こんばんは。
今朝、いつものように朝日を撮ろうとすると外はかなり霞んでおり、相当なPM2.5の影響を感じました。
昨日まではさほどでもなかったのに一日でこのようになるのは、なんともはやですね。
撮った写真も太陽が朧げに見えておりました。
明後日は久々で大社へ詣でるのでそのお供え物にと日本酒を持参することに致しました。
これまでも大抵参らせて頂く折にはそのようにしておりましたので今回も、と思ったわけです。
それは良いのですけれど、ただ持って参るのではなく当然熨斗をつけてとなりますが、その熨斗書きをせねばなりません。
達筆ならばサラサラとなんの気負いも迷いもなく書いていくところですが、このところ祝詞を書くことも少なくあまり筆を持ってもおりません;。
先だって筆を新調した際に、墨汁ではなく墨を磨った方が当然筆には良いとのことを伺いましたので、久しぶりに墨を磨り、おもむろに墨をつけて
半紙にてまさに習字をしておりました;。
弘法は筆を選ばず、と申しますが下手な自分にはこれまた到底及ばずの諺でありまして;、これまで何本も筆を用いつつもどこかで変な癖がついて
いるのかはたまたやはり書き方が悪いのでしょう、はねやら止めが今ひとつ上手く書けません;。
幾度も何度も同じ繰り返しをしつつ練習し、また墨を磨り、また書いてみて、の繰り返しをしつつなんとか熨斗に書いてみましたけれど、どうにも
納得出来ません。
結局三枚書いてみて、ああ;駄目だこりゃ;と思いつつもそのうちの一枚を貼って持参することと致しました。
以前はどうしていたのか、おそらくパソコンでチャッチャッと書いていたのだと思います;。
今のこのパソコンは字体が明朝体しか出せませんので、否が応でも手書きとなります。
本来は当然手書きで持って参るべきですので下手くそながらも、これで良しと致しましょう。
平生往生;、これからは書道の練習、そう習字を日々の事柄に取り入れようと思い直した出来事でした;。
お恥ずかしい限りで御座います;。
朝はいつものように祝詞奏上致しました。
その最中からのことです。
頭上には昨日より よりはっきりと金龍 白龍の胴体が見える 太い
鱗を感じられるほど
テラはこれもまた大きく太くろいうの一段と逞しくなっているよう
大神
〝 そ(そなた)に 見えるは 想念の中でのこと
本来 より高き処へ 位置しておる
導かれしところへ 何処(いずこ)へでも参れ
時 満ちたり 〟
その後 暗闇に一筋の光(白いような青いような)
見えたのは半跏思惟像(はんかしゆいぞう)のような仏の像?
“ どこにでも光はあります
それを示して下さい ”
その他にも言葉を受けたけれど思い出せない
いずれにしても仏には違いない
その後眉間に集中すると
ずっと続く廊下? 神殿?
奥へと続く道?
我が家の神殿か 映像として頭に残っていたのかと思うけれど違う
ずっと長く長く続いていく光景
世界のどこか?
