こんばんは。
また少し寒の戻りという感じの日でしたね。
夕方になると先ほどまでよいお天気だったのが急に曇って来ました。
明日はまた雨だとか。
酷く降らねばよいけれどと思います。
朝は眩しい朝日でした。
昨夜は久しぶりで綺麗な星空が見えておりましたのでシリウスの言葉を聴かせて頂いたと感じております。
“ あなた方の挨拶では 久しぶりと言うことになるのでしょうね
経済のことは心配しないで下さい
あなたが望む状況 (金額)を思い描いて下さい
ぶれると それだけ波動がずれるのです
そこのところから 逸脱してしまいます
ですから こうありたい自分の姿を正しく思い浮かべて下さい
過去の自分がこのようで嬉しかったと思うのなら
その楽しい部分の波動に繋がって下さい
より早く そのなりたい ありたい貴方になれるはずです
私は シリウスです 貴方方を見守っています ”
澄んだ空気の中でシリウスの青い光を見つめていると、このような言葉を感じました。
ほんの少しだけ、しばらくぶりの気がします。
話す内容もいつもとそれほど変わらないかと思いますけれど、話し方はやはりこのような口調で話して下さいます。
望む状況を思い描く時にぶれないで欲しいと言われるのは、こっちがいいかな、いやそっちの方がいいのかも、とコロコロと自分のありたい姿を
変えているとどこへ焦点を合わせていいのか分からず、その分波動自体、つまりは望む姿も定まらないということなのだと思います。
言われていること、そのままですけれど。
過去の自分、というのは過去に自分自身がとても好調な時があり、今はそうでもないのだとしたら、その楽しく感じていた時期の自分を思い出して
その頃の自分の波動になって欲しいということのようです。
その時の楽しいと感じる感覚が感じ取れたならば、同時にその時の波動も呼び起こすことが出来るということのようです。
そうなればその波動に自分を乗せることも可能になり、その頃の楽しい自分にも戻れ、また好調な自分も取り戻すのに一役買うということにも繋がる
わけですね。
グズグズと自分なんてどうせもう無理だし、などと考えず楽しく嬉しい波動をまずは取り戻すこと、それに尽きるようです。
楽しい感覚、いつも忘れないようにしたいものですね。
今朝、祝詞奏上の後、あの濃緑の龍にまたもや話しかけられました。
その前に、まずは大神の言葉から。
〝 厳島のこと 人が集まらぬは まだ機が熟しておらぬのだろう
しかし 気落ちせず 行って参れ
やがて人が集うようになる 〟
このような言葉を頂戴する
続いてはあの龍か
‘ せやで 今回 だあれも来んでも わてが一緒に行ったるさかいに
あんじょう 気落ちせんといてや
わても 仲間に会えるのが楽しみやわぁ ’
え、そうなの?
‘ せやで あんたら分からんかも知れへんけど わてらには わてらの世界があるからね
楽しみやわぁ ’
いつでも会えるんじゃ?
‘ そらいつでも会おう思うたら 会えるけどな
それでもこうしてわざわざ 三次元的に 足運んで行くっちゅうのも
ええもんやよ
あんたも 久々車で走って楽しんできたら ええやん
一緒に行くさかいにな~ ’
聴くといつも最後は笑って終わってしまう
このところ毎日告知させて頂いております厳島神社並びに宮島周辺の探訪、なかなかご応募がございませんのでそこのところを大神が言われた
ようですね。
確かに自分ではどなたとでもご一緒して楽しんで頂きたいという気持ちに変わりはありませんけれど、待てど暮らせどどなたのお申し出も未だに
御座いません。
言われるように今はその機が熟しておらないのかもしれません。
時期が来れば、いつか必ずご一緒させて頂ける方も出てくるのかもしれない、そう思い気長にその時を待ちたいと思います。
あ、それでもあと一週間ありますし、まだ応募は致しますよ;。
そんな自分の気持ちを察してか?龍がこのような言葉を掛けてくれたようですね。
本当にこんな関西弁なのか?と訝しがられるかもしれませんけれど、本当にそうなんです;。
頭の中へポンポンと次から次へとこのように言葉が入り、話してくれます。
出身はどこぞ、あの辺りなのでしょうかね、そこのところは確かめておりませんけれど;こうしてお付き合いして行く分にはとても楽しくて面白い
龍ではあります。
この会話の中で話しております仲間の龍、これはいつか感じた厳島神社の拝殿でのあの龍達のことかと思います。
全部で幾柱の龍が坐したものなのか、いずれにしても所狭しとでもいうように互いの顔を突き合わせて此方を覗き込むようにしておりました龍達、
その龍らとこの我が家の龍は会いたいのだと思います。
また本来なら瞬時にどこへでも行けるはずの彼?ですけれど今回は自分と共に、彼の言葉を借りれば三次元的にわざわざ出向いて行く、と言って
くれております。
彼自身、そのようにして参る宮島、確かに楽しみなんでしょうね。
自分達には自分達の世界がある、これも然りかと存じます。
向こうで仲間と合流し、何を話してくるのでしょうか。
自分にしてみれば、なんだかその方が楽しみなような気持ちもしております。
