世界の個人の生きざまを見ていると、人が重要、国ではないと思います。
もし私がロシアで生まれ、成長し、事業・仕事をやるならばまずはロシアという条件下で頑張ります。ロシアでは事業・仕事がうまく行かないと思えば、外国に移住するかもしれません。
私は1940年日本の地方に生まれました。終戦で父は職を失い、倒産した会社から退職金の代わりにもらった布を売ったりして食材と換えていました。空き地を借りたりして父は農業のまねごとをやって家族の餓死を防ぎました。私は栄養失調で病気ばかりしていました。
アメリカなどから食料支援が始まってやっと食料事情がちょっと改善しました。
小学校教育は、戦後の価値観、憲法、つまり自由平等平和にもとづき、私も平等に教育を受けることができました。読む本と言えば当時は教科書しかありませんから期初に教科書をもらうとすぐ貪るように教科書を読み、覚えてしまいました。だから教科書知識は十分で小学校時代は優等生、中学時代も優等生、高校時代も優等生、大学も優等生、会社は、希望の会社に面接だけで合格、戦後の教科書教育だけで会社で新事業を企画実行できたので、実は戦後教育はよかったのではないでしょうか。私は幸福でした。
ところが政治は次第に反教科書的になり、アメリカとの安保条約、自衛隊、2000年を過ぎるとアメリカとの同盟となり、生産より、防衛力強化の動きが強くなり、日本の貧困化が顕著になりました。
国際機関はたびたび日本経済の衰退を警告しています。日本は先進国ではない、中進国との批判も強くなっています。経済成長率に至っては後進国と批判されています。
ところが岸田文雄内閣は日本の実態を認識せず、「強い日本」を演じて背伸び外交を続けています。到底戦争に勝てるような軍事力ではないのに戦争できる国になったと思いあがって、アメリカなどとの軍事演習に熱心です。貧困化を放置してどうして実力のある軍事力を持てるでしょうか。思い上がりにすぎません。現状は戦前日本の再現です。
日本を捨て外国に移住して自分の事業・仕事の発展を期すという生き方が重要になる時代が日本にも来るのかもしれません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます