こんばんは。
お天気は悪いままですね、夕方近くになり、また降って来ました。
いい加減、うんざりすますね。
台風21号がまたどうなることやらと言われておりますし、当分青空は望めそうにないのかもしれません。
朝は、このような曇天でした。
青空見えませんでしたけれど、以前撮っていた写真をこの機会に載せたいと思います。
この中で渦を巻いたように見える雲のそれは、自分のライン用の写真として使用している位、好きなものです。
日付を見ると、一昨年の10月となっておりました。
あの頃はこれくらい、日々晴れていたということでもありますね。
ちょうど、ある氏神様のところへ参拝致しますとこんな不思議な雲が出ていたので、嬉しくなってパシャパシャ撮ってたのを覚えております。
そんな神様の社の前にどこかの子でしょうか、境内にある銀杏の葉っぱをお供え?していましたよ。
やがて、渦を巻いた雲は、このような形で崩れて行っておりました。
先だってから龍が、と申しておりますけれど、これとて見ようによってはそのように見えなくもないかもしれませんね。
この『龍』という字を吉野信子氏が提唱しておられますカタカムナの一文字ずつに当てはめて考えてみますと
リ 離れる
ュ (自然に)湧き出る
ウ 生まれ出る
となるようです。
これを続けて考えてみると、
「離れながら(自然と)湧き出てきて、生まれてくる」
となりますね。
なお、括弧で囲んだのは、小さい文字は意図しない自然現象を表すとされているようですので、このように表記してみました。
しかし、離れて 自然に湧き出てきて 生まれ出る、とはどういうことなのでしょうか。
これらの言葉を繋げながら考えてみると、どこかある場所から何かが自然に湧き出るように生まれ出てくる、まぁ、言葉そのままですけれど
これって、ふとエネルギーであるとか、或いは水であるとか、そういうことなのではと感じました。
水の流れ、すなわち水流、「りゅう」の文字が出てきます。
ダジャレのように思われるかもしれませんけれど、言葉はある意味、同じものを表しているともされております。
(このことは最初の頃に書かせて頂いた中にあるかと思いますけれど、すみません;自分でも今捜しましたけれどわかりませんでした;)
「りゅう」をそのように考えてみると、これもまた流れるような身体つきをしているとも思えなくもありません。
龍は水であり、エネルギーであり、流れるが如くに次々に生まれ出てくるもの、そういえるのかもしれません。
そう思うと龍を祀るとされる神社には、手水舎のその水の注ぎ口に龍のそれが備えてあるのも、ある意味うなずけるものがあります。
この龍の文字を今度は数霊(かずたま)という言葉で表現されておられる
深田剛史氏 はせくらみゆき氏共著による『宇宙一切を動かす「数霊の超メッセージ』〔株)ヒカルランド刊行〕
で見てみますと、この龍という文字はその数霊によれば「86」という数字で表され、これは
「86は神の眷属(けんぞく)としての龍のハタラキを持つ数霊です。・・・」
と書かれており、やはり龍を表しているのだとされているようですね。
この「86」の数字をもう一回、自分の解釈ではありますが8と6を足して一桁の数字になるまで足していってみました。
そうすると最終的には「5」という数字になります。
この「5」をこの数霊で見てみると
「大自然・宇宙の意志を表す数霊で縦のハタラキを示し、変化をもたらすと同時に中心性を表す。
日、霊、陽から生まれた生命の息吹を感受して神意と共に生きる様を示している。」
と書かれております。
またその含まれるキーワードの中に
「〝縁・円〟〝阿吽〟〝王〟」
とも書き記されております。
何とはなしに龍の概念に通じるところがあるのでは、と感じたのでした。
ただし、申すようにこの「5」という数字についての龍との結びつきは全くの自分自身の解釈であり、そうであるかは想像の域を出ないという
ことは付け加えさせて頂きます。
どうにも自分の揚げた写真から、またまた龍についてツラツラと考えてしまいました。
どんだけ好き?という感じですけれど;。
まぁ、もしかするとしばらく続くかもしれません、その節は何卒ご容赦のほどを。
最後は、これもまた2年程前に参りました折の出雲大社の写真を載せて、今日を終わらせて頂こうと思います。
写真中央、少しだけ覗いております千木、鰹木とちゃん塗り(緑色の部分)が見えております屋根が御本殿となります。
本日もまたもや稚拙な解釈;のこのブログへのお付き合い、誠に有難うございました。
感謝申し上げます。