この後に富鷹成易の白水明さんの呪文 『令令 戌合、子 急急如律令』(れいれい いぬごう、ね きゅうきゅうにょりつりょう)の言葉を
唱えて目を閉じてみました。
真っ白い雲の遥か上を翔る 虹色を纏った白龍
悠々とたおやかに しかしかなりのスピードで翔けていく
見えているのはその視点(龍の)から
眼下に雲が白く見える
風を切る音が聞こえるよう
《 迷わず 進め 》
虹色の龍の言葉
雄大な眺め
頭上がいつも感じるホワホワの感触
眉間で見ているように感じていても 頭の上がそんな感じ
呪文を唱えると、此方も久々にあの天翔ける虹色を纏う白龍の姿を感じられました。
白い雲に覆われておりますその場所は遥か下へと見えております。
遮るものなど何一つなく龍の上には輝く太陽が見えておるだけの壮大な空の眺めです。
その空を悠々とでもいうように翔けていく龍、とはいえかなりのスピードでもあり、さながら風を切る音さえも聞こえてきそうな勢いです。
その龍が一言 「迷わず 進め」 このように声を掛けてくれたように感じました。
自分が感じているこの虹色纏う龍、此方は地上を行く龍達とは少し違い、どちらかといえばより次元の高い処へ存在しているように認識しており
ます。
自分に今遣わされている龍とはかなりかけ離れた処に坐す、いわば神に近いような存在に感じております。
その龍からの言葉と感じられました。
これから先、どのように展開していくのか、自分でもその姿をしかと把握出来ておりませんけれど(前述のシリウスの言葉のようにはなっており
ませんね;)明るい方へと向かって参りたい、そう思います。
それにしても、の雄大な眺めです。
いつも申すことですけれど出来るものならこの眺め、皆様にも感じて頂きたい、そう思うばかりです。
先だってよりお伝え致しております厳島神社参拝並びに宮島周辺探訪、三月十六日、九時半広島駅を車にて出発です。
お一人一万三千円この中には正式参拝の玉串料を含みます。(フェリー代、飲食代は含まれません)
ご参加お待ち申しております。
kimikimiblue13@gmail.com
此方までご連絡下さいませ。
本日もコノブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
また少し寒の戻りという感じの日でしたね。
夕方になると先ほどまでよいお天気だったのが急に曇って来ました。
明日はまた雨だとか。
酷く降らねばよいけれどと思います。
朝は眩しい朝日でした。
昨夜は久しぶりで綺麗な星空が見えておりましたのでシリウスの言葉を聴かせて頂いたと感じております。
“ あなた方の挨拶では 久しぶりと言うことになるのでしょうね
経済のことは心配しないで下さい
あなたが望む状況 (金額)を思い描いて下さい
ぶれると それだけ波動がずれるのです
そこのところから 逸脱してしまいます
ですから こうありたい自分の姿を正しく思い浮かべて下さい
過去の自分がこのようで嬉しかったと思うのなら
その楽しい部分の波動に繋がって下さい
より早く そのなりたい ありたい貴方になれるはずです
私は シリウスです 貴方方を見守っています ”
澄んだ空気の中でシリウスの青い光を見つめていると、このような言葉を感じました。
ほんの少しだけ、しばらくぶりの気がします。
話す内容もいつもとそれほど変わらないかと思いますけれど、話し方はやはりこのような口調で話して下さいます。
望む状況を思い描く時にぶれないで欲しいと言われるのは、こっちがいいかな、いやそっちの方がいいのかも、とコロコロと自分のありたい姿を
変えているとどこへ焦点を合わせていいのか分からず、その分波動自体、つまりは望む姿も定まらないということなのだと思います。
言われていること、そのままですけれど。
過去の自分、というのは過去に自分自身がとても好調な時があり、今はそうでもないのだとしたら、その楽しく感じていた時期の自分を思い出して
その頃の自分の波動になって欲しいということのようです。
その時の楽しいと感じる感覚が感じ取れたならば、同時にその時の波動も呼び起こすことが出来るということのようです。
そうなればその波動に自分を乗せることも可能になり、その頃の楽しい自分にも戻れ、また好調な自分も取り戻すのに一役買うということにも繋がる
わけですね。
グズグズと自分なんてどうせもう無理だし、などと考えず楽しく嬉しい波動をまずは取り戻すこと、それに尽きるようです。
楽しい感覚、いつも忘れないようにしたいものですね。
今朝、祝詞奏上の後、あの濃緑の龍にまたもや話しかけられました。
その前に、まずは大神の言葉から。
〝 厳島のこと 人が集まらぬは まだ機が熟しておらぬのだろう
しかし 気落ちせず 行って参れ
やがて人が集うようになる 〟
このような言葉を頂戴する
続いてはあの龍か
‘ せやで 今回 だあれも来んでも わてが一緒に行ったるさかいに
あんじょう 気落ちせんといてや
わても 仲間に会えるのが楽しみやわぁ ’
え、そうなの?
