こんばんは。
今日は朝から雲ひとつない快晴の空が広がっておりました。
風は冷たかったのですが、遠くまで空気も澄み気持ちよい一日でした。
昨夜までは風も強く雲も多かったのに不思議なほどです。
そんな日でしたので人によってはどこかへお出かけされたかもしれませんね。
朝は申すように眩しいほどの朝日が上ってきておりましたよ。
自分自身も、こんなお天気のよい日はどこかへ出掛けてきたいよねぇ、と思いつつも結局はネコと二人?特に何をするでもなく家の中で過ごして
おりました。
なんとも勿体無い話だな、とも感じておったのですけれど。
広島県の県北、庄原市の総領町という辺り、本来なら季節はもう少し前のようですが今年は気温が低かったせいもあるのか、節分草というかわい
い花が今満開を迎えているようです。
一度見に行ってみたいよねぇと思いつつも、やはり足がないため;なかなか出向くことが出来ません。
以前は仕事でよく訪れていた地でもありますが、このような植物の話を聞きだしたのはおそらく近年のことではないのかなと思います。
何かしら特徴のあるもので他所からの人に訪れてほしいという地元の方々の地道な努力の甲斐もあってか、その可憐な節分草も自生地を絶やす事
なく守られているのだと感じます。
はじめは4,5センチ程の大きさの花なのかなと思っていたのですが、どうやら直径が2センチほどの本当に小さな花のようです。
今ネットで検索してみると、やはり冷涼な気候の地で自生しているようですね。
おそらく一年の中でもそれほど長い期間は花をつけることはなく、ひっそりと咲いて終わるようです。
旧暦の節分の頃に咲くと言われていることから、その名が付いたとも聞いております。
まだ今年は各地で見られるのでしょうか、お住まいの近い場所でそのような自生地がある方はお出かけになってみられては如何かでしょうか。
可憐な花の妖精が出迎えてくれるように咲いているかもしれませんよ。
(下の1枚目はネットより拝借致しました)
申すように何するでもなく居たわけですけれど、ふと他界した叔父の事を思い出しておりました。
正確には「叔父」ではなく自分の父の従兄弟であり、多分同い年だったのではと思います。
父の母親、つまり自分の祖母の里、祖母の兄の子供ということで父からすれば従兄弟ということですね。(ややこしく書いてしまった;)
父とはお互い年齢を重なるにつれて会う事も無くなっていたようですが、自分自身は幼い頃や中学生の頃、祖母に連れられてそのおじのところへ
泊まりに行った覚えがあり、なんとはなしに覚えておりました。
自分が結婚してひょんなことから父の姉、伯母と共にこのおじの家に行く事があり、それ以降何故かしら自分達家族とこのおじとの間で交流を持つ
ようになりました。
多分神棚やそれに関することで相談を受け、それ以降定期的にその神棚のお祭り等をする事やら、入院したおばの様子やらその後一人暮らしとなっ
たおじを訪ねるということも兼ねて、4ヶ月に1度程はその田舎のおじのところへ遊びに行っておりました。
当時息子は幼稚園の頃で、初めて訪ねるそのおじの家でも全く物怖じすることなくニコニコしておりました。
その頃の息子は知らないお宅へ伺うと、ともすれば玄関先から動けなくなるようなこともしばしばあり、何かを感じ取っていたのだと思います。
けれど申すようにこのおじのお宅は最初からよく様子がわかっているかのように、まるで自宅で過ごすように寛いでおりました。
おじも私のことを自分の娘のように感じてくれておったのか、息子に対しても孫を迎えるようにして可愛がってくれておりました。
そのような交流が主人が倒れるまで続いておりましたけれど、自分もそうなるとなかなかおじのところへ出向く事も難しくなり、次第に疎遠になって
行っておりました。
それでも中学生になった息子を連れて、時たまおじの家に行ったりはしておりましたけれど、以前ほどにはおじ自身も元気が無く、行けば必ず一緒
にしていた食事も自分達だけで行っといでというようになり、ますます足が遠のいておりました。
やがておじ自身が肺がんが見つかり手術をする事になり、身体も弱り、それでも月に一度はおじの家から20数キロあるおばの入院先まで自分の
軽トラで通っていたようでした。
そんな月日の時の流れと共に我が家でも主人を介護しつつおりました頃に、おじの訃報が届きました。
その頃にはおじも自分の故郷を離れ(その2、3年前におばも他界しました)娘さんが居る大阪の施設へ入っていたようで、明日また会いにくる
からね、と娘さん方が帰った直後に、それまで元気だったおじは急逝したようでした。
おばが亡くなったことで、それまで離れて暮らしているとはいえ心の拠り所となっていた連れ合いを亡くしたことで気持ちも落ち込んでいたと後で
聞きました。
一人暮らしをしていたとはいえ、とても几帳面なおじでしたので、いつ行っても家の中は整然としており男の人が一人だけで住まっておる様子では
ありませんでした。
そんないつ会っても穏やかで明るく気さくなおじは、自分にとっても会わずにいてもどこかで懐かしい感じのする人になっていたのかもしれません。
高速を使えば我が家からはものの1時間で行けるおじの家、お墓もその近くの見晴らしのよい場所に建立されております。
これも申すように最近はとんと足が遠のき、お墓参りにも行っておりません。
蘇った場面は、おじや主人がまだお互いに元気で、近くの温泉施設へ出向いてそこの休憩所で談笑しておる姿でした。
なんの前触れも無く、不意にその場面が目の前のことのように感じられ、その時のおじや主人の声、またはしゃいでいた息子の様子までもが思い起
こされたのでした。
彼岸も近いこの頃、おじ自身が温泉にでも入りに来んさいや、と誘ってくれておるのかもしれません。
自分ひとりでも近いうちに車を借り出してお墓参りをして来ようか、と思います。
今朝も祝詞奏上後、感じた事を書かせて頂きます。
濃緑の龍 後ろに控えている 雄々しい姿
窓の向こうから金龍と白龍 此方を覗きこむけれど一瞬でいなくなる
“ 我が 守る ”
濃緑の龍の言葉
光る海 湖? 白い光の中 包まれているような
当分はこの龍と共に現実(三次元)を行くみたい
モコが 私が龍を見ている 感じている間は 神殿を覗き込んでも入って来ない
気配を感じるのか?
今日の龍についてはそれほど多くを語らずにいたようでした。
神殿では昨日からこのようにかなり畏まっているようですね、どうしてんでしょうね;。
自分の背後にある吐き出し窓からは大きな金龍とその後ろに白龍が覗き込んでいるようでしたが、あっという間に掻き消えたようでした。
どうやらどんな様子であるのか、気になってか心配なのか覗きにきたのかもしれません。
今おります濃緑の龍の姿を見て、これならまずは安心して(任せられる?)と思ってもらえたのかどうか、すぐに居なくなったようでもありました。
ある意味、親心のようなものでしょうか;。
確かに昨日辺りから急に頼りがいのあるところを見せてくれておりますね、この龍。
見掛け倒し?にはならないよう、お互い努めて参りたいものだと感じております。
モコというのはうちのネコの名前です。
どうやら彼女はこの龍達を感じているのか、普通に祝詞奏上しております際には平気で神殿に入って来てその辺りに居るくせに、龍の気配を感じ
たのでしょうか、私が向こうと交信?し終わるまで、神殿の外でじっと此方を見つめながらも待っておりました。
人の膝にはなにがどうあろうと乗ってくるネコですけれど、龍の姿には一目置いた?ということなのでしょうか;。
ネコの考えることはどうにも理解出来かねます;。(苦笑)
先だってよりお伝え致しております厳島神社参拝並びに宮島周辺探訪、三月十六日、九時半広島駅を車にて出発です。
お一人一万三千円この中には正式参拝の玉串料を含みます。(フェリー代、飲食代は含まれません)
ご参加お待ち申しております。
kimikimiblue13@gmail.com
此方までご連絡下さいませ。
おじのことを思い出して、少し感傷的になってしまいましたけれど。
明日はあの震災から7年目ですね。
その事について書かせて頂こうか、とも思っております。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
今日は朝から雲ひとつない快晴の空が広がっておりました。
風は冷たかったのですが、遠くまで空気も澄み気持ちよい一日でした。
昨夜までは風も強く雲も多かったのに不思議なほどです。
そんな日でしたので人によってはどこかへお出かけされたかもしれませんね。
朝は申すように眩しいほどの朝日が上ってきておりましたよ。
自分自身も、こんなお天気のよい日はどこかへ出掛けてきたいよねぇ、と思いつつも結局はネコと二人?特に何をするでもなく家の中で過ごして
おりました。
なんとも勿体無い話だな、とも感じておったのですけれど。
広島県の県北、庄原市の総領町という辺り、本来なら季節はもう少し前のようですが今年は気温が低かったせいもあるのか、節分草というかわい
い花が今満開を迎えているようです。
一度見に行ってみたいよねぇと思いつつも、やはり足がないため;なかなか出向くことが出来ません。
以前は仕事でよく訪れていた地でもありますが、このような植物の話を聞きだしたのはおそらく近年のことではないのかなと思います。
何かしら特徴のあるもので他所からの人に訪れてほしいという地元の方々の地道な努力の甲斐もあってか、その可憐な節分草も自生地を絶やす事
なく守られているのだと感じます。
はじめは4,5センチ程の大きさの花なのかなと思っていたのですが、どうやら直径が2センチほどの本当に小さな花のようです。
今ネットで検索してみると、やはり冷涼な気候の地で自生しているようですね。
おそらく一年の中でもそれほど長い期間は花をつけることはなく、ひっそりと咲いて終わるようです。
旧暦の節分の頃に咲くと言われていることから、その名が付いたとも聞いております。
まだ今年は各地で見られるのでしょうか、お住まいの近い場所でそのような自生地がある方はお出かけになってみられては如何かでしょうか。
可憐な花の妖精が出迎えてくれるように咲いているかもしれませんよ。
(下の1枚目はネットより拝借致しました)
申すように何するでもなく居たわけですけれど、ふと他界した叔父の事を思い出しておりました。
正確には「叔父」ではなく自分の父の従兄弟であり、多分同い年だったのではと思います。
父の母親、つまり自分の祖母の里、祖母の兄の子供ということで父からすれば従兄弟ということですね。(ややこしく書いてしまった;)
父とはお互い年齢を重なるにつれて会う事も無くなっていたようですが、自分自身は幼い頃や中学生の頃、祖母に連れられてそのおじのところへ
泊まりに行った覚えがあり、なんとはなしに覚えておりました。
自分が結婚してひょんなことから父の姉、伯母と共にこのおじの家に行く事があり、それ以降何故かしら自分達家族とこのおじとの間で交流を持つ
ようになりました。
多分神棚やそれに関することで相談を受け、それ以降定期的にその神棚のお祭り等をする事やら、入院したおばの様子やらその後一人暮らしとなっ
たおじを訪ねるということも兼ねて、4ヶ月に1度程はその田舎のおじのところへ遊びに行っておりました。
当時息子は幼稚園の頃で、初めて訪ねるそのおじの家でも全く物怖じすることなくニコニコしておりました。
その頃の息子は知らないお宅へ伺うと、ともすれば玄関先から動けなくなるようなこともしばしばあり、何かを感じ取っていたのだと思います。
けれど申すようにこのおじのお宅は最初からよく様子がわかっているかのように、まるで自宅で過ごすように寛いでおりました。
おじも私のことを自分の娘のように感じてくれておったのか、息子に対しても孫を迎えるようにして可愛がってくれておりました。
そのような交流が主人が倒れるまで続いておりましたけれど、自分もそうなるとなかなかおじのところへ出向く事も難しくなり、次第に疎遠になって
行っておりました。
それでも中学生になった息子を連れて、時たまおじの家に行ったりはしておりましたけれど、以前ほどにはおじ自身も元気が無く、行けば必ず一緒
にしていた食事も自分達だけで行っといでというようになり、ますます足が遠のいておりました。
やがておじ自身が肺がんが見つかり手術をする事になり、身体も弱り、それでも月に一度はおじの家から20数キロあるおばの入院先まで自分の
