日々徒然なるままに

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出雲へ行って参りました その4

2018-03-30 21:44:43 | お出かけ
こんばんは。
このところ晴天続きです。
まだ3月なのですが、この気温の高さで既に4月のように身体の方が錯覚している感じです;。
それこそ来月になるとどうなんでしょうね、少し考えてしまいます。
そんな日の朝は申すように元気一杯という風な太陽が昇ってきておりました。



                                     




                                     




                                     




以前にもお伝えしましたけれど、お正月に信者さんのお宅へお祓いに参らせていただく折に福徳会の御守りというものをお買い求め頂いております。
これは文字通り大国主大神様が福の神、縁結びの神として篤い信仰をおり、皆様にその福と徳をお授けしたいとの事から旧暦の一月一日、すなわち
元旦の子の刻(午前一時)から出雲大社神楽殿にて福徳祭がご奉仕され、招福開運のご祈念がお取次ぎされて参りました。
その折にご参加出来ない方々のために事前にこの御守りをお持ち頂き、この祭りの際にはご一緒にご祈念申し上げ、然る後には福神御像というもの
が抽選により授与されております。
この授与品が毎年お祭り後には全国の分祠を始め教会、講社等へと送られて参ります。
今年も当講社にもその御像が送られて参りまして、この度は三等の福神大御木像が一体、四等の福神小御像が五体、それぞれ信者さん方に当選して
おられました。
この御像、小さいものですとごく普通にというのか、御神札用の袋へ入れさせて頂きまして郵送致しますけれど大きなもの、つまり特等ですと縦横
20数センチ程の御霊宮という桐で出来た箱の中に金(純金24金です)のお大国(だいこく)さまが入られた物が送られて参ります。
申すように今年はそのような特等や一等(銀のお大国様)二等(銅のお大国様)は当選された方はございませんでしたけれど、不思議とこの方に当
たったのだなぁ、と思われる方に今年も上記のような三等、四等のそれぞれの御像が当選しておられました。
それらを郵送するのに今朝はお昼過ぎまでバタバタと準備し、昼からは発送の為郵便局へ持って参りました。
ちなみにこの四等ですとこのように郵送して送らせて頂くことで一応の完了とさせて頂いておりますけれど、三等以上のものについては直に信者さ
んのお宅へ参らせて頂き、改めてその御像を祀らせて頂くようにしております。

ともあれそのように郵便物を持ちながら歩いて下界へ下りて参りますと、桜がまさに満開となっておりました。
当初に述べましたようにまだ三月というのに、この分ですとお花見シーズン、入学、入社シーズンにはその殆どが葉桜になっておりそうですね;。
それでもそんな桜の花咲く公園の木の下では、春休み真っ最中の子供らが歓声を上げながら走り回っておりました。
桜の花が咲くだけで何故かしら心浮き立つような思いになるのはやはり自分達日本人の中に桜を愛でるDNAが存在しておるのかもしれない、そう
感じる光景でした。


                                  

                                      





                                      





                                      





                                       






                                      




桜はともあれ、昨日の続きを早く;という感じですね;。(笑)
それでは続いて書いて参りたいと思います。

神楽殿へ戻って参りますと、それでも時刻は一時五分程前でした;。
あらら;これではお祭りして頂く神主さん方の休憩時間に掛かってしまうかも;などと心配をしましたが案外すんなりと神楽殿内へと通して頂き、
御神前にてしばし待つことと致しました。
この神楽殿はいつかも申しましたが出雲大社教に関係する方がご参拝の折に入られる社殿で御座いまして、一般の参拝者の方ですと御本殿前の拝殿
の方へのご案内となります。
ご存じない方からすれば、どういうことでこのように社殿が二つもあるのだろうと思われるかと存じますが、このような理由によります。
もう一つ、トリビア;みたいなものですけれどよく写真等でご覧になられる巨大な注連縄、あれはこの神楽殿のそれを写したものとお考え頂ければ
宜しいかと思います。
ともあれ自分達親子しかおりません殿内、他のご参拝の方々がお越しになるまでは二人して他愛ない話をして過ごしておりました。
昔から大社へ詣でますと、ではお祭り致しますということをお伺いした後からが結構時間が掛かっておりました;。
これを口の悪い主人は「大社時間」だの「出雲時間」だなどと申しておりましたけれど;。
ですが最近は時間的にも割りと正確を期するかのように(そこまでではないですけれど;)さほど時間を違わずに始められるようでした。
その時刻の頃には予定されておられた団体さんが入って来られました。
ご参拝の方が揃われたところで今日のお祭りをして頂く神主さんや巫女さんらが入って来られました。
年々自分の方が年を拾うばかりとなり、お祭りして頂く大社側の神主さん(自分からすれば大社の職員の方ということにもなりますが)達も皆さん
若い方が増えたなぁ、とつい感じてしまう昨今です。
そんな自分のことなどどうででも;、太鼓が叩かれ笛も鳴り楽を奏してのお祭りが始まりました。

その祭りの最中、目を閉じて神主さんの奏上される祝詞を聞きながら頭の中、想念の中ではこれまで感じたことのないような光景が繰り広げられて
おりました。
神楽殿の天井、というよりも建物の容積とでもいいましょうか、それ一杯に拡がった件の白龍、金龍の姿があります。
とてつもなく大きく巨大な姿です、否その全身、全体は入りきっておらなかった、入りきれなかったのかもしれません。
天井高く、その左右からこの二柱の龍があたかも合流するように中央へと寄っていきます。
その真ん中へ我が家の龍の姿が混ざります、此方もへいぜいの姿とは異なり雄々しく逞しいそれとなっておるようです。
それら三柱のその更に上方、ちょうど神坐します(おわします)御神座の上辺りに光と形容すればよいものなのか、はたまたはかり知ることの出来
ない程凄まじいとも言えるような強いエネルギーの塊のようなものを感じました。
これをして大神、大国主大神としておられるものなのか、そう感じるほどの何とも形容し難い「もの」がそこへおわしました。
その光ともエネルギーの塊ともされる処へこの三柱の龍、この時には既にこれらの龍もさながらエネルギー体のように感じられておりましたけれど
これらが全てそこへ集約されるように一塊となるように集まって行きました。
それらが渾然一体となり更にその「もの」、その塊はより一層その大きさ、輝きを増したように感じられたのでした。

自分の頭の中のその光景だけで、なんともエネルギー酔い?をしてしまいそうなほど凄いとしか言いようのない感覚でした。
語彙力のない自分にはこの時の光景をどのように表現すれば皆様に伝えられるのか、はなはだ悔しい思いが致すところです。
それこそアニメーションで表すことが出来れば、自分の想念の中で見た光景を再現出来るであろうに、と感じております。
それほどに凄まじく強力ともいえるような勢いのエネルギーの塊でした。

これまで幾度となくこの神楽殿にて参拝させて頂きながらもこの度のように感じられたことは御座いませんでした。
というよりも参らせて頂いて感じておりましたことは、ほぼ毎回、いつも同様に「有難うございます」の思いだけでした。
それ以上を感じようと考えていなかったということもあるでしょう。
此処何ヶ月かで自分でも何故なのかと思う位、龍を感じ出し、その龍と共に様々な事を思い、感じ、また(まだ範囲は狭いとはいえ)彼方此方へ
参らせて頂いております。
その龍が果たしてこの出雲大社にてはどのようになるのだろうか、何を語ってくれるのだろうかと自分で自分に感じながら参らせて頂き、結果と
して今回のような壮大ともいえる光景を拝見させて頂くことが出来ました。
毎回、これも己に対して戒めるように感じておりますことは、この光景はあくまでも自分自身が感じたこと見たことであり、普遍的ではないという
事です。
自分がこうだったからといって、どなたもがこのように見えたり感じたりするということはまず無いこと、有り得ないことかと存じます。
そうでありながらも、神、大神はやはり坐しますということだけははっきりと感じ取らせて頂けたのだな、と思う自分です。