‘ せやで あんたら分からんかも知れへんけど わてらには わてらの世界があるからね
楽しみやわぁ ’
いつでも会えるんじゃ?
‘ そらいつでも会おう思うたら 会えるけどな
それでもこうしてわざわざ 三次元的に 足運んで行くっちゅうのも
ええもんやよ
あんたも 久々車で走って楽しんできたら ええやん
一緒に行くさかいにな~ ’
聴くといつも最後は笑って終わってしまう
このところ毎日告知させて頂いております厳島神社並びに宮島周辺の探訪、なかなかご応募がございませんのでそこのところを大神が言われた
ようですね。
確かに自分ではどなたとでもご一緒して楽しんで頂きたいという気持ちに変わりはありませんけれど、待てど暮らせどどなたのお申し出も未だに
御座いません。
言われるように今はその機が熟しておらないのかもしれません。
時期が来れば、いつか必ずご一緒させて頂ける方も出てくるのかもしれない、そう思い気長にその時を待ちたいと思います。
あ、それでもあと一週間ありますし、まだ応募は致しますよ;。
そんな自分の気持ちを察してか?龍がこのような言葉を掛けてくれたようですね。
本当にこんな関西弁なのか?と訝しがられるかもしれませんけれど、本当にそうなんです;。
頭の中へポンポンと次から次へとこのように言葉が入り、話してくれます。
出身はどこぞ、あの辺りなのでしょうかね、そこのところは確かめておりませんけれど;こうしてお付き合いして行く分にはとても楽しくて面白い
龍ではあります。
この会話の中で話しております仲間の龍、これはいつか感じた厳島神社の拝殿でのあの龍達のことかと思います。
全部で幾柱の龍が坐したものなのか、いずれにしても所狭しとでもいうように互いの顔を突き合わせて此方を覗き込むようにしておりました龍達、
その龍らとこの我が家の龍は会いたいのだと思います。
また本来なら瞬時にどこへでも行けるはずの彼?ですけれど今回は自分と共に、彼の言葉を借りれば三次元的にわざわざ出向いて行く、と言って
くれております。
彼自身、そのようにして参る宮島、確かに楽しみなんでしょうね。
自分達には自分達の世界がある、これも然りかと存じます。
向こうで仲間と合流し、何を話してくるのでしょうか。
自分にしてみれば、なんだかその方が楽しみなような気持ちもしております。
この後に富鷹成易の白水明さんの呪文 『令令 戌合、子 急急如律令』(れいれい いぬごう、ね きゅうきゅうにょりつりょう)の言葉を
唱えて目を閉じてみました。
真っ白い雲の遥か上を翔る 虹色を纏った白龍
悠々とたおやかに しかしかなりのスピードで翔けていく
見えているのはその視点(龍の)から
眼下に雲が白く見える
風を切る音が聞こえるよう
《 迷わず 進め 》
虹色の龍の言葉
雄大な眺め
頭上がいつも感じるホワホワの感触
眉間で見ているように感じていても 頭の上がそんな感じ
呪文を唱えると、此方も久々にあの天翔ける虹色を纏う白龍の姿を感じられました。
白い雲に覆われておりますその場所は遥か下へと見えております。
遮るものなど何一つなく龍の上には輝く太陽が見えておるだけの壮大な空の眺めです。
その空を悠々とでもいうように翔けていく龍、とはいえかなりのスピードでもあり、さながら風を切る音さえも聞こえてきそうな勢いです。
その龍が一言 「迷わず 進め」 このように声を掛けてくれたように感じました。
自分が感じているこの虹色纏う龍、此方は地上を行く龍達とは少し違い、どちらかといえばより次元の高い処へ存在しているように認識しており
ます。
自分に今遣わされている龍とはかなりかけ離れた処に坐す、いわば神に近いような存在に感じております。
その龍からの言葉と感じられました。
これから先、どのように展開していくのか、自分でもその姿をしかと把握出来ておりませんけれど(前述のシリウスの言葉のようにはなっており
ませんね;)明るい方へと向かって参りたい、そう思います。
それにしても、の雄大な眺めです。
いつも申すことですけれど出来るものならこの眺め、皆様にも感じて頂きたい、そう思うばかりです。
先だってよりお伝え致しております厳島神社参拝並びに宮島周辺探訪、三月十六日、九時半広島駅を車にて出発です。
お一人一万三千円この中には正式参拝の玉串料を含みます。(フェリー代、飲食代は含まれません)
ご参加お待ち申しております。
kimikimiblue13@gmail.com
此方までご連絡下さいませ。
本日もコノブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。