日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

娘のこと 続き 4

2017-10-26 22:02:50 | 家族のこと
こんばんは。
今日は朝から一日よいお天気に恵まれましたね、どうやら全国的にそうだったようです。
最近にしては全国で、というのも珍しい気がします、それほど北から南の間で気候がかなり違っていたということなのですね。
とはいえ週末、またしても台風が近づくとか。
もういい加減にしてほしいところです。
意識の中で、此方へ来るな、と念じてみましょうか、多少は逸れてくれるかもしれませんよ。
そんな朝は快晴で始まりました。
遠く、といっても此処から見てですのでおそらく深川(ふかわ)辺りで霧が発生していたのかもしれません。



                                   




                                   




                                   




                                 
                                   


まぁ、何枚も同じような写真を載せることもないんですけれど;。




娘の話を綴りながら、自分でも書いていて半分こみ上げてきそうな思いと、その半分は冷静にこのことを文章にしなくては伝わらないという思いが
交錯しております。
20数年、正確にはもし娘がおれば今27歳ですので、この年月を経てようやっと自身のこととはいえ客観的に捉えられるようになっていきたと
言えるのかもしれません。
これまでこの経験を心の中で反芻しなぞるような思いはあったにせよ、己一人の中に仕舞い込んで、ともすれば忘れ去った記憶の中のこととして
押し込めてきていたようにも、今改めて感じております。
ですけれど、こうして曲がりなりにも文章に起こさせて頂き、皆様の前でさらけ出させて頂くような機会を得て、ようやっと先に帰幽した娘とまと
もに対面しておるのかもしれません。
この世に生を受け、たとえ十数時間という短い間であったにせよ、娘が生まれて来てくれたことは間違いのない事実です。
今一度、当時の記憶を思い起こして、もうしばらく書かせて頂きたいと存じます。




                                   




赤ちゃんはいわれるように真っ赤になって泣くことからその名が付いたといわれておりますけれど、生まれてきた娘は申すように泣くことすら
出来なかった訳ですが、そのような症状の子であるにも関わらず、親がいうのもおかしな話かもしれませんが、顔つきが既に大人の女性の顔を
していたように思います。
生まれてくる前から、もうこの短い人生というのを理解して、その上でこのような姿、顔を持ってたまさかの光を浴びるために出てきてくれた
のかもしれません。

主人自身、この子のこの世での生きた時間、滞在時間はわずか10数時間であったとはいえ、こうして日の光を浴びたということは紛れもなく
生を受けたことには違いない、だから悲しいけれど、ありがとうと言って送ってやろう、そう申しておりました。
普通、このような場合は当事者は喪主となりどなたかに葬儀をして頂くのが本来ですけれど、神主である主人が自分自らがこの子の為にしてやると
いって、自宅にて葬儀を致したようです。
その間、自分はまだまだ病院で臥せっており、葬儀の事も後にその詳細を知ったような次第でした。
主人がその後話したことによると、自分で我が子の葬儀などするもんではない、泣けてしまって祭文(さいもん、祝詞ではなく葬儀ですのでこの
ように称します、仏教でいわれるところのお経をあげる、読経されるのと同等の意味合いかと存じます)が上げられなかったと言う事でした。
それでもなんとか葬儀を済ませて、後に役所へ出生届と死亡届を同時に提出した時には、係りの方がなんともいえぬ顔をしておられたとも話して
おりました。
出産後のバタバタは、少し違った形でそうであったと言えるかもしれませんね。


自分の方はといえば出産、そうしてその直後に子供が亡くなったということで、それまでは6人部屋でしたけれど、病院側の計らいで個室となり
ました。
6人というと今では信じられないかもしれませんが、当時は産婦人科でも大部屋はすべてその人数でして、今現在を存じませんのでどの位の方が
同室となるのか検討もつかないのですけれど。
ともあれ、赤ちゃんが生まれて家族に囲まれ楽しい雰囲気であろう中に、自分のような者が居てはお互い気まずかろうとの考えだったようです。
確かに一人で考える時間はその部屋では大いにありましたが、反面そのことばかりを思いあぐね、話し相手もいない部屋にじっといることの方が
ある意味辛かったようにも覚えております。