                                          




祝詞奏上の後は巫女さんによる巫女舞があります。
出雲大社の巫女舞は神様の御前、御神座の御前にて最初は小さく次には大きく同心円状を摺り足で回る、とてもシンプルなものです。
けれどシンプルがゆえに楽に合わせてどの音の時にはこの位置にいなければならないという法則があるようでして、少しでもずれると後が続かなく
なる、つまりはグダグダになるのだそうです;。
これはその昔、主人が大社の国学館という神主の養成学校へ在学中に、男性でも巫女の格好をして巫女舞の練習をしたことで理解出来たと話して
おりました。
小さな円を描く時には歩幅はこのくらい、次の大きな円の時にはこのくらい、と自分で身体に覚えこませて舞うとのことでした。
拝見させて頂くこちら側からは伺い知ることの無い、ちょっとした秘密というのか舞のテクニックなのかもしれませんね。

その巫女舞が終わると御神前にての玉串拝礼があります。
他の神社さんでは玉串奉奠(たまぐしほうてん)とされておられるところもありますが、出雲大社では玉串拝礼と称しております。
大体ご祈祷を依頼された方にはこの玉串拝礼をされるよう促されます。
今回は団体の代表の方と、息子がそれぞれ致しておりました。
社殿に上がる前に自分にも今回、されて下さいとおっしゃって頂いておりましたが何故か名前を呼ばれず;息子の付き添いの母ちゃん?扱いと
なっておったようでした。(笑)
しばらくこの神様の御前にて正式な玉串拝礼をさせて頂いておりませんので、次回は是非とも致して参りたいと考えおります。
って、させてもらえるんじゃろうか;。

この玉串拝礼が終わると無事お祭りも終了し、始まりの時と同様に楽の音で終わりを告げられます。
続いては「御神酒をどうぞ」と土器にてほんの少しを頂戴し、神様に向かい今一度小さく拝礼し神楽殿を後に致しました。




                                         






続いては係りの若い神主さんが付き添って下さいながら御本殿の八足門(やつあしもん)の中に入らせて頂き、御本殿の大神様の御神前から
拝礼させて頂きます。
入り口には常に警備の方がおられ当然ですけれど、おいそれとは中には足を踏み入れられません。
軽く頭を下げ中へと入り、御前まで進み息子と二人で大神様に今日参らせて頂けた御礼を心の中で申し上げながら拝礼させて頂きました。
このように一般にはこの八足門の中へは入ることは出来ません、出来るとするならば、正式にご祈祷を受けられた方のみとなります。
自分達が御神前にて頭を下げております折にも、八足門外には多くの方々がお賽銭を入れながら拍手を打ち拝礼されておられました。

本来でしたらこの御本殿参拝を持って一連のご祈祷は終わりとなるのですけれど、今回はどうしてかこの後も神祜殿(宝物殿)をご案内させて
頂きますということになりました。
                                 



                              
                                            





この神祜殿での様子、これはまた明日のお話とさせて下さいませ。
え;?まだ続きすんの?と思われた目の前の貴方、そうまだ続きますよ~。(笑)
自分でもいい加減長いよなぁ;とはいつも書きながら思っておるのですよ、これでも;。(いや、ほんと;)
ですけれど、此処まで来たらば出来うる限り、微に入り細に入り(びにいりさいにいり)お伝えさせて頂きますです;。





                                            





                                                 






                                                 



       

                                                  

 




今日の終わりは昼から出掛けた際の歩いて帰りしなに見かけた枝垂桜と、これもまたご近所の八幡さんの桜です。
皆様の辺りでは如何でしょうか。


本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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