コロナウイルス感染続編から 日本での食中毒事件
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今から40年前 昭和55年12月25日 クリスマスパーティーでの中毒発症事件です。
労組書記長になって初めての秋闘で激しい連日連夜のバトルの末
賞与満額回答
秋2.5カ月 夏3.5カ月 年6カ月で合意。
しかし、妥結後、労務課長から信じられない
書面を見せられる。
前書記長との交渉員メモとする合意文書。
今後 秋1.5カ月 夏2.5カ月 年4カ月の賞与とする
裏秘密交渉メモ。
労務課長と前書記長の直筆サインがある。
「引き継ぎがないとは言わせない」
労務課長は尊大に言い放ち
テーブルのメモを眼前に突きつけた。
不当な書面を破棄する闘いは難攻した。
組合員を裏切る執行部の馴れ合い御用組合化に呆然。
万事休す!
眠れぬ日々が続いた。
管理部長と1対一で交渉。
私は言った。
「書面は分かった」
「組合速報に、交渉員メモを公開します」
管理部長は青ざめた。
これにて、メモは破棄され社内犯罪は闇に葬られた。
経営陣の悪質な行為。
表面の皮を1枚剥いでみれば
その下には極めて深刻な背任行為があった。
公になれば、手首の傷を負うのではなく
息の根を止めることになる。
秋闘を表面上は 穏やかに終わった。
組合員の7割が20代の女性が占めていた。
組合員の雇用待遇等を確保するだけでなく
福利を充実させ、組合組織活性化が重要であると痛感した。
組合員のクリスマスパーティーを開催した。
会社が経営する大手町のレストランと
ホールを貸し切った。
約120人が参加した。
女子組合員は大喜び
勤務場所が、ホテルの旅行相談ブースであるので
少人数勤務箇所であり、互いの交流が薄かった。
大雨の夜であったが午後9時 解散。
翌日、予期せぬ事が発生していた。
女性が体調不良で休んだのだ。
それも、一人二人ではなかった。
会社側は組合主催のクリスマスパーティーを
こころよく思っていなかった。
非難する言葉として、仕事に支障を来たした。
書記次長から、「欠勤扱いにするとの管理部が言っています」連絡が入る。
私も三日後、吐き気と高熱で動けなくなり休んだ。
自宅に都庁にある保健所から電話が入った。
当時 都庁は有楽町にあった。
電話口で驚くべき事実を知らされた。
「クリスマスパーティーで食中毒が発生しました。
ついては、責任者からお話を伺いたい」
ただならぬ事態。
体調不良であったが、保健所に向かった。
当時の都庁は劣化した遺跡のような建物。
保健所のイメージである清潔感はなく
案内された個室は、壁紙が黄ばんで
煙草のヤニ汚れこびり付いていた。
丸テーブルで待つと、4人の中年男性が入室。
4人は名刺も出さず名乗らない。
体調が快復せず、胃袋はから
酸が喉へ吹き上げ室内に充満した。
続く