こんばんは。
今日もなんとなく肌寒い一日だったように思います。
このあたりではありませんでしたけれど、全国的に見れば雪も降ったところもあるようですしね。
外出にさすがにダウンは着ませんでしたけれど、上に羽織るものをかなり考えたような日でした。
明日以降はしかし春の陽気となるようですし、体調に気をつけねばいけませんね。
そんな朝は、まだはっきりしないお天気から始まりました。
昨日、右肩辺りが痛いと話しておりましたが、今日は一晩寝ると大分治っておりました。
当たり前といえば当たり前ですけれど;。
どうも脇というのか袖の付け根部分が若干きつい感じがしていたようで、それでかなぁなどと、どうでも良いことを考えておったのですけれどね;。
ほんのわずかのことですが、着るものでこんなに違うというのは初めてでしたので良い経験にはなった思いです。
アンダーシャツ、下着ではなく上に着る、羽織るものですので少しでも試着出来るのなら次からは試して購入したいと思いました。
痩せているので見た目がSでいけるよ、といわれるのですがいかり肩というのか案外と肩幅は普通にある感じですので、着るとちょっと窮屈という
ことも何にしもあらずでして;。
そう考えると既製服はある意味、万人に向けてのサイズを展開しているわけで(これも当然ですが;)それで合わないなら自分用に作るしかあり
ませんよね。
今の時代、服に自分を合わせているようなものなのかも、とも感じました。
ま、どうでもいいお話です;。
今朝も祝詞奏上し、その際に感じたのは日々我が家の龍、テラも変化していっているということですね。
いつも自分の傍らにおりながらもその姿は、神殿では逞しく且つ身体の色も変わっていっております。
同じようなことを毎回申しておりますけれど、見るたびにそのように感じられるのでいきなり変わりましたと報告するよりは良いかな、と;。
とは言え、それは神殿でおります時に限るようでそれ以外は本当にいつも関西弁で、どうでもいい雑談ばかりを交わしているように思います。
何を話しているのかと言っても、他愛ない話が大半を占めますので、それこそ書いておかなければいけないほどの内容でもありませんし、忘れて
しまっております。
けれど飄々とした中にも核心をつくような言葉をポロッと言ってくれるので案外油断がなりません;。
どんなこと?と言われそうですが、それこそ書き留めておりませんので難しいのですけれど;。
次からは気づいた時には、いちいちにでもメモしておこうと思います。
そうそう、今日外出した折のこと、思い出しました。
書店に立ち寄り毎度お馴染み;スピ関係の本棚辺りでおりますと、多くの方が龍に関する本を著しておられます。
見るともなく背表紙を眺めておりますと、
“ 皆さん おんなじように龍を感じてても その感じ方は皆 違うんやよ
あんたさんもそうやけど 誰が正解で 誰が違うてるとか ないねんよ
ある人の見方は こうやけど こっちの人の見方は こうとかな
せやから 自分はこの人の龍の感じ方 見方が性に合うてると思う人の感じ方を
見習えば ええねん
世の中 みんな なんでも そうやろ?
自分に合う 合わんで 決めてったら ええんやで ”
そんなことを話してくれておりました。
また何度もしつこく自分から龍にあれこれと話しかけても彼、テラは怒るということがありません。
その度に
“ なんや~? ”
と楽しそうに返事をしてくれます。
大丈夫なのかな、と心配になっても
“ なんで怒らなあかんの?
色々と面白いやんか ”
と全く意に介さぬ風に先にも申しましたように飄々としております。
頼もしい限りです。
自分も彼を見習い、もう少し気長になりたい、そう感じておるところです;。
そんな我が家の龍、テラですが神殿でも言葉を掛けてきておりました。
祝詞奏上し終わり ふと ありがとう この言葉 全てに有難う
ふーっと力が抜ける感じ
“ 一つ 悟ったな ”
龍の声
全てに感謝することで 変わってくる
反発でははく 感謝することで波動が柔らかくなる感じ
とげとげしい あるいは普通の (と感じていた)水も 物もふわっとする (感じ)
祝詞奏上の後、いつも奉幣を振りながら大抵は何事かを祈念するのですが、そのようなことがない場合はごく普通に「有難うございます」という
言葉を心の中でつぶやくようにしながら致しております。
誰に聞かすわけでもなく、居りますのは神様と自分のみ、もっと言えば龍との三者のみです。
ですので当たり前のようにして有難うございますを申しておるのですけれど、そうすると今日は何故かしらほーっとするような感覚があり力が抜け
たようでした。
その時、龍に 『一つ 悟ったな』 という声を掛けられたのでした。
ありがとう この言葉は誰でもが知っており、ごく普通に使う言葉です。
取り立てて特別ということでもないとも思います。
ですけれど、自分の本当の気持ちをその言葉に乗せて対 人なり 物なりに使う時、それはとても大きな力を持っておるように感じます。
心の篭っていないありがとうを相手や物に伝えても、心には響かない、反響しない、そう思います。
自分が本当に有難いなぁ、嬉しいなぁ、気持ちよいなぁ、そのようなことを感じ取りながら、対する人や物にこの言葉を伝えたとき、それはとても
心地よい響きとなるのでは、と感じます。
そんなことを思っている時に龍がこのように話してきたのでした。
水のことにも触れておりますけれど、実はあることをお風呂に入ったときにしております。
今のところ、しているのは殆どそれだけ;なのですが;。
以前にも書かせて頂きましたけれど、湯船に浸かりお風呂から出る際、何杯か最後に掛け湯をして出ますけれど、その際に最初は湯船の湯より少し
だけ温いお湯を、続いてより温い湯を、最後には冷たい水を桶に一杯入れます。
その最後のお水に向かい
「水波能売神(みづはのめのかみ)、水の神様、火産霊神(ほむすびのかみ)、火の神様、雷神(いかづちのかみ)、電気の神様、全ての神様
ありがとうございます この一杯のお水、掛けさせて頂きます どうぞ下水へ流れた後には、また清らかな水となりまして雨として大地へ降り
注いでいただけますように 有難うございます」
そう自分で水に申し述べて後にこの水を被ります。
最初はヒヤッとしますが、じきに身体がかえって火照ってくるように感じられ気持ちよく思えます。
こう書いたからといって自分がエライとかそういうことを言いたいわけでは決してありません。
たった桶一杯の水ですけれど、このように使わせて頂けることが有難いと感じ、それに素直に感謝しておる、それだけのことです。
書くほどのことでは全くありません。
ならば何故、わざわざこのようのことを書いているのか、それは水一杯にありがとうを申すことが自分自身が気持ちよいから、それを伝えたいから
それだけです。
水を被ること、被らせて頂ける有難さ、そのことを素直にありがとうと伝えることで不思議と風邪を引きにくくなっているようにも感じます。
何事にもありがとうの感謝の念を持つことで、結果的には自分自身も元気にして頂けるのだはないのか、そう思います。
皆様自身がしてください、ということではありません。
してみた結果がそうですよ、ということです。
後はご自分がどう捉えるか、そういうことかと思います。
生意気に聞こえましたらば、申し訳ございません。
街中へ所用で出掛けましたけれど、帰りは風が殊のほか強く感じられました。
それでも広島市内、標準木となる桜が開花したとか。
