青春無頼19歳の焦燥11 身代わり受験。
続きです。
予備校に通うことになったが、配布されたテキスト内容jは
遥かに僕の頭上を越えていた。
中学時代の高校受験参考書があったので
お得意の馬鹿は丸暗記しかない。
理解力など無い。
スライド写真の如く頭にコピーするのだ。
予備校が英語テキストは分厚くて見ただけで
うんざり、戦意喪失。
これも5回書き取り丸暗記。
後にこのテキスト構文が良く出来ていることに気付き保存。
英文解釈の一文が、気に入って、
成る程、英語を日本語に訳すと、このような繊細な文章になるのだと
魅かれた。
現在もこの参考書だけ50年以上書棚に飾り
英文ではなく、日本語訳を読む。
だが、社会人になって英語は空きっし
聴き取れない、話せない。
北京語は、30代になって
少し通用したが、
20年以上前から使うはなくなり
頭脳劣化で、北京語を話しているつもりだが
会話相手は日本語だと思い通じない。
東大哲学科出身の講師は、情感漂う講義ではないが
淡々と歯切れよく、解読する。
文章とはこうやって組み立てるのか
凄いと思った。
俺には、こんな頭の構造はない。
だが、テスト結果は下位に低迷
一向に上向かない。
土日は、バイトか一人登山に出かけた。
勉強からの逃避であった。
半年間 通った。
後期は金もないので止めた。
野毛の図書館でお勉強。
無料だった野毛山動物園をぶらぶら。
大学進学も勉強していないのとお金がないので諦めていた。
学校とバイトの合間に独りで山登りに行った。
精神の高揚を登山で燃焼させないと心身が不安定になるからだった。
19歳、中学教科書を取り出し勉強始めた。
教科も私は旧課程だったが入試は新課程になっていた。
私学を受けたが軒並み不合格だった。
頭の回転は他人より格段遅いし覚えも悪かったので
いたし方なかった。
最後の合格発表をどうせ落ちると思い夕方見に行った。
諦めて職探しでもと考えた。
発表掲示板の補欠合格から見たが私の番号は無かった。
一応念の為、正規合格の番号をなぞると私の番号があった。
教務窓口で受験票を渡すと合格書類と別封筒を渡された。
自宅で別封筒を開けると 「月額○○円奨学金支給」とあった。
年間にすると1年分の学費相当だった。
こうして大学入学した。
奨学金とビルの窓拭きで一定の学生生活ができるようになった。
清掃会社からビルの窓拭きを下請けで請け負ったのだ。
当時は命綱など無く、手すりに捕まってクレンザーを浸した雑巾で拭き
その後、からぶき雑巾で拭き取った。
後に予備校講師になった兄によれば
最も受験競争の激しい世代で一浪2浪は当たり前。
北アルプスで滑落死した
同期は自慢げに
「俺 入学式数日前、補欠合格が届いた」。
正規合格者は殆ど他大学へ
補欠合格も他大学へ
他の連中は滑り止め受験であったが
僕はそんな余裕などなく、本気合格を目指した。
当時、年額授業料が6万円だった。
受験生殺到した。
5千円の奨学金支給は授業料相当分。
わあ~い、これで無頼の無職少年から身分証明書がある成人男子になる。
続く。