こんばんは。
昨夜バスから降りて帰る頃はまだどことなく雨が降りそうな気配でしたが寝る頃に空を見ると雲間から眩しいほどの月が見えておりました。
そんな雨上がりの今朝、久しぶりで気持ちよい朝日を見られたような気がします。
空気が澄んでおり、その分清々しさも増したようでした。
日中は暑い位でしたが、雲を見ると秋の空のようでした。
そんな日の朝、たまたま昨夜ネットで見つけた動画の続きを見ておりました。
先日お亡くなりになられた樹木希林さんが主演というのか出ておられた、伊勢の遷宮を中心としたドキュメンタリーでした。
最中はそれほど派手な音楽も殆ど無く、日常を淡々と撮って行くような映像でしたけれど、その中にはそれがそうと分からぬほどの演出があった
かは存じません。
導入部分でご本人のご自宅、というよりもほぼ邸宅でしたけれど、そこを訪れるところから始まりその後はそれから続いていくようでした。
あまりにも自然な感じに続いていくので全く違和感なく、その中に自分もご一緒しておるようなそんな感じも覚えました。
ご本人の何にも飾らないお人柄そのままに伊勢をはじめ、遠くは震災の津波で流された宮城県の地を訪うておられました。
あの日、津波が襲ってくることを分かりながらただ一人最後まで警告として放送をしていた若い女性の声も流されておりました。
何もかも奪って行った地に今は小さな神社が再建され、地元の方々でそれを祝うお祭りも催されていたようです。(2014年現在の時点です)
その再建に当てられた材は本来神宮、伊勢神宮の遷宮の折に供出される木々とのことでしたが、この度はその木々を此方の神社の為に使われた
とのことでした。
その神社の宮司さんは有難いことだと感謝しつつ、この地で皆さんの心のよすがになれる場所を目指したいと話しておられました。
その様子をかなり離れた場所から見守るようにして見ておられた希林さん、静かに物思う姿が印象的でした。
伊勢の地での海女さんの様子も撮っていました。
素潜りで海へと入り、鮑を取ってくる海女さんたち。
御年80歳は優に越えておられる方々ばかりです。
けれど皆さん、とても若々しいのはそのようにして日々海へ入ることで鍛えられ、それが若さの秘訣となっておられるのかもしれません。
そんな海女さんはご自分が採ってきた鮑や手作りのおはぎを神棚等へお供えし、その一部を海辺へと持っていきそれらを海へと捧げて祈って
おられました。
日々の漁への感謝と、それ以上に畏敬の念を込めての祈りであられるのかもしれません。
映像は伊勢神宮内での神官らの日々の祈りや神田と呼ばれる田んぼの様子、或いはおかげ横丁と言われる辺りのうどん屋さんでしょうか、独特の
太い麺のうどんも映し出されておりました。
昔ながらの船に乗り込み船頭さんと二人静かに話をされたり、少し寄り道をしてお団子を召しがったりも。
或いはあの大戦に破れ、心を失ってしまうそうであった当時の青年が伊勢の神にその思いをぶつけるようにして尋ねても、尚返答は帰り来なかった
その思いを短歌にしたためて今日の歌人となっておられる御仁の紹介もありました。
遷宮までの取り組みとしての敬神者に寄るお白石持ち行事等もどのようになされるのかをそのまま撮られてありました。
様々な事柄を経ながら遷宮の日を迎えます。
夜の浄闇と呼ばれる明かりの無い中で三度の鶏鳴の後に、静々と絹垣(けんがい)に囲まれて神様が新しい御神殿へと移られる渡御(とぎょ)。
その様子を希林さんは間近ではなく遠くから感じ取りながら見ておられたようでした。
一夜明けて新しい御神殿へと参拝される人々。
その中に混じり希林さんも階を登りながら新築祝いも何も持って来ておりませんけれど、とユーモアを交えながらも、やはり新しくなられた御帳の
前にて拝礼をされます。
その時、神様の方から、つまりは内側から風が吹いてその帳がふうわりと舞い上がるようにして目の前が開け、中の様子が拝見することがお出来に
なったようでした。
ああ、神様が答えて下さったよう、そう希林さんが呟かれたようでした。
実際、このようにして御帳が内側から舞い上がるのは滅多にないことのようで、やはりそこへ坐します(おわします)大神様がお答えして下さった
のかもしれません。
その様子を画面の此方側から拝見しておりました自分自身も、なんと言えず胸が一杯になるような感覚を覚えました。
ああ、有難い、そういう思いはごく自然にこのようして出てくるものなのだなとその時これもまた改めて感じた想いなのでした。