平年よりも五日早い開花宣言のようです。
今週末辺り、お花見でお出かけになる方が増えるかもしれませんね。
皆様の辺りでは如何でしょうか。
帰りのバスから外を走る車のナンバーを見るともなく見ていると、やたらと88のゾロ目が目に付きました。
“ わたいとおるからやよ~ ”
そんなことをついて来ていた我が家の龍、テラが申しておったようです;。
ほんまかいな;。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
今日もなんとなく肌寒い一日だったように思います。
このあたりではありませんでしたけれど、全国的に見れば雪も降ったところもあるようですしね。
外出にさすがにダウンは着ませんでしたけれど、上に羽織るものをかなり考えたような日でした。
明日以降はしかし春の陽気となるようですし、体調に気をつけねばいけませんね。
そんな朝は、まだはっきりしないお天気から始まりました。
昨日、右肩辺りが痛いと話しておりましたが、今日は一晩寝ると大分治っておりました。
当たり前といえば当たり前ですけれど;。
どうも脇というのか袖の付け根部分が若干きつい感じがしていたようで、それでかなぁなどと、どうでも良いことを考えておったのですけれどね;。
ほんのわずかのことですが、着るものでこんなに違うというのは初めてでしたので良い経験にはなった思いです。
アンダーシャツ、下着ではなく上に着る、羽織るものですので少しでも試着出来るのなら次からは試して購入したいと思いました。
痩せているので見た目がSでいけるよ、といわれるのですがいかり肩というのか案外と肩幅は普通にある感じですので、着るとちょっと窮屈という
ことも何にしもあらずでして;。
そう考えると既製服はある意味、万人に向けてのサイズを展開しているわけで(これも当然ですが;)それで合わないなら自分用に作るしかあり
ませんよね。
今の時代、服に自分を合わせているようなものなのかも、とも感じました。
ま、どうでもいいお話です;。
今朝も祝詞奏上し、その際に感じたのは日々我が家の龍、テラも変化していっているということですね。
いつも自分の傍らにおりながらもその姿は、神殿では逞しく且つ身体の色も変わっていっております。
同じようなことを毎回申しておりますけれど、見るたびにそのように感じられるのでいきなり変わりましたと報告するよりは良いかな、と;。
とは言え、それは神殿でおります時に限るようでそれ以外は本当にいつも関西弁で、どうでもいい雑談ばかりを交わしているように思います。
何を話しているのかと言っても、他愛ない話が大半を占めますので、それこそ書いておかなければいけないほどの内容でもありませんし、忘れて
しまっております。
けれど飄々とした中にも核心をつくような言葉をポロッと言ってくれるので案外油断がなりません;。
どんなこと?と言われそうですが、それこそ書き留めておりませんので難しいのですけれど;。
次からは気づいた時には、いちいちにでもメモしておこうと思います。
そうそう、今日外出した折のこと、思い出しました。
書店に立ち寄り毎度お馴染み;スピ関係の本棚辺りでおりますと、多くの方が龍に関する本を著しておられます。
見るともなく背表紙を眺めておりますと、
“ 皆さん おんなじように龍を感じてても その感じ方は皆 違うんやよ
あんたさんもそうやけど 誰が正解で 誰が違うてるとか ないねんよ
ある人の見方は こうやけど こっちの人の見方は こうとかな
せやから 自分はこの人の龍の感じ方 見方が性に合うてると思う人の感じ方を
見習えば ええねん
世の中 みんな なんでも そうやろ?
自分に合う 合わんで 決めてったら ええんやで ”
そんなことを話してくれておりました。
また何度もしつこく自分から龍にあれこれと話しかけても彼、テラは怒るということがありません。
その度に
“ なんや~? ”
と楽しそうに返事をしてくれます。
大丈夫なのかな、と心配になっても
“ なんで怒らなあかんの?
