3月21日(月)外は冷雨、被災地の絶望的苦境を思い、私が出来ることは何だろう。
希望、未来、将来、夢、愛、恋、結婚、出産、人間の未来への営みが
一瞬にして崩壊。
宗教家の慈しみの言葉も高名な哲学者啓蒙の文章も
神も仏も慰めにもならない空々しい教えにしか聞こえない。
生きていく思想を根底から変えてしまうのだろうか?
生まれ、学び、懸命に働きさえすれば貧しくともささやかな社会生活が過ごせると
誰もが思った。生きるために私も艱難辛苦を乗り越えてきた。
建設は死闘!
3月11日大地震発生からずっとテレビで原発事故の状況を注視してきた。
全てのメディアが政府からの情報、原子力専門家の解説、環境問題の学者
警察、消防、自衛隊、自治体の首長、が悲壮な表情で語っている。
しかし、東京電力社員の説明にずっと違和感というか、精神的覚悟というのが
感じられないでいた。彼らの言葉と顔にリアル感が無いのだ。
今日の新聞情報で、やはりと得心した。
テレビ会見する東電社員の無表情ともいえる青白い顔には
全く精気が感じられず、何やら専門用語で淡々と語る。
彼らは恐らく事態を飲み込めていないのだ。
無理も無い、東電という巨大企業に入社し民間とはいえ半ば公務員的
福利厚生を得てエリートの道を歩んできた。
順調に多少の躓きはあったとしても己が人生をひっくり返ることなど
万分の一もないと考えていた。
新聞報道にあるように原子力発電所の現場は全て関連と下請け企業
いわゆる丸投げである。
実際は彼らには現場を殆ど熟知していないのだろう。
あの炉の壁を触ったり、叩いたり、色はどんな色か
又周囲には芝が植えてあるのか、どんな樹木があり
石ころや貝殻が海辺までどのようにあるのか
夜の月明かりで見る炉はどのようなのか
そして数年に渡り昼夜を通して現場で働いた事など無いだろう。
家庭では良き夫、父であるが直面する激甚災害に呆然!
小さなミスであれば下請け責任をとらせれば済んだが
大災害は許されない。
私も大企業と直接仕事に関わること無いが数段階経て
私の所が実業をしているのだが、ファイナル会社の担当者は現場はおろか
品物も見たことなければ 物流ルート如何なる経路かも把握していない。
トラブル生じれば下請けに責任押し付ける。
状況認識不足の頓珍漢な指示と強制、それが更に混乱を招く。
決して彼らを非難しているのではない、危機に直面して困難を打開して
自らが解決した実体験などないのだろう。
だから現実的想像力が感覚的に実感できない。
東電が何ら防災機器を持たず要員も存在しない事に驚愕。
簡単にギブアップしてしまい、慌てた首相が明け方東電本社に怒鳴り込む。
東電の役員が会見説明にも出ないのも奇妙だ。
しかし、自衛隊の幹部将軍?引き締まる凛とした表情、自衛隊の国民を守るのだという覚悟の顔、消防隊員の災害者を救出するのだという決死の使命感がテレビ画面から伝わる。
日本国の沈没が秒読み段階なのに未だ政党は自らの利害だけで動く。
先々週 三井住友銀行日本橋プラザに融資相談に行ったが
定期預金は担保にする、資産は状況を調べる。
のらりくらりで誠実な対応しないので借入金を逆に一括返済した。
信用金庫に出向くと支店長はじめ融資担当者も災害による
中小零細が苦境になるので懇切丁寧のアドバイスをしてくれる。
政府も金融機関には通達してあるだが三井住友銀行は
やはり、中小零細企業現場を見ることなく、自らが損しない責任回避の方法を探る。
今回の震災で三井住友銀行が災害義援金の受付窓口になっているが
偽善者ぶりにあきれる。
道元禅師の言葉に「合水和泥」という言葉がある。
自分が水に濡れ泥にまみれなければ、溺れている人を助けることできないという意味。
溺れる人を見て、自分の身を濡らさずに「その人を助けろ」声高に叫んでも
信頼されない。
唯 全国にいる東電の社員は殆どが誠実に身近に仕事をしているのも事実。
私の親族にも勤務者がいて懸命に地方で働いている。
願わくは 震災復興後も私達の税金で原発再開は止めて頂きたい。