深い森に囲まれた神宮、その場所はやはり神坐します場所であられるのだなぁ、と一人感慨深く見入っておりました。
今は故人となられました樹木希林さん、けれどその御霊、魂はこのようにしていつまでも自分達に語りかけて下さっているようにも感じておりました。
そのような映像を観た後で、特に御神前で座ったわけではありませんでしたけれど、頭へ入って来た言葉がありました。
尚、この動画を観たのはいつもの祝詞奏上の後でした。
伊勢神宮の映像を見て
なぜなのか分からないけれど 感極まる想い
涙あふれる想い
大神
〝 神の氣があるからこそ
その氣そのものが神なり
それが乱れぬのは 深い森の氣に被われているからだ
出雲の地もかつて神の氣に溢れておった
その社は目の前を海に囲まれておった
人の氣が入り込む余地が無いほどに
その後は土地が広がり 人々が住まい出した
今でこそ人々が住まい 近しい処に人家もある
けれど彼らは静かに神を思い 暮らしておった
今は多くの人間が来る
氣も乱されるやも知れぬの
一つ 服装は乱れてはいけぬということは何故であるか
人間の身体を被うということは その人間の氣も覆うことである
つまりは人(じん)の氣を漏らさぬということでもある
服装が乱れるは それを纏う人間の氣そのものが乱れるから
つまりは その乱れた氣を持ち込むこととなる
人間は未だに服装で その氣も変わる
その乱れたままで歩き回ると ますます乱れてしまうのだ
だからこそ服装には気をつけよということだ
それを上回るだけの氣を保てる者は さほどおらぬ
その事は 心せよ 〟
これらの言葉を大神から受け取りました。
神宮は確かに深い森の中にあります。
鬱蒼とした木々に覆われておられるようです。
参らせて頂いたことは御座いませんが、おそらく何とも言えぬ静寂に包まれた中にその神殿はまさに神坐す処として厳かに建立されておるので
あろうと感じられます。
神の氣が宿るところ、そう確かに感じられる処であるのだろうなと思っております。
出雲の地、その大きな御神殿へとお鎮まりになっておられます大國主大神、同じように神の氣に溢れておられる地であろうかと思います。
そこを訪れる人々は年々多くはなっておられるもののその服装はだんだんとカジュアルになりまるで観光地の一つへ足を運ぶかのように軽いもの
へと変わってきております。
昔からそうであったと言えばそうなのかもしれません。
正式に参拝しようとすれば出雲に限らず神社においては正装が求められておるはずです。
それも変わりがないことでしょう。
しかしその服装一つで、ここで言われておりますように自らの心持ちもかなり変わってくるはずです。
身体を被うことで己の氣を漏らさぬこと、それは思った以上に大事なことであるのかもしれません。
自分自身、そこまでは思いも至りませんでしたが確かに改まった服装をするだけで身も心も引き締まろうというものです。
そんなことは関係ないよと言われる方も少なからずおられますが、服装を整えるということは申すように己の氣を整えることにも通ずるのかも
しれません。
服装に惑わされず氣も乱さずにおられるという人は、まだそれほど多くはないとも言われました。
ならば、せめて服装なりとも整えて参らせて頂ければと思う自分です。
祓えの神様、瀬織津比売の香りを、御祈念をさせて頂きまして四千五百円にて販売させて頂いております。
またご祈念、ご祈祷をせずとも良いとおっしゃる方は二千五百円とさせて頂きます。
新しく龍の香り、殊にテラの香りとして作成したものも御座います。
もう一つ新たに加わりました木花開耶比売も同様に御座います。
その他、ガイアの香り、波邇夜須毘売神の香り、ニューバージョンの瀬織津比売の香りも上記と同様の方法での販売とさせて頂きます。
尚、九月末まではこのうちの五百円をこの度の豪雨災害の義援金とさせて頂きます。
お求めになられたい方は、下記のアドレスまでご一報下さいませ。
またご相談事も承っております、お気軽にお問い合わせなさって下さいね。
テラも待っておりますよ~。
kimikimiblue13@gmail.com
(瀬織津比売の香り)
(テラ 大國主大神の香り)
(木花開耶比売の香り)
(ガイアの香り)
(波邇夜須毘売神の香り)
(ニューバージョンの瀬織津比売の香り)
久しぶりで綺麗な空に恵まれました。
気温は高くとも秋らしい雲も多く見られ、余計に嬉しい一日でした。
こんな風景が見られるだけで楽しく感じられるのは我ながら安上がりでいいもんだ;と思っております。(笑)
皆様の辺りでは如何でしたか?