色々と面白いやんか ”
と全く意に介さぬ風に先にも申しましたように飄々としております。
頼もしい限りです。
自分も彼を見習い、もう少し気長になりたい、そう感じておるところです;。
そんな我が家の龍、テラですが神殿でも言葉を掛けてきておりました。
祝詞奏上し終わり ふと ありがとう この言葉 全てに有難う
ふーっと力が抜ける感じ
“ 一つ 悟ったな ”
龍の声
全てに感謝することで 変わってくる
反発でははく 感謝することで波動が柔らかくなる感じ
とげとげしい あるいは普通の (と感じていた)水も 物もふわっとする (感じ)
祝詞奏上の後、いつも奉幣を振りながら大抵は何事かを祈念するのですが、そのようなことがない場合はごく普通に「有難うございます」という
言葉を心の中でつぶやくようにしながら致しております。
誰に聞かすわけでもなく、居りますのは神様と自分のみ、もっと言えば龍との三者のみです。
ですので当たり前のようにして有難うございますを申しておるのですけれど、そうすると今日は何故かしらほーっとするような感覚があり力が抜け
たようでした。
その時、龍に 『一つ 悟ったな』 という声を掛けられたのでした。
ありがとう この言葉は誰でもが知っており、ごく普通に使う言葉です。
取り立てて特別ということでもないとも思います。
ですけれど、自分の本当の気持ちをその言葉に乗せて対 人なり 物なりに使う時、それはとても大きな力を持っておるように感じます。
心の篭っていないありがとうを相手や物に伝えても、心には響かない、反響しない、そう思います。
自分が本当に有難いなぁ、嬉しいなぁ、気持ちよいなぁ、そのようなことを感じ取りながら、対する人や物にこの言葉を伝えたとき、それはとても
心地よい響きとなるのでは、と感じます。
そんなことを思っている時に龍がこのように話してきたのでした。
水のことにも触れておりますけれど、実はあることをお風呂に入ったときにしております。
今のところ、しているのは殆どそれだけ;なのですが;。
以前にも書かせて頂きましたけれど、湯船に浸かりお風呂から出る際、何杯か最後に掛け湯をして出ますけれど、その際に最初は湯船の湯より少し
だけ温いお湯を、続いてより温い湯を、最後には冷たい水を桶に一杯入れます。
その最後のお水に向かい
「水波能売神(みづはのめのかみ)、水の神様、火産霊神(ほむすびのかみ)、火の神様、雷神(いかづちのかみ)、電気の神様、全ての神様
ありがとうございます この一杯のお水、掛けさせて頂きます どうぞ下水へ流れた後には、また清らかな水となりまして雨として大地へ降り
注いでいただけますように 有難うございます」
そう自分で水に申し述べて後にこの水を被ります。
最初はヒヤッとしますが、じきに身体がかえって火照ってくるように感じられ気持ちよく思えます。
こう書いたからといって自分がエライとかそういうことを言いたいわけでは決してありません。
たった桶一杯の水ですけれど、このように使わせて頂けることが有難いと感じ、それに素直に感謝しておる、それだけのことです。
書くほどのことでは全くありません。
ならば何故、わざわざこのようのことを書いているのか、それは水一杯にありがとうを申すことが自分自身が気持ちよいから、それを伝えたいから
それだけです。
水を被ること、被らせて頂ける有難さ、そのことを素直にありがとうと伝えることで不思議と風邪を引きにくくなっているようにも感じます。
何事にもありがとうの感謝の念を持つことで、結果的には自分自身も元気にして頂けるのだはないのか、そう思います。
皆様自身がしてください、ということではありません。
してみた結果がそうですよ、ということです。
後はご自分がどう捉えるか、そういうことかと思います。
生意気に聞こえましたらば、申し訳ございません。
街中へ所用で出掛けましたけれど、帰りは風が殊のほか強く感じられました。
それでも広島市内、標準木となる桜が開花したとか。
平年よりも五日早い開花宣言のようです。
今週末辺り、お花見でお出かけになる方が増えるかもしれませんね。
皆様の辺りでは如何でしょうか。
帰りのバスから外を走る車のナンバーを見るともなく見ていると、やたらと88のゾロ目が目に付きました。
“ わたいとおるからやよ~ ”
そんなことをついて来ていた我が家の龍、テラが申しておったようです;。
ほんまかいな;。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。