久々で頭頂のもやもやを感じる
祝詞を奏上させて頂きながら昨日と同様に神殿の天井には、より大きな金龍と白龍の胴体と思しき部分が大きく見えておるように感じられました。
今日はさながら鱗の一枚までもが確認できるほどの巨大さにも思えました。
あくまでも頭の中で感じたことですので、どこまでがそうであるのかは定かではありませんけれど。
大神はこの二柱の龍は今の此処へ居るのではなく、より次元の高い処へ位置していると話して下さいました。
このことも昨日と同じですね。
そのような映像を感じつつ、自分の傍らにはこれもいつもの如く、我が家の龍、テラが控えております。
神殿で見る彼は段々と身体つきがゴッツく;なっているように思えます。
色味も金色が増えてきておるようですね。
この先まだ変化があるのでしょうが、どうなっていくかは皆目検討もつきません。
また大神の言葉の中で、これもよく言われることですけれど、何処へでも請われれば行って参れということのようです。
これとてやはり昨日同様、タイムラグがあることかと思います。
今すぐにではないでしょうけれど、いずれ時来たりなば、ということなのだと感じております。
続いては暗い中へ一筋の光が射し、その下には書いておりますようにまるで半跏思惟像のような仏の姿が見えました。
これも別の存在からも良く聴く言葉ですけれど、どのような暗闇の中にも光はある、まるで今のこのように一条の光が届くということを示された
ように思えました。
示して下さい といわれておりますけれど、はい、では、と即座に出来るものであるのかどうか、そうであれるよう努めたいと感じる部分ですね。
続いて眉間に意識を集中するようにしておりますと左右が壁なのかどうなのか、いずれにしても前面にもそのような壁があるのか上下左右を囲まれ
たかのような光景が見えてきました。
それが連綿と続く廊下であるのか、また前に見えているところは神殿のような設備があるのか不確かなのですけれど、どこまでも同じような風景が
続いている、そんな感じでした。
これも自分の脳内で見えている光景ですので上手く説明が出来ません;。
いずれにしてもそのような連続した場所が連なる光景でした。
またこのような光景を見ている時には、頭頂がモワモワとする感じを受けておりました。
これらは申すように自分の頭の中の光景、景色であり(龍もそうですけれど;)現実のものではありません。
ただの妄想と言われればそうですね、という答えにしかなりません。
それでも何かを感じ取っているのなら、いずれはこれらが何かであることがわかってくるのかも、とも考えております。
今日はあちこちで桜の開花の便りがあったようですね。
広島でも多くの桜の木があります平和公園では、気の早い人たちがその下で花見を楽しんでられたようです。
我が家の周りでは、鶯や鳥たちの声は聞こえて春を感じておりますけれど、桜の蕾はまだほころぶまでには至らず、ほんの少しピンク色が覗いて
来ておるくらいです。
それでも今週中には咲き始めるのだろうな、と思っております。
朝晩はまだ冷えますがやがてすぐにもっと暖かくなりそうな予感もしておるこの頃です。
お天気自体ぼんやりとした一日でしたが、それに連れてか頭の中身もはっきりしない日だったようでもあります;。
しばらくは雨も降らないようですけれど、このPM2.5だけは早めに解消してもらいたいものだと思う日でもありました。
そんなオバサンのブログにお付き合い頂きました皆様、いつも本当に有難うございます。
感謝申し上げます。
今朝、いつものように朝日を撮ろうとすると外はかなり霞んでおり、相当なPM2.5の影響を感じました。
昨日まではさほどでもなかったのに一日でこのようになるのは、なんともはやですね。
撮った写真も太陽が朧げに見えておりました。
明後日は久々で大社へ詣でるのでそのお供え物にと日本酒を持参することに致しました。
これまでも大抵参らせて頂く折にはそのようにしておりましたので今回も、と思ったわけです。
それは良いのですけれど、ただ持って参るのではなく当然熨斗をつけてとなりますが、その熨斗書きをせねばなりません。
達筆ならばサラサラとなんの気負いも迷いもなく書いていくところですが、このところ祝詞を書くことも少なくあまり筆を持ってもおりません;。
先だって筆を新調した際に、墨汁ではなく墨を磨った方が当然筆には良いとのことを伺いましたので、久しぶりに墨を磨り、おもむろに墨をつけて
半紙にてまさに習字をしておりました;。
弘法は筆を選ばず、と申しますが下手な自分にはこれまた到底及ばずの諺でありまして;、これまで何本も筆を用いつつもどこかで変な癖がついて
いるのかはたまたやはり書き方が悪いのでしょう、はねやら止めが今ひとつ上手く書けません;。
幾度も何度も同じ繰り返しをしつつ練習し、また墨を磨り、また書いてみて、の繰り返しをしつつなんとか熨斗に書いてみましたけれど、どうにも
納得出来ません。
結局三枚書いてみて、ああ;駄目だこりゃ;と思いつつもそのうちの一枚を貼って持参することと致しました。
以前はどうしていたのか、おそらくパソコンでチャッチャッと書いていたのだと思います;。
今のこのパソコンは字体が明朝体しか出せませんので、否が応でも手書きとなります。
本来は当然手書きで持って参るべきですので下手くそながらも、これで良しと致しましょう。
平生往生;、これからは書道の練習、そう習字を日々の事柄に取り入れようと思い直した出来事でした;。
お恥ずかしい限りで御座います;。
朝はいつものように祝詞奏上致しました。
その最中からのことです。
頭上には昨日より よりはっきりと金龍 白龍の胴体が見える 太い
鱗を感じられるほど
テラはこれもまた大きく太くろいうの一段と逞しくなっているよう
大神
〝 そ(そなた)に 見えるは 想念の中でのこと
本来 より高き処へ 位置しておる
導かれしところへ 何処(いずこ)へでも参れ
時 満ちたり 〟
その後 暗闇に一筋の光(白いような青いような)
見えたのは半跏思惟像(はんかしゆいぞう)のような仏の像?