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
昨夜バスから降りて帰る頃はまだどことなく雨が降りそうな気配でしたが寝る頃に空を見ると雲間から眩しいほどの月が見えておりました。
そんな雨上がりの今朝、久しぶりで気持ちよい朝日を見られたような気がします。
空気が澄んでおり、その分清々しさも増したようでした。
日中は暑い位でしたが、雲を見ると秋の空のようでした。
そんな日の朝、たまたま昨夜ネットで見つけた動画の続きを見ておりました。
先日お亡くなりになられた樹木希林さんが主演というのか出ておられた、伊勢の遷宮を中心としたドキュメンタリーでした。
最中はそれほど派手な音楽も殆ど無く、日常を淡々と撮って行くような映像でしたけれど、その中にはそれがそうと分からぬほどの演出があった
かは存じません。
導入部分でご本人のご自宅、というよりもほぼ邸宅でしたけれど、そこを訪れるところから始まりその後はそれから続いていくようでした。
あまりにも自然な感じに続いていくので全く違和感なく、その中に自分もご一緒しておるようなそんな感じも覚えました。
ご本人の何にも飾らないお人柄そのままに伊勢をはじめ、遠くは震災の津波で流された宮城県の地を訪うておられました。
あの日、津波が襲ってくることを分かりながらただ一人最後まで警告として放送をしていた若い女性の声も流されておりました。
何もかも奪って行った地に今は小さな神社が再建され、地元の方々でそれを祝うお祭りも催されていたようです。(2014年現在の時点です)
その再建に当てられた材は本来神宮、伊勢神宮の遷宮の折に供出される木々とのことでしたが、この度はその木々を此方の神社の為に使われた
とのことでした。
その神社の宮司さんは有難いことだと感謝しつつ、この地で皆さんの心のよすがになれる場所を目指したいと話しておられました。
その様子をかなり離れた場所から見守るようにして見ておられた希林さん、静かに物思う姿が印象的でした。
伊勢の地での海女さんの様子も撮っていました。
素潜りで海へと入り、鮑を取ってくる海女さんたち。
御年80歳は優に越えておられる方々ばかりです。
けれど皆さん、とても若々しいのはそのようにして日々海へ入ることで鍛えられ、それが若さの秘訣となっておられるのかもしれません。
そんな海女さんはご自分が採ってきた鮑や手作りのおはぎを神棚等へお供えし、その一部を海辺へと持っていきそれらを海へと捧げて祈って
おられました。
日々の漁への感謝と、それ以上に畏敬の念を込めての祈りであられるのかもしれません。
映像は伊勢神宮内での神官らの日々の祈りや神田と呼ばれる田んぼの様子、或いはおかげ横丁と言われる辺りのうどん屋さんでしょうか、独特の
太い麺のうどんも映し出されておりました。
昔ながらの船に乗り込み船頭さんと二人静かに話をされたり、少し寄り道をしてお団子を召しがったりも。
或いはあの大戦に破れ、心を失ってしまうそうであった当時の青年が伊勢の神にその思いをぶつけるようにして尋ねても、尚返答は帰り来なかった
その思いを短歌にしたためて今日の歌人となっておられる御仁の紹介もありました。
遷宮までの取り組みとしての敬神者に寄るお白石持ち行事等もどのようになされるのかをそのまま撮られてありました。
様々な事柄を経ながら遷宮の日を迎えます。
夜の浄闇と呼ばれる明かりの無い中で三度の鶏鳴の後に、静々と絹垣(けんがい)に囲まれて神様が新しい御神殿へと移られる渡御(とぎょ)。
その様子を希林さんは間近ではなく遠くから感じ取りながら見ておられたようでした。
一夜明けて新しい御神殿へと参拝される人々。
その中に混じり希林さんも階を登りながら新築祝いも何も持って来ておりませんけれど、とユーモアを交えながらも、やはり新しくなられた御帳の
前にて拝礼をされます。
その時、神様の方から、つまりは内側から風が吹いてその帳がふうわりと舞い上がるようにして目の前が開け、中の様子が拝見することがお出来に
なったようでした。
ああ、神様が答えて下さったよう、そう希林さんが呟かれたようでした。
実際、このようにして御帳が内側から舞い上がるのは滅多にないことのようで、やはりそこへ坐します(おわします)大神様がお答えして下さった
のかもしれません。
その様子を画面の此方側から拝見しておりました自分自身も、なんと言えず胸が一杯になるような感覚を覚えました。
ああ、有難い、そういう思いはごく自然にこのようして出てくるものなのだなとその時これもまた改めて感じた想いなのでした。