出産後は精神的なこともあったのかどうにも体力が回復せず、先に書きました、頭を打った時にお世話になったご夫婦の所へ整体をして頂きに退
院後は通いました。
そのお宅はマンションで、下に車を停めてエレベータで部屋まで上がるのですが、その少しの距離を歩くのが身体がまるで雲の上を歩くようにふわ
ふわとし、自分自身の実体がないように感じておりました。
出産したとはいえ既に子供はおりませんが、おっぱいはどうしても張ってくるため、それを止める薬を処方されておりました。
早く止めた方が次の妊娠をしやすくなると言われたようにも思いますが、その事も少し悲しい思いもしておりました。
そんな、心身共に疲れ切っていた自分でしたけれど、そのような自分を殊更に慰めるでもなく、ごく普通に接して下さったそのお二人の優しさが
余計に沁みる思いでした。                                   

自宅では仏教でいうところの四十九日にあたる五十日祭までの期間、娘の為の小さな祭壇を設け日々祈っておりました。
十日毎に、これも祭りを行い、この時は主人が祭文を奏上してくれました。
その間、二ヶ月程、前に述べたようにまだどこか身体も心もフワフワしたような感覚が抜けず、ただ毎日を娘の小さな遺骨に手を合わせていたよう
に思います。
五十日祭をなんとか済ませた後、いわば納骨したのですけれど、墓は出雲にあり、骨の一部、ほんの少しをよくは覚えておりませんけれど、稲佐の
浜であったか他所であったかで散骨したような記憶がうっすらとあります。
ただし、本当にそうしたのか、これも申すようにどうにも自分がしっかりしていなかった時期のことでもあり、その記憶も曖昧です。
それでも何とか一連の為すべきことを一通り終わって、自分も夢うつつなようだった状態から抜け出したように感じております。
 




                                   



娘の事を書いていると、いつの間にか自分の事になってしまっておりました。
あの頃の記憶を辿ると、どうしてかそこへ行き着き、外せないようにも感じます。
この分だとどうやらこの週末までこの話が続く事になりそうです;。
どのように決着がつくのか、皆目自分でもわかりませんけれど、娘との覚束ない記憶を思い起こしながら、今しばらく続けさせて頂こうと思います。




                                  



少し重苦しくなってきておりますけれど;;。
それでもお付き合い頂きました皆様、いつも有難うございます。
感謝申し上げます。                                     
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娘のこと 続き 3

2017-10-25 21:44:30 | 家族のこと
こんばんは。
このところ日が陰るのが早くなりましたね。
以前はこのあたり午後五時でもまだ日は射しておりましたけれど、今は早々と山の向こうへと隠れてしまいます。
もちろん、下界;はまだまだ日はありますよ。
それだけここら辺は山に近いということですね。
そんな朝は雲もなく晴れ渡り、久しぶりで綺麗な朝日が見られました。
遠くの山裾辺りは、霧も出ていたようです。





                               




                               





                               





                                


昨日、自分でもどうしてという位、娘の誕生までを詳細に綴っておりましたけれど・・・。
これまで親しい方にもそれほど此方から積極的に話したこともありませんでしたし、かと言って特に隠している様なつもりもなかったのですが。
書き出すと止まらなくなったというのが正直なところです。
普段、積極的に気持ちの中へいつも娘のことを思う部分があるかと問われれば、毎日はさすがに無いとしか言えません。
そんな自分に、たまには弟のことだけではなく姉の自分のことも書いてほしい、と暗に向こうの世界の娘から提案?してきたのかもしれません。
確かに、なにかあれば娘に当てはめて考えることはあるにせよ、いつもという訳ではありませんし。
今回は出来の悪い母親自身(いや、本当に;)の、自分自身に対する懺悔のような感じなのかも知れないと思います。
懺悔という言葉自体、神道にはどうにも的確な言葉が見当たらないようですので、敢えてこの言葉で表現させて頂きます。




                               


出産自体はお腹の子自身が力が無いせいか微弱陣痛で始まり、時間ばかりがかかったように思います。
一晩中、時たま襲うようにしてくる陣痛に苦しみながら、食べないと力出ませんよといわれる食事も喉を通らず、しんどさばかりが増していくよう
でした。
結局、時間が掛かり過ぎているということで途中から陣痛促進剤を服用してくださいということになりましたが、言われた量をきちんと飲むのが
どうにも嫌で(勝手な患者でした;)何度か出されていた薬をそれこそ勝手に抜かしたりをしておりました。
駄目じゃないですか、と幾度か様子を見に来た看護師さんに叱られながらも最後はおそらく注射であったのか、薬を入れた途端に激しい陣痛の
痛みに襲われ、なんとか出産にこぎつけたのでした。
とはいえ元々弱いとされていた子供ですし、出産したにもかかわらず産声を上げることはありませんでした。
10秒、15秒、と声をあげない赤ん坊の傍らでその時間を読み上げる看護師さんの声がありました。
やがて取り上げられた娘は待ち受けていた小児科医に抱きかかえられるようにして別の部屋に連れて行かれたようでした。

