退院後の我が家を救ってくれたのは
和食のファミリー・レストランだった。



そのほかにも、
和定食の店、ご飯亭、どんぶり亭、小鉢亭、
おにぎり屋、(おにぎりカフェなる店もあった。
 おしゃれな店内に どんなおにぎりがあるのか?)
などが最近増えて、

なるべく和食を食べようと思っている私には
とても嬉しい。

とは言っても 美味しいお魚のお店は
私の予算より ちょっぴりお高いので
蕎麦屋になったりしている。



月に一度のがんセンター、
週に一度の治療院通いと、
お昼ごはんを 外で済ませる機会が増えて

晩御飯を外食にする機会も増えて

前から思っていたことだけど
外食って、つくづく、飽きるものだと思う。

なぜか?

脂っこいから。



とにかく、脂っこい。

そうでないはずの和食にも
揚げ玉がたっぷりのってたり。

なぜか?

その方が 美味しいから。

糖分や油脂類は 
カロリー摂取が少ないと死んでしまう動物が
口に入れると 
喜びを感じるのではないか?



そのかわり、飽きる。

しょっちゅう食べるから、
なるべく飽きのこないものを、と思うと
和食になる。

その和食もまた、脂っこい。

我が家のご飯が、一番!ということになって、
めでたいのか、めでたくないのか?



亭主の殺人的スケジュールが一段落して
通常の忙しさになった7月ごろから

我が家は 頻繁に外食する。

毎週末、食べに行ってるような気がする。

これは 亭主にとって 
最高の家庭サービス(のつもり)なのだ。



なんでも、共働きだった義母が
外食が大好きだったらしい。

私も嫌いじゃない。

自分で作らなくていい、それだけでご馳走だもの。

ああ、オンナというのは、こういうのが好きなんだ。

亭主の頭には そうインプットされたみたいだ。

外食が嫌いだった義父が 
家族を車に乗せて連れ出したように

今 亭主が マメに 食べに連れて行ってくれる。



でも 脂っこい食事に 一番 参るのは 私みたい。

やっぱり、自分で作るのが 一番 美味しい。

というか、やはり、飽きない。



これは、9月14日に投稿するはずだった記事。
下書きは出来上がっていたのに!(涙)

復活!(2)

2005-11-06 | なんでもないこと
いや~~~~~、
ほんと、まいったよ。。

インターネットに繋がんないって事はサ、
メールもやり取りできなくてサ。

Outlook Expressだと、
しょっちゅう エラーで繋がらないので、
娘に頼んでMSNを使えるようにしてもらって、
これからは メールはMSNでいこうかなあって
思ってたのに、
MSNもなんだかダメなんだ。
だから、MSNのメッセンジャーも使えない。
これは、今でも。
なんで????



けっこう、いろんなこと、あったなあ。

最初はイライラして、
「まだか? まだか?」と直るのを待ってた。

そのうち、ウツっぽくなった。

いつも ブログにかかずらわっていて
できなかったことをしよう、と 気持ちを変えて。

それでも やっぱり
私はブログがないと 社会と繋がっていけない。

だから
生きてる実感が得られない。

ほんとに私は 今 この世界に 存在しているのか?
それさえ わからない。

だから やっぱり、私には ブログは必要なんだわ、
と 思い知った。

イライラも とうの昔になくなり、
パソコンのない生活にも慣れ、
それでもやっぱり ブログはやめられない。

いつも来てくださっていた皆さん、
これからも この窓を覗いてくださいね。

それから、どうか、声をかけてくださいね。



いろんなことが、あった。

義母は 二度も 
誤飲事故を起こして 入院騒ぎ。

十五夜も十三夜も。

秋のお彼岸も。

ターシャの庭は とうとう見損ねた。
予定表に書いておいたのに。

友人と静岡県まで一泊で出かけた事。
目的は、お灸による治療。

あちこちの博物館に出かけた事。

ホーム・カミングデーに出かけた事。



どれもこれも、
「聞いて、聞いて!」
と 皆さんにお話したい事ばかり。

もう、いっぱいありすぎて、
早口になっちゃいそう!

あせっても仕方ないし、
もう一度 続きから ゆっくりのんびり
おしゃべりを始めようと思う。

復活!

2005-11-05 | なんでもないこと
復活しました!

何がって、私の…いえ、ウチのパソコンが。

今回は 二台とも。

サーバーの不調? 

まあ、とにかく、そんなんで、
こ~~~んなに長く
パソコンを触らない日がつづくなんて。

信じらんない。

パソコンやさんも信じらんない。



ご心配をおかけした皆さんには
申し訳ないくらい、
ガンガン 元気いっぱいです。

でも こ~~~んなに ブランクがあると、
もう、どこから手をつけりゃいいのか。

しょうがないから、
やっぱり ゆっくり マイペースで
言い訳をしながら
ご挨拶に伺いましょう。

そして これからも
いままで通り 
てくてくと 続けていくことを
お許しください。