深い森に囲まれた神宮、その場所はやはり神坐します場所であられるのだなぁ、と一人感慨深く見入っておりました。
今は故人となられました樹木希林さん、けれどその御霊、魂はこのようにしていつまでも自分達に語りかけて下さっているようにも感じておりました。
そのような映像を観た後で、特に御神前で座ったわけではありませんでしたけれど、頭へ入って来た言葉がありました。
尚、この動画を観たのはいつもの祝詞奏上の後でした。
伊勢神宮の映像を見て
なぜなのか分からないけれど 感極まる想い
涙あふれる想い
大神
〝 神の氣があるからこそ
その氣そのものが神なり
それが乱れぬのは 深い森の氣に被われているからだ
出雲の地もかつて神の氣に溢れておった
その社は目の前を海に囲まれておった
人の氣が入り込む余地が無いほどに
その後は土地が広がり 人々が住まい出した
今でこそ人々が住まい 近しい処に人家もある
けれど彼らは静かに神を思い 暮らしておった
今は多くの人間が来る
氣も乱されるやも知れぬの
一つ 服装は乱れてはいけぬということは何故であるか
人間の身体を被うということは その人間の氣も覆うことである
つまりは人(じん)の氣を漏らさぬということでもある
服装が乱れるは それを纏う人間の氣そのものが乱れるから
つまりは その乱れた氣を持ち込むこととなる
人間は未だに服装で その氣も変わる
その乱れたままで歩き回ると ますます乱れてしまうのだ
だからこそ服装には気をつけよということだ
それを上回るだけの氣を保てる者は さほどおらぬ
その事は 心せよ 〟
これらの言葉を大神から受け取りました。
神宮は確かに深い森の中にあります。
鬱蒼とした木々に覆われておられるようです。
参らせて頂いたことは御座いませんが、おそらく何とも言えぬ静寂に包まれた中にその神殿はまさに神坐す処として厳かに建立されておるので
あろうと感じられます。
神の氣が宿るところ、そう確かに感じられる処であるのだろうなと思っております。
出雲の地、その大きな御神殿へとお鎮まりになっておられます大國主大神、同じように神の氣に溢れておられる地であろうかと思います。
そこを訪れる人々は年々多くはなっておられるもののその服装はだんだんとカジュアルになりまるで観光地の一つへ足を運ぶかのように軽いもの
へと変わってきております。
昔からそうであったと言えばそうなのかもしれません。
正式に参拝しようとすれば出雲に限らず神社においては正装が求められておるはずです。
それも変わりがないことでしょう。
しかしその服装一つで、ここで言われておりますように自らの心持ちもかなり変わってくるはずです。
身体を被うことで己の氣を漏らさぬこと、それは思った以上に大事なことであるのかもしれません。
自分自身、そこまでは思いも至りませんでしたが確かに改まった服装をするだけで身も心も引き締まろうというものです。
そんなことは関係ないよと言われる方も少なからずおられますが、服装を整えるということは申すように己の氣を整えることにも通ずるのかも
しれません。
服装に惑わされず氣も乱さずにおられるという人は、まだそれほど多くはないとも言われました。
ならば、せめて服装なりとも整えて参らせて頂ければと思う自分です。
祓えの神様、瀬織津比売の香りを、御祈念をさせて頂きまして四千五百円にて販売させて頂いております。
またご祈念、ご祈祷をせずとも良いとおっしゃる方は二千五百円とさせて頂きます。
新しく龍の香り、殊にテラの香りとして作成したものも御座います。
もう一つ新たに加わりました木花開耶比売も同様に御座います。
その他、ガイアの香り、波邇夜須毘売神の香り、ニューバージョンの瀬織津比売の香りも上記と同様の方法での販売とさせて頂きます。
尚、九月末まではこのうちの五百円をこの度の豪雨災害の義援金とさせて頂きます。
お求めになられたい方は、下記のアドレスまでご一報下さいませ。
またご相談事も承っております、お気軽にお問い合わせなさって下さいね。
テラも待っておりますよ~。
kimikimiblue13@gmail.com
(瀬織津比売の香り)
(テラ 大國主大神の香り)
(木花開耶比売の香り)
(ガイアの香り)
(波邇夜須毘売神の香り)
(ニューバージョンの瀬織津比売の香り)
久しぶりで綺麗な空に恵まれました。
気温は高くとも秋らしい雲も多く見られ、余計に嬉しい一日でした。
こんな風景が見られるだけで楽しく感じられるのは我ながら安上がりでいいもんだ;と思っております。(笑)
皆様の辺りでは如何でしたか?
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。