自分自身は出産後の猛烈な子宮収縮の痛みがありながらも、一向に姿を見せてもらえない我が子のことが気になっておりました。
けれど看護師長はじめ、誰一人として子供のことを伝えてくれる人はいませんでした。
主人ですら、よく頑張ったなと立会い出産で全てを見ていたにも拘らず、そう声をかけるばかりで何も教えてくれません。
よく休みなさい、と口々に労わって下さる皆さんの声にありがとうと返しつつも、結局は一晩中痛みと心配とで寝られないままでした。
一夜明けるとなんともしんどく、出産とはこのように疲れるのかと感じておりましたけれど、どうやら使用した促進剤の影響もあるようでした。
そんな中で早速にお見舞いに来て下さった方もあったのですけれど、目を開けていることすらしんどい状態でまともに今度は返事も出来ない
感じで過ごしておりました。
そんな中、当日であったか次の日であったか、主人があのな、と言って話しかけてきました。
二人して、たまたま誰も入っていないガランとした病室へ移動し、主人が声を出そうとしたその時に
「駄目だったん?」
と自分が言うと、同時にそばにいた主人の方が声を上げて泣き出したのでした。
瞬間、目の前の景色が全て色あせたように感じられ、これは悪い夢ではないのか、そのように感じられました。
何かを隣で一生懸命に伝えてくれている主人の声がどこか遠くで聞こえている、よくドラマでそんな風な表現がありますけれど、実際にその時は
自分自身がぼんやりと、これって本当にあることなんだな、とどこかぼやけたような感覚で聞いていたように思います。

実際、出産直後に生まれた子に何がしかの異常があり子供が亡くなった場合、そのことを伝えることにより母親自身が精神的に相当なダメージを
受け、心身共に回復が危ぶまれることが多いのだそうです。
今回、そのようなケースも十分に考えられると医療側も捉えていたようで、では誰が伝えるのが一番良いのか、かなり議論になったそうです。
結局は、どうなってでも自分の妻だから、と主人がその役を買って出たようでした。
自分自身、出産直後から、もしかしたらということは常に頭にありましたので、主人の顔色を見た途端、わかったという方が正解かもしれません。
話を先ほどに戻すと、泣いている主人の方がどうにかなりそうで、自分自身はショックではありましたけれど、やはりそうであったかという気持ち
の方が、その時点では強かったように思います。
新生児集中治療室、NICUにて出産直後から保育器に入れられ、医師をはじめ多くの看護師さん方に見守られながら十数時間を過ごしたであろう
娘。
最後にお母さんが抱いてあげて下さい、と受け取ったその小さな身体は既に冷たくなっておりました。
ですけれど、その我が子を初めて抱いて頬ずりする自分を見る、それまでお世話をして下さっていた医師や看護師さんらは、既に泣き腫らしてぐちゃ
ぐちゃになった顔で待って下さっていたのでした。




                                  



娘は100~200万人に一人という「ポッター症候群」という症状で生まれ出た赤ん坊でした。
これは身体の外側は一見、完全に出来上がっているように見えるのですけれど、中身、いわば内臓はその多くが欠落している状態であるようです。
どうしてどのようなことになるのか、その時の段階ではわからないとされておりました。
自分にしてみると、あの妊娠二ヶ月目頃に頭を強打した後から悪くなったといわれておりましたので、素人考えではありますが母体は大丈夫であった
けれど、胎児には重篤なダメージをその際に受けたのでは、と考えております。
娘の場合もあれこれが無いという状態であったようですけれど、臍の緒、臍帯で母体と繋がっていたため、なんとか胎内では生育出来ていたよう
でした。
しかし、一旦外の世界へ出てしまえば、呼吸することも排泄することも自らが行わなくてはなりません。
心肺機能は通常の3文の1程度しかないため産声は上げることは出来ず、腎臓そのものが無い故、その機能も無く生れ落ちた瞬間から腎不全の状態
であったということでした。
保育器に入れられた娘を唯一人見に行った主人は、自分の人差し指をそっと差し入れてみたそうです。
その人差し指を、その子は思いがけぬ程の力強さでギュッと握り返してきた、と話してくれました。
それだけで、ああこの子は、この世に生まれてきてくれたんだ、ありがとう、そう感じたとも言っておりました。
ただし、娘の瞼をそうっと開けてみると、そこには瞳が無い状態だったとも言っておりました。
何ともいえぬ気持ちになりながらも、目の前で声も出せぬ娘がそれでも必死に生きようとしている姿にどうにも涙が止まらなかったとも話して
くれました。
そんな娘との対面があった後に私への報告だったらしく、泣くしかなかったのだと思います。




