日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

翻訳して、通訳する?

2017-10-03 21:22:07 | 神様等について
こんばんは。
今朝は昨日の雨も上がり、気温も上がって蒸す感じはしませんでしたけれど、久しぶりでちょっと暑いかなというような日でした。
まだ十月に入ったばかり、多少暑くても不思議ではありませんね、むしろこれまでの方がかなり早めの秋の到来を思わせる気候でしたので
このくらいで丁度良いのかもしれません。
それとは全く関係ありませんけれど、昨日も今朝もアラームが鳴っても、なかなか起き出せませんでした、ムムムッ;。
体力、つけねばです。
そんな今朝は此方。
この後、だんだんと晴れ渡って来ました。



                                




昨日、お風呂の中で頭に響いてきた言葉があると申しましたけれど、もう一つありました。
それは湯船のお湯、これは清浄なる水を使えということを言われた気がします。
どういうことかを説明致しますね。
今我が家は自分一人で他にはおりません。
息子と二人の時は、当然毎日お湯は張り替えておりましたけれど、自分一人となると身体を洗い湯船に浸るだけのことですのでそれほど汚れる
こともなかろう、第一に勿体無いと考えて一人になった頃から、真夏はともかく九月に入った頃から二日ほどは同じお湯を追い焚き、あるいは
お湯を足すなどして、そのまま使用しておりました。
(洗濯機は外にある家ですので残り湯を洗濯に使うのも難しく、せいぜいがトイレ掃除などに使っているくらいでした。)
ですけれど、お祓いなどをして疲れて帰り、そのままのお湯を今一度使うということは、もしかすると前日にお風呂で落とした穢れ、この場合は
身体の汚れというよりも、目に見えぬものの汚れを今一度自分の皮膚に取り付けるようなことになるのかもしれません。
これまでもあまりにしんどい時等は、神様にお供えしていた塩を溜めていたものをバッサリ湯船に投入して入浴したりもしておりましたけれど
同じお湯を使うということはしておりませんでした。
ご家族がおられるご家庭ではこのように何度も同じ湯を使うということ自体、まず無い話だと思いますけれど、自分一人になった分、勿体無い精神を
発揮したのは、この場合良くなかったようでした。
神道では殊に新しいもの、また清浄なるものを良しとする旨があります。
穢れを祓わせて頂く側の本人が、自らまた汚れをつけるような行いは慎むべきなのだな、と改めて感じた事でした。
残り湯は、やはり掃除等に使わせて頂く事と致します。




                               
                                


昨日の事とあわせて湯船のお湯の件等、頭の中へ何かが伝わる時は、言葉が入るというよりも様々な事柄が頭の中へそのまま入ってくる感じがします。
その一々を、自分で今一度自分自身に分かるように翻訳して言葉に直してから、頭で理解出来るようにしている感じです。
説明するのが難しいのですけれど、多くの事柄が申すように言葉として入ってくるというのとは、実のところ少し違うように思えます。
伝えたい事が次々に入って来、それらを片っ端から同時通訳のようにして自分に分からせているとでもいうような感じです。
ですので、その時は頭に入る事柄をそのままダイレクトに受け取りながらも、同時に言葉として理解して行こうと自分自身がしているように思います。
後にそれを振り返り、このように言葉に起こそうとするとその時の細かいニュアンスとは少しずれが出て来ているのかもしれません。
こう書いていても、どうにももどかしい感じなのですけれど;。
説明になっているのかどうか、それも怪しい感じですよね、すみません;。



                               
                          


これも以前に申しましたけれど、神様の言葉、いわば「みくじ」と呼ばれる言葉を下ろすような時も、このような事かと思います。
今よくスピリチュアルといわれ、チャネラーと云われている方などはおそらくこのような事をご自分の頭の中でされておられるのではと思います。
上から下りて来る事柄を今一度自分の中で殆ど瞬間的に同時通訳しながら、自分や他の人達に分かるように言葉として口をついて出しておられる
のだと感じます。       
ある意味、自分自身はその間何も考えておりません。
敢えて言葉を変えて言えば、空っぽの中へ駄々漏れ状態のようにして雪崩れ込んでくる事柄を瞬時に翻訳して言葉で出してきているということ
だと思います。
ですので自分もよくあるのですけれど、あの時こう言われたとか、後にひと様に言われたりするのですけれど、自分が意識して喋った言葉では
ないので、自分でもそうだったんですかというような事は往々にしてあります。
いわば、同時翻訳、通訳しつつも無意識でもあり、より言葉を変えていうならば、まるでラジオのようなものといえるのかもしれません。
ただし、これはやはりあくまでも自分自身についての事となりますので、どなたもが一様にそうであるのかは分かりかねるものです。



                               



今日は全然別の事を書こうと考えておったのですけれど、このような文面となりました。
何がどう、ということは全く無いのですけれど。
もう少し面白い話が良かったのですけどもね;。
また明日にでも書かせて頂ければと思います。

こんな本日のブログへのお付き合い、皆様いつも本当に有難うございます。
感謝申し上げます。
コメント (2)
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