こんばんは。
昨日から申しておりましたように昼頃までは台風の雨が降っておりました。
とはいえ降り方はごく普通の雨模様であり、それほど風が強いわけでもなく、穏やかに過ぎていったように感じます。
吹き返しといわれる風もさほど吹いたようにはなく、午後からは晴れ間も覗く一日となりました。
朝はご覧のように雨ではありましたけれど。
昨日申しておりましたこと、祝詞奏上の後に頭に入って来たことを書かせて頂こうと思います。
日にもよりますけれど、大体このところ毎日のように頭の中へ言葉やら映像やらが浮かんできます。
これも毎回申すが如く、全くの個人的な感覚ですので、どこまでが本当のことなのか確信は持てません。
ですけれどそう思う度、自分が否定する度に、これは事実であると、これもまた頭の中へ言葉が入ります。
解釈はどのようにして下さっても、当然構いません。
自分で書き留めておいたものをそのまま載せております。
オバサンの独り言、と受け止めて頂ければと思います。
神殿で祝詞奏上の後、奉幣(ほうへい)を振りながら頭に入ってきた。
自分の1、2メートル上の頭上に黒いような龍?
私を見下ろしている
連れて行こう 参れ (そう言われたのか?)
そこから様々な色の龍?が絡まって昇って行く
次第に白く輝く白いいつもの虹色の龍になり、太陽の光目指して駆け上がる
成層圏を抜け、やがて太陽ではなく銀河宇宙の中心へ
そこからの眩い強烈な光を浴びる
龍は 「参れ」(私にか?)
想念の中で自分自身が皮が剥けるように幾層も古い皮を脱ぎ捨てて行く
古い自分は光が当たらなくなり暗くなる
そんな自分があちこちにポツンと浮かんでいる
今これからの自分 身体に光を存分に浴びている
暗い所にある、それまでの自分とは違う自分
それまでの自分にはもう光が当たらない
〝 其(そ)は 我
我は 其
古き殻を 脱ぎ捨て
次の 自分に 移るべし
我は 宙(そら)
宙は 其であり 其は 宙である 〟
これらのこと、拡めるべし
これにより 豊かさ(が参る)
循環させること
ここで少し補足致しますと、最初に出てくる奉幣(ほうへい)というものですけれど、これは神様の御前で、白い幣(ぬさ)を白木に取り付けた
ものを左右の腕で持ち、静かに左右に振ることを致すものです。
これもネット等でご覧になられると、此処で説明致しておりますことと違いがありますけれど、今回の事に関しましてはそのように致すということで
解釈して頂ければと存じます。
実際にしておりますところを見て頂く方が早いかとは思うのですけれどね;。
ともあれ、そのようして奉幣を振っております時に見えてきたものです。
この時には目を閉じて、祈念を致しますのでその際の事です。
載せておる、このまずい図;は、その折に自分がノートに書いたものです。
自分が後で分かればいいと思い書いておりますので、下手くそなのはすみません;。
黒く塗りつぶしているのが龍、横に見えるのが烏帽子(えぼし)を被った自分ということです。
皮が剥けていく自分というのは、見えていたのは筍?みたいに次々と皮がむけていくような感じで見えておりました。
筍の真ん中に自分がいるという感じですね。
そんな皮を剥けているような、それとも途中なのか、そういう風な自分が暗い中へあちこちへ、ポツン、ポツン、と浮かんでいる感じです。
想像すると、なんともシュールな絵がこれまた浮かびますけれど;。
その中で、一番新しい自分にだけ眩いほどの光が頭上から降り注いでいます。
強烈ともいえる光に照らし出された自分がそこに居る感じです。
ちょうどそこだけスポットライトが当たっていると考えて下さると、よく分かるかと思います。
後の古い自分?は、既に暗闇の中にあるようですけれど、光も当たらず、その存在すら覚束ないようです。
また響いてきた言葉は、そのまま文字に書き起こした感じです。
漢字は頭に浮かんだままの文字を書いております。
