
3月11日(金)14時半 隣のビルにある歯医者から戻り
椅子の背もたれを倒しうつらうつらしていた。
何か妙に頭がふらつくような気がするなと思っていると
カーペット敷きの床が浮き上がる。と瞬く間に建物全体が揺れだす
直ぐ部屋から飛び出す、息子、私、デザイナー女性が
スリッパから靴に履き替えようとして、もたついている。
大声で叫ぶ「靴を持って直ぐ出ろ」
玄関を飛び出す、その直後に建物外壁が崩れる音がするが
見もせずに柳橋に立つ。
橋の上は危険と察知して3人で両国橋手前の広い道路に避難
続々周囲の建物から人が出てくる。
立っていられないほどの揺れ、街路樹に掴まる。
周囲のビルが大きくしなる、崩れるのか倒れるのかと感じるくらい
揺らぐ。
デザイナー女性は目が赤く涙目になっている。
何がなんだか分からない。
寒い中、立ち尽くす、周囲の方々の話から東北で大地震が発生したらしい。
揺れが治まり事務所に戻る、TVを見る。
又揺れだす、直ぐに飛び出す。
幸い事務所はマンションの2階のためエレヴェーターを使わず降りられる。
靴を履いたままで事務所にいることにする。
夕方TV情報で地震が未曾有の大地震であることが判明。
交通機関も止まりだした。
早速 スーパーに行き食料品を買う。
今夜は帰れないと覚悟。
友人が車で現れる。その後取引先の方が来る。
携帯電話が繋がらなくなる。妻は病院から帰宅直後だった。
昼間一人で過ごすお袋が心配で同居する弟の電話いれるが
繋がらない。
娘から電話が入る。安否確認だ。
娘、今、霞ヶ関で防災担当もしているので
今夜は帰れないと言う。
夕闇迫る両国橋を船橋、千葉方面に徒歩で帰ろうとする方々が
続々渡る。車も渋滞しだす。
20時事務所に泊まる事を決める。
息子の嫁さんが江東区砂町から2時間半かけて徒歩でやってきた。
20時半 パソコンのメンテナンスをしてくれる方が寝袋を
持ってきてくれた。
23時、息子夫婦は明日友人の結婚式に出るので焦っていた。
友人が浦安に住むので葛西に住む息子夫婦を送って行った。
23時半 版下製作する方が寝袋と食料品を持ってやって来た。
新富町にある事務所が水道管破裂で室内が水浸しになった。
みんなでカップヌードル、焼き鳥、刺身、発泡酒、酒で
過ごすことにした。女性には折りたたみマットレスを敷き
他は毛布、寝袋に入る。
午前2時、両国橋を見ると、人々は橋に連なり黙々と千葉方向に歩いている。
車も渋滞。19時半頃 TVで都内交通機関が再開した情報を見て
取引先は横浜自宅に帰る。女性は八王子なので
馬喰横山から都営新宿線で京王線乗り入れ南大沢まで一本で行ける。
8時馬喰横山駅まで見送る。
版下製作の方も一旦事務所に戻り仕事再開。
私は殆ど寝ていないのでTVをつけて眠ることにする。
しかし時折の余震の揺れ落ち着かず眠れない。
総武快速はまだ運転再開していない。
黄色の総武線はTVで運転再開したとテロップが流れるが
隅田川鉄橋には渡る電車はない。
横浜に住むお袋にやっと連絡が付き安全であると聞く。
真向かいに住む奥さんが直ぐに駆けつけ、
自宅で世話してくれていた。
弟は上高井戸から5時間かけて戻ってきた。
その嫁さんの大学病院副院長は千葉佐倉にある看護学校
卒業式に出席していたため帰れず。
霞ヶ関にいる娘が気になり連絡を入れる。
今日も19時まで防災担当なので帰れない。
「心配しないで、お父さん帰って」
14時は 船橋に着き、病院で血圧の薬をもらう。
20時半 娘帰宅
安堵したかソファで寝入ってしまった。