                                   



出産時直後は、概ねそのような状況だったかと思います。
今日の時点でこの話にけりをつけて、最初の『龍』に結びつけるつもりでしたけれど、どうにも話が終わりそうにありません。
もう少し、自分自身で納得が行くまでこの話を続けさせて頂ければと思います。





                                   



毎回拙い話を続けておりますこのブログ、本日もお付き合い頂きました皆様、いつも有難うございます。
感謝申し上げます。
                                   
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娘のこと 続き

2017-10-24 23:49:52 | 家族のこと
こんばんは。
どうにも書いていた記事が突然、後半部分全て消えてしまったのが納得いかず続きを書いております。
というか覚えている間に先ほどのことを思い出しながら、今一度綴ってみたいと思います。


その当時今から20数年程前は、妊娠して検診に行っても今ほどエコーもはっきりしておらず、なんとなくお腹の赤ちゃんはこんな感じですね、
と分かる程度のものでした。
そのような頃でしたけれど、検診に行く度に渋い顔をした産婦人科の医師に胎児の発育状況は良くないといわれ、自分自身もそれで余計に落ち込ん
で帰るような有様でした。
ある時、羊水穿刺といってお腹に針を突き刺し、それで羊水を取り出し胎児の状態を調べる検査をするかどうか提案されましたけれど、夫婦で話し
合いそれは断りました。
月日は経ち、臨月近くになりその個人病院の医師から、うちでは最後までは責任を持って診られないといわれ、その時点で病院を替わることを薦め
られました。
今更という思いもしましたけれど結果的にはその方が良く、総合病院である別の産婦人科に移り、その当時は妊婦さんでごった返す待合室で臨月の
最後の頃の検診を受けたのでした。
その病院では診察を受けた後、自分が自分のカルテを持って受付へ戻していたと記憶しております。
ですのでカルテの中身を見ようと思えば、自分のそのカルテを覗くことも出来たわけです。
どんなことを書かれているのかと中を見ると、カルテの端っこの方にその先生の字で「このあかちゃん、どうかな~」と書かれてありました。
嘘でしょ、と思われるかもしれませんけれど本当です。
それを見た自分は正直な先生だな、と感じました。
実際こちらの病院へ移り、何人もおられる女性の産婦人科の先生らに
「全て包み隠さずお伝え致します。お腹のあかちゃんは、帝王切開で取り出すのも難しいと思いますので自然分娩でいきます。力を尽くします。」
といわれておりましたので、それだけでも頼もしく思え、夫婦共々全面的に信頼を致したのでした。
その当時、周産期医療がようやっと言われだした頃の事で、後に出産となる時には、産婦人科と小児科の医師が共に分娩室に集う形で行われる
ことになっておりました。
そのようなことも伺って後の、この先生の「このあかちゃん、どうかな~」の書き込みでしたので、患者である自分が覗くかもしれないという前提で
敢えて書き込まれておられたのかもしれません。
その日帰宅してそのことを主人に話すと、おそらくそうかもな、と言っていたように思います。
不安がないわけではありませんでしたけれど、それまでとは違い隋分と気持ちを楽に持つことが出来、出産までの日々を過ごしていたように思います。




                                



先に掲げた記事の続きは概ね、このようなことを書かせて頂いておりました。
これ以上ですと、どうにも明日にかかってしまいそうです;。
切りの良いところで今夜は終わらせて頂こうと思います。
なんとも歯切れの悪い書き方になってしまいまして、申し訳ございませんでした。