宙と書いて、そらと読んでおるようでした。
これもまた、ほんまかいな;?な言葉ですけれどね。
しかしながら、浮かんできたイメージは確かにこのように感じられたのでした。
続いて、これもまた我が家の御霊舎(みたまや)、仏教でいうところの御仏壇の前でいつもの祖霊祭詞(それいさいし)を奏上した後に頭に浮か
んだ事柄です。
いつもはこのようなことはあまりないのですけれど、昨日はその折に感じた事をノートに書き記しておりましたので、併せて載せてみたいと思い
ます。
御霊舎の前で 今のこの自分の肉体を作ってくれてきたのは
このご先祖方
この先祖があるからこそ 今の自分の肉体がある
有難い 感謝の念
蓮の花 宇宙の光を 集めて咲く花
ロータス
全ての花は 皆 そうであるが
特に この花は そう
このような事を書き記しておりました。
前と同じく下手くそな絵は、その時に自分が頭に感じ、浮かんだことを描いておったものです。
御霊舎の前で、いくらご先祖様をお祀りしておるといいましても我が家は当然神道ですし、なんぼ何でもお釈迦様が頭に浮かぶなどということは
ついぞ、これまで無かったのですけれど;。
あまりにも奇異なこととして感じられたが故に、敢えてこのようにして自分でもメモを取るようにして書いておいたのだと思います。
釈迦の姿は、この絵とは似ても似つかぬ(当たり前;)とても穏やかな、あの半跏思惟像(はんかしゆいぞう)のお顔が浮かんで来ておりました。
まぁ、自分でどのように感じたものか、前半部分の、この肉体を作って下さったのは、此処におられるご先祖方というのは、その時に実際に感じた
ものです。
蓮の花と釈迦?の顔は、その後に浮かんできた映像でした。
また、一つお断りさせて頂きたいことは、釈迦と菩薩の違いを全く存じておらず、混同して考えておったかもしれません。
全く別のものを頭の中で勝手に解釈致しておりましたならば、この場をお借りいたしましてお詫び申し上げます。
申し訳御座いません。
いずれに致しましても、このような事柄を頭の中に感じていた昨日でした。
今日も今日とて、何やら頭に入ってきたことがあります。
それもやはりノートに記しておりますけれど、これはまた次の機会に致したいと思います。
自分自身が感じ取ったことばかりですので、それまでのことではありますけれど。
毎度ながらの稚拙な当ブログ、お越し頂きお付き合い下さいました皆様、有難うございました。
感謝申し上げます。
昨日から申しておりましたように昼頃までは台風の雨が降っておりました。
とはいえ降り方はごく普通の雨模様であり、それほど風が強いわけでもなく、穏やかに過ぎていったように感じます。
吹き返しといわれる風もさほど吹いたようにはなく、午後からは晴れ間も覗く一日となりました。
朝はご覧のように雨ではありましたけれど。
昨日申しておりましたこと、祝詞奏上の後に頭に入って来たことを書かせて頂こうと思います。
日にもよりますけれど、大体このところ毎日のように頭の中へ言葉やら映像やらが浮かんできます。
これも毎回申すが如く、全くの個人的な感覚ですので、どこまでが本当のことなのか確信は持てません。
ですけれどそう思う度、自分が否定する度に、これは事実であると、これもまた頭の中へ言葉が入ります。
解釈はどのようにして下さっても、当然構いません。
自分で書き留めておいたものをそのまま載せております。
オバサンの独り言、と受け止めて頂ければと思います。
神殿で祝詞奏上の後、奉幣(ほうへい)を振りながら頭に入ってきた。
自分の1、2メートル上の頭上に黒いような龍?
私を見下ろしている
連れて行こう 参れ (そう言われたのか?)
そこから様々な色の龍?が絡まって昇って行く
次第に白く輝く白いいつもの虹色の龍になり、太陽の光目指して駆け上がる
成層圏を抜け、やがて太陽ではなく銀河宇宙の中心へ
そこからの眩い強烈な光を浴びる
龍は 「参れ」(私にか?)