お天気は悪いままですね、夕方近くになり、また降って来ました。
いい加減、うんざりすますね。
台風21号がまたどうなることやらと言われておりますし、当分青空は望めそうにないのかもしれません。
朝は、このような曇天でした。
青空見えませんでしたけれど、以前撮っていた写真をこの機会に載せたいと思います。
この中で渦を巻いたように見える雲のそれは、自分のライン用の写真として使用している位、好きなものです。
日付を見ると、一昨年の10月となっておりました。
あの頃はこれくらい、日々晴れていたということでもありますね。
ちょうど、ある氏神様のところへ参拝致しますとこんな不思議な雲が出ていたので、嬉しくなってパシャパシャ撮ってたのを覚えております。
そんな神様の社の前にどこかの子でしょうか、境内にある銀杏の葉っぱをお供え?していましたよ。
やがて、渦を巻いた雲は、このような形で崩れて行っておりました。
先だってから龍が、と申しておりますけれど、これとて見ようによってはそのように見えなくもないかもしれませんね。
この『龍』という字を吉野信子氏が提唱しておられますカタカムナの一文字ずつに当てはめて考えてみますと
リ 離れる
ュ (自然に)湧き出る
ウ 生まれ出る
となるようです。
これを続けて考えてみると、
「離れながら(自然と)湧き出てきて、生まれてくる」
となりますね。
なお、括弧で囲んだのは、小さい文字は意図しない自然現象を表すとされているようですので、このように表記してみました。
しかし、離れて 自然に湧き出てきて 生まれ出る、とはどういうことなのでしょうか。
これらの言葉を繋げながら考えてみると、どこかある場所から何かが自然に湧き出るように生まれ出てくる、まぁ、言葉そのままですけれど
これって、ふとエネルギーであるとか、或いは水であるとか、そういうことなのではと感じました。
水の流れ、すなわち水流、「りゅう」の文字が出てきます。
ダジャレのように思われるかもしれませんけれど、言葉はある意味、同じものを表しているともされております。
(このことは最初の頃に書かせて頂いた中にあるかと思いますけれど、すみません;自分でも今捜しましたけれどわかりませんでした;)
「りゅう」をそのように考えてみると、これもまた流れるような身体つきをしているとも思えなくもありません。
龍は水であり、エネルギーであり、流れるが如くに次々に生まれ出てくるもの、そういえるのかもしれません。
そう思うと龍を祀るとされる神社には、手水舎のその水の注ぎ口に龍のそれが備えてあるのも、ある意味うなずけるものがあります。
この龍の文字を今度は数霊(かずたま)という言葉で表現されておられる
深田剛史氏 はせくらみゆき氏共著による『宇宙一切を動かす「数霊の超メッセージ』〔株)ヒカルランド刊行〕
で見てみますと、この龍という文字はその数霊によれば「86」という数字で表され、これは
「86は神の眷属(けんぞく)としての龍のハタラキを持つ数霊です。・・・」
と書かれており、やはり龍を表しているのだとされているようですね。
この「86」の数字をもう一回、自分の解釈ではありますが8と6を足して一桁の数字になるまで足していってみました。
そうすると最終的には「5」という数字になります。
この「5」をこの数霊で見てみると
「大自然・宇宙の意志を表す数霊で縦のハタラキを示し、変化をもたらすと同時に中心性を表す。
日、霊、陽から生まれた生命の息吹を感受して神意と共に生きる様を示している。」
と書かれております。
またその含まれるキーワードの中に
「〝縁・円〟〝阿吽〟〝王〟」
とも書き記されております。
何とはなしに龍の概念に通じるところがあるのでは、と感じたのでした。
ただし、申すようにこの「5」という数字についての龍との結びつきは全くの自分自身の解釈であり、そうであるかは想像の域を出ないという
ことは付け加えさせて頂きます。
どうにも自分の揚げた写真から、またまた龍についてツラツラと考えてしまいました。
どんだけ好き?という感じですけれど;。
まぁ、もしかするとしばらく続くかもしれません、その節は何卒ご容赦のほどを。
最後は、これもまた2年程前に参りました折の出雲大社の写真を載せて、今日を終わらせて頂こうと思います。
写真中央、少しだけ覗いております千木、鰹木とちゃん塗り(緑色の部分)が見えております屋根が御本殿となります。
本日もまたもや稚拙な解釈;のこのブログへのお付き合い、誠に有難うございました。
感謝申し上げます。