“ どこにでも光はあります
それを示して下さい ”
その他にも言葉を受けたけれど思い出せない
いずれにしても仏には違いない
その後眉間に集中すると
ずっと続く廊下? 神殿?
奥へと続く道?
我が家の神殿か 映像として頭に残っていたのかと思うけれど違う
ずっと長く長く続いていく光景
世界のどこか?
久々で頭頂のもやもやを感じる
祝詞を奏上させて頂きながら昨日と同様に神殿の天井には、より大きな金龍と白龍の胴体と思しき部分が大きく見えておるように感じられました。
今日はさながら鱗の一枚までもが確認できるほどの巨大さにも思えました。
あくまでも頭の中で感じたことですので、どこまでがそうであるのかは定かではありませんけれど。
大神はこの二柱の龍は今の此処へ居るのではなく、より次元の高い処へ位置していると話して下さいました。
このことも昨日と同じですね。
そのような映像を感じつつ、自分の傍らにはこれもいつもの如く、我が家の龍、テラが控えております。
神殿で見る彼は段々と身体つきがゴッツく;なっているように思えます。
色味も金色が増えてきておるようですね。
この先まだ変化があるのでしょうが、どうなっていくかは皆目検討もつきません。
また大神の言葉の中で、これもよく言われることですけれど、何処へでも請われれば行って参れということのようです。
これとてやはり昨日同様、タイムラグがあることかと思います。
今すぐにではないでしょうけれど、いずれ時来たりなば、ということなのだと感じております。
続いては暗い中へ一筋の光が射し、その下には書いておりますようにまるで半跏思惟像のような仏の姿が見えました。
これも別の存在からも良く聴く言葉ですけれど、どのような暗闇の中にも光はある、まるで今のこのように一条の光が届くということを示された
ように思えました。
示して下さい といわれておりますけれど、はい、では、と即座に出来るものであるのかどうか、そうであれるよう努めたいと感じる部分ですね。
続いて眉間に意識を集中するようにしておりますと左右が壁なのかどうなのか、いずれにしても前面にもそのような壁があるのか上下左右を囲まれ
たかのような光景が見えてきました。
それが連綿と続く廊下であるのか、また前に見えているところは神殿のような設備があるのか不確かなのですけれど、どこまでも同じような風景が
続いている、そんな感じでした。
これも自分の脳内で見えている光景ですので上手く説明が出来ません;。
いずれにしてもそのような連続した場所が連なる光景でした。
またこのような光景を見ている時には、頭頂がモワモワとする感じを受けておりました。
これらは申すように自分の頭の中の光景、景色であり(龍もそうですけれど;)現実のものではありません。
ただの妄想と言われればそうですね、という答えにしかなりません。
それでも何かを感じ取っているのなら、いずれはこれらが何かであることがわかってくるのかも、とも考えております。
今日はあちこちで桜の開花の便りがあったようですね。
広島でも多くの桜の木があります平和公園では、気の早い人たちがその下で花見を楽しんでられたようです。
我が家の周りでは、鶯や鳥たちの声は聞こえて春を感じておりますけれど、桜の蕾はまだほころぶまでには至らず、ほんの少しピンク色が覗いて
来ておるくらいです。
それでも今週中には咲き始めるのだろうな、と思っております。
朝晩はまだ冷えますがやがてすぐにもっと暖かくなりそうな予感もしておるこの頃です。
お天気自体ぼんやりとした一日でしたが、それに連れてか頭の中身もはっきりしない日だったようでもあります;。
しばらくは雨も降らないようですけれど、このPM2.5だけは早めに解消してもらいたいものだと思う日でもありました。
そんなオバサンのブログにお付き合い頂きました皆様、いつも本当に有難うございます。
感謝申し上げます。