想念の中で自分自身が皮が剥けるように幾層も古い皮を脱ぎ捨てて行く
古い自分は光が当たらなくなり暗くなる
そんな自分があちこちにポツンと浮かんでいる
今これからの自分 身体に光を存分に浴びている
暗い所にある、それまでの自分とは違う自分
それまでの自分にはもう光が当たらない
〝 其(そ)は 我
我は 其
古き殻を 脱ぎ捨て
次の 自分に 移るべし
我は 宙(そら)
宙は 其であり 其は 宙である 〟
これらのこと、拡めるべし
これにより 豊かさ(が参る)
循環させること
ここで少し補足致しますと、最初に出てくる奉幣(ほうへい)というものですけれど、これは神様の御前で、白い幣(ぬさ)を白木に取り付けた
ものを左右の腕で持ち、静かに左右に振ることを致すものです。
これもネット等でご覧になられると、此処で説明致しておりますことと違いがありますけれど、今回の事に関しましてはそのように致すということで
解釈して頂ければと存じます。
実際にしておりますところを見て頂く方が早いかとは思うのですけれどね;。
ともあれ、そのようして奉幣を振っております時に見えてきたものです。
この時には目を閉じて、祈念を致しますのでその際の事です。
載せておる、このまずい図;は、その折に自分がノートに書いたものです。
自分が後で分かればいいと思い書いておりますので、下手くそなのはすみません;。
黒く塗りつぶしているのが龍、横に見えるのが烏帽子(えぼし)を被った自分ということです。
皮が剥けていく自分というのは、見えていたのは筍?みたいに次々と皮がむけていくような感じで見えておりました。
筍の真ん中に自分がいるという感じですね。
そんな皮を剥けているような、それとも途中なのか、そういう風な自分が暗い中へあちこちへ、ポツン、ポツン、と浮かんでいる感じです。
想像すると、なんともシュールな絵がこれまた浮かびますけれど;。
その中で、一番新しい自分にだけ眩いほどの光が頭上から降り注いでいます。
強烈ともいえる光に照らし出された自分がそこに居る感じです。
ちょうどそこだけスポットライトが当たっていると考えて下さると、よく分かるかと思います。
後の古い自分?は、既に暗闇の中にあるようですけれど、光も当たらず、その存在すら覚束ないようです。
また響いてきた言葉は、そのまま文字に書き起こした感じです。
漢字は頭に浮かんだままの文字を書いております。
宙と書いて、そらと読んでおるようでした。
これもまた、ほんまかいな;?な言葉ですけれどね。
しかしながら、浮かんできたイメージは確かにこのように感じられたのでした。
続いて、これもまた我が家の御霊舎(みたまや)、仏教でいうところの御仏壇の前でいつもの祖霊祭詞(それいさいし)を奏上した後に頭に浮か
んだ事柄です。
いつもはこのようなことはあまりないのですけれど、昨日はその折に感じた事をノートに書き記しておりましたので、併せて載せてみたいと思い
ます。
御霊舎の前で 今のこの自分の肉体を作ってくれてきたのは
このご先祖方
この先祖があるからこそ 今の自分の肉体がある
有難い 感謝の念
蓮の花 宇宙の光を 集めて咲く花
ロータス
全ての花は 皆 そうであるが
特に この花は そう
このような事を書き記しておりました。
前と同じく下手くそな絵は、その時に自分が頭に感じ、浮かんだことを描いておったものです。
御霊舎の前で、いくらご先祖様をお祀りしておるといいましても我が家は当然神道ですし、なんぼ何でもお釈迦様が頭に浮かぶなどということは
ついぞ、これまで無かったのですけれど;。
あまりにも奇異なこととして感じられたが故に、敢えてこのようにして自分でもメモを取るようにして書いておいたのだと思います。
釈迦の姿は、この絵とは似ても似つかぬ(当たり前;)とても穏やかな、あの半跏思惟像(はんかしゆいぞう)のお顔が浮かんで来ておりました。
まぁ、自分でどのように感じたものか、前半部分の、この肉体を作って下さったのは、此処におられるご先祖方というのは、その時に実際に感じた
ものです。
蓮の花と釈迦?の顔は、その後に浮かんできた映像でした。
また、一つお断りさせて頂きたいことは、釈迦と菩薩の違いを全く存じておらず、混同して考えておったかもしれません。
全く別のものを頭の中で勝手に解釈致しておりましたならば、この場をお借りいたしましてお詫び申し上げます。
申し訳御座いません。
いずれに致しましても、このような事柄を頭の中に感じていた昨日でした。
今日も今日とて、何やら頭に入ってきたことがあります。
それもやはりノートに記しておりますけれど、これはまた次の機会に致したいと思います。
自分自身が感じ取ったことばかりですので、それまでのことではありますけれど。
毎度ながらの稚拙な当ブログ、お越し頂きお付き合い下さいました皆様、有難うございました。
感謝申し上げます。