軽トラで通っていたようでした。
そんな月日の時の流れと共に我が家でも主人を介護しつつおりました頃に、おじの訃報が届きました。
その頃にはおじも自分の故郷を離れ(その2、3年前におばも他界しました)娘さんが居る大阪の施設へ入っていたようで、明日また会いにくる
からね、と娘さん方が帰った直後に、それまで元気だったおじは急逝したようでした。
おばが亡くなったことで、それまで離れて暮らしているとはいえ心の拠り所となっていた連れ合いを亡くしたことで気持ちも落ち込んでいたと後で
聞きました。
一人暮らしをしていたとはいえ、とても几帳面なおじでしたので、いつ行っても家の中は整然としており男の人が一人だけで住まっておる様子では
ありませんでした。
そんないつ会っても穏やかで明るく気さくなおじは、自分にとっても会わずにいてもどこかで懐かしい感じのする人になっていたのかもしれません。
高速を使えば我が家からはものの1時間で行けるおじの家、お墓もその近くの見晴らしのよい場所に建立されております。
これも申すように最近はとんと足が遠のき、お墓参りにも行っておりません。
蘇った場面は、おじや主人がまだお互いに元気で、近くの温泉施設へ出向いてそこの休憩所で談笑しておる姿でした。
なんの前触れも無く、不意にその場面が目の前のことのように感じられ、その時のおじや主人の声、またはしゃいでいた息子の様子までもが思い起
こされたのでした。
彼岸も近いこの頃、おじ自身が温泉にでも入りに来んさいや、と誘ってくれておるのかもしれません。
自分ひとりでも近いうちに車を借り出してお墓参りをして来ようか、と思います。
今朝も祝詞奏上後、感じた事を書かせて頂きます。
濃緑の龍 後ろに控えている 雄々しい姿
窓の向こうから金龍と白龍 此方を覗きこむけれど一瞬でいなくなる
“ 我が 守る ”
濃緑の龍の言葉
光る海 湖? 白い光の中 包まれているような
当分はこの龍と共に現実(三次元)を行くみたい
モコが 私が龍を見ている 感じている間は 神殿を覗き込んでも入って来ない
気配を感じるのか?
今日の龍についてはそれほど多くを語らずにいたようでした。
神殿では昨日からこのようにかなり畏まっているようですね、どうしてんでしょうね;。
自分の背後にある吐き出し窓からは大きな金龍とその後ろに白龍が覗き込んでいるようでしたが、あっという間に掻き消えたようでした。
どうやらどんな様子であるのか、気になってか心配なのか覗きにきたのかもしれません。
今おります濃緑の龍の姿を見て、これならまずは安心して(任せられる?)と思ってもらえたのかどうか、すぐに居なくなったようでもありました。
ある意味、親心のようなものでしょうか;。
確かに昨日辺りから急に頼りがいのあるところを見せてくれておりますね、この龍。
見掛け倒し?にはならないよう、お互い努めて参りたいものだと感じております。
モコというのはうちのネコの名前です。
どうやら彼女はこの龍達を感じているのか、普通に祝詞奏上しております際には平気で神殿に入って来てその辺りに居るくせに、龍の気配を感じ
たのでしょうか、私が向こうと交信?し終わるまで、神殿の外でじっと此方を見つめながらも待っておりました。
人の膝にはなにがどうあろうと乗ってくるネコですけれど、龍の姿には一目置いた?ということなのでしょうか;。
ネコの考えることはどうにも理解出来かねます;。(苦笑)
先だってよりお伝え致しております厳島神社参拝並びに宮島周辺探訪、三月十六日、九時半広島駅を車にて出発です。
お一人一万三千円この中には正式参拝の玉串料を含みます。(フェリー代、飲食代は含まれません)
ご参加お待ち申しております。
kimikimiblue13@gmail.com
此方までご連絡下さいませ。
おじのことを思い出して、少し感傷的になってしまいましたけれど。
明日はあの震災から7年目ですね。
その事について書かせて頂こうか、とも思っております。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。