馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

青春無頼17歳の焦燥Ⅸ 母との確執。

2021-08-10 07:09:42 | 日記
青春無頼17歳の焦燥Ⅷ 恋する山々。


続きです。
17歳の思春期の葛藤は続く。
両親と折り合いは日毎に険悪になる。
父が新潟越後で客死してからは

ますます険悪になった。
松濤の介護病院で暮らす96歳のお袋は既に
認知症であり息子を認知できない。
コロナ禍で1年以上会っていない。
回想する。
義父が11月に死去した翌年
3月20日の春分の日
義父の法要が親族も集まり決まった。
長女の夫である私は式典を司る立場。
お袋から電話が入った。
「喜寿の祝いを3月20日にするから実家に来なさい」
「当日は、義父の法要があるから、喜寿の祝い日を変えてくれ」
お袋はその願いを無視して親族を集めた。
何という意地悪。
月日は経って、耳に入ったのは
「次男は自分勝手でワガママなので来ない」
お袋の言い訳に驚きはしなかった。
脳内は真っ暗な闇の中にいて
これからどうすればいいのか
まともな考えが浮かばなかった。
何カ月も空白の日々を過ごした。
お袋、兄、弟に手紙を送った。
絶縁状の書面。
直ぐに兄から連絡があった。
「お袋の言葉は致命的だ」
「許してやってくれ」
何度も言った。
黙っていた。
歳月は過ぎた。
私が引っ越したのも知らせなかった。
実家近くの役所に手続きがあり出かけた。
実家に寄った。
お袋は突然の訪問に狼狽。
直ぐに帰ろうとした。
お袋は大声で呼び止めた。
私は声ならぬ声で怒鳴った。
「待ちなさい、興奮しないで」
「薬を差し出しこれを飲みなさい」
無視して駅に向かった。
12年前、妻は子宮頸がん発症。
弟の嫁さんは大学病院の副院長兼看護部長
緊急手術看護学会の理事長でもあった。
その伝手で妻は大学病院で集中治療を受けた。
その大学病院には、お袋も自宅で倒れ
入院中であった。
お袋との再会であった。
院内では、お袋は手厚い看護であり
看護室隣の個室であった。
お袋は自慢げに、孫(私の息子)は
この病院の大学付属の中高出身であると
看護師や周囲に語った。
息子が見舞いで来ると
「お前のお父さんを一番可愛がった」と言った。
裏返しの弁明であった。
孫には優しい。
兄は娘二人。
孫の男の子には
留学費用も出した。
私への贖罪があったのだろう。


松濤の介護病院に移った。
4年前、弟と介護病院に見舞いした。
お袋はベッドの横たわり
私を睨みつけ、
「お前など来るな」と叫び私を叩こうとした。
数日前 兄が訪れていた。
認知が急速に進んだだろう。
私が兄を殺したと思い込んだのだ。
弟は叱りつけた。
96歳のお袋と74歳の次男
心の隔たり縮小することはない。
コロナ禍前 毎週、見舞いに行った。

まもなく命の微かな灯も消える。
貧しい中で、栃木の寒村から都会に出てきた父と母。

3人の息子を食べさせるため余裕などなかった。
後年 お袋は母乳が出ず
泣き叫ぶ次男を放置せざるえなかったと聞いた。
戦後直ぐ都会の片隅で懸命に生きていた。
残り日が尽きるまで
優しく無言で接するのだ。
非行少年にならず、犯罪にも手を染めず
波乱万丈の人生行路。
続く。