3月25日(金)我が家は計画停電第二グループ
18時20分から停電になるが実際には18時50分に停電になった。
妻には停電前に食事と風呂を済ませるように言う。
停電が終わるまで事務所で震災情報を見ながら
酒を飲み、8時過ぎ非常用のインスタントラーメンを食べていると
妻から停電は終わったと連絡してきた。
午後10時近くまで停電予定だったが?
やれやれ!帰ることにした。
9時半 自宅近くの居酒屋 (あんこう)で生ビールを一杯
店主は計画停電でも営業するのでロウソク立てが置いてある。
それでも暗い場合は車のライトを店に向けて営業すると言う。
自宅前のららぽーとは停電により営業が出来ない状態が続いている。
巨額な損失になるだろう。
弊社の商品もジュエリーショップに卸している。
じわじわと忍び寄る不況。
飲んでいると娘からメールが来る。
「午後10時半に帰宅できます」
1月に霞ヶ関本省勤務になり、慣れない仕事で苦しんでいたが
大震災になり、広報と防災担当もするようになり
夜半まで情報収集、昨夜は午前1時帰宅、午前2時私がトイレのため
起き上がると風呂にまだ入っていた。
午前4時半起床して始発電車で出て行った。
そして今帰る途中 2時間程の睡眠
3月26日(土)も朝早く霞ヶ関に行った。
本来は大好きなミュージカルを見に行く日だった。
必死、チケット予約をしているのを見ていた。
1万円のチケットが紙切れになったが
国難に対処すべき使命感が娘を我慢強く成長させている。
本当にご苦労様、お疲れ様
頑張ってください。
娘、息子、妻、私 義援金を送った。
但し、偽善銀行三井住友ではない他行から送金した。
浅草橋地下通路