この前半部分を書いておりました時、たまたま息子から電話があり、話をしていたのですけれど、どうにも息子にしてみると母親の自分に対して
腹に据えかねることがあったようで怒って電話を切ってしまいました;。
直後に記事をアップしようとして、その部分が消えてしまいましたので、なんだか娘や息子らに
「しっかりしんさいや(しっかりしてください)、全くもう」
と怒られたのかもしれません;;。
我が子ながら、この子らならやりかねないかも、とも感じた事でもありました。
親として反省致すべき、と今感じておるところです;。
痛いところを言ってくれるのは身内だからこそ、たとえそれが子供からだとしてもそう感じているからこそ、と思えた、つい先ほどの出来事でした。



さてさて明日にならぬうち、また、もう一度消えてしまわぬうちにアップさせて頂く事と致します。


再度のお付き合い、有難うございました。
お休みなさい。
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娘のこと

2017-10-24 22:16:08 | 家族のこと
こんばんは。
いつに変わらぬ挨拶から始まりますけれど。
朝晩やはり冷え込むようになりましたね。
北海道では雪のためチェーンを付けていなかった大型車が立ち往生して、その後十数時間動けなくなったとニュースが出ておりました。
かと思えば、南、石垣島辺りでは未だに暑いのが当たり前のようで、入ろうと思えば水の中でも飛び込めるほどの気温らしいですね。
日本列島、やはり北から南ですと相当に気候に隔たりがあるのかもしれませんね。
そん日の朝はこんな感じでお日様が顔を見せておりました。



                             
                                  




                                
                                  




先日、数霊(かずたま)というものをご紹介し、その中で「龍」のそれは86であるとお伝え致しました。
それがどうした?ですけれど、自分や家族にもその数霊を当てはめてみると、その86が娘の姓名を合わせた数霊と一致しました。
我が家は一人息子です。
では何故娘なのか。
実は息子の生まれる一年前に娘も生まれておりました。
けれど、その子は18時間という、この世での滞在時間で向こうの世界に帰ってしまいました。
この話には、少し理由があります。

最初に娘を授かって2ヶ月経った頃、ある日家の外でプランターで何か種を蒔こうと自分ひとりで外におりました。
種を蒔き終わって立ち上がった途端、窓に取り付けていたウィンドファンの室外機にいやと言うほど頭を打ちつけ、自分自身そのショックで
しばらく身動き出来ない程だったのだと思います。
その場所へそのような硬く出っ張ったものがあることは分かっていたはずですが、その時は全く頭に無かったんでしょうね。
ともあれ、このままではいけないと思い、なんとか家の中へ入ったことは覚えております。
その頃、主人は仕事から戻り、二階で着替えていたようです。
自分が室外機に頭を打ちつけた時、一瞬地震かと思うほど家が揺れたそうです。
一階へ下りてくると、最初はネコが丸まっているのかと思ったそうですが、すぐにそれが私だと分かり頭を抱えて痛い痛いしか言わないその声が
段々と小さくなっていくのを見たとき、これはただ事ではないと感じたのか、すぐに救急車を呼んだようでした。
当の自分はといえば、何とはなく救急車に乗せられ移動していることは分かっていたようなのですけれど、殆ど覚えておりません。
端から見る分には、どうも息をしているのかどうかさえ怪しかったようで、ともかくにもいつもお世話になっている主治医の病院へと運んで
もらったようでした。
それからどのくらい経ったのか、気づくと自分は当然ベッドの上で寝ておりました。
何か処置をしてもらったのかどうかは覚えていないのですけれど、声を出そうとしても全く出せなくなっておりました。
その日は3月の春分の日の前の日でした、というのも次の日に自分の友人の結婚式があり、それに呼ばれていたから日にちを覚えていたのですね。
痛い頭でしたけれど、どうやら脳内に損傷があったわけではないようでしたけれど、一晩大事を取って入院したらという主治医に、どうしても帰り
たいとの旨を主人を通じて伝えてもらい、無理をして帰宅しました。
そんな状況でどうしようとしていたかというと、その当時、手技といい、身体を触って治すいわば整体をする知人のご夫婦が降り、その方らの所へ
連れてってほしいと主人に無理やり頼んだのでした。
どうやってそのお宅までいったのか、もう記憶にありませんが、ともかくそのお宅へ伺い、そこの奥様に痛む頭を30分以上も手を当ててもらって
おりました。
このご夫婦は自分達の結婚式の折に出席して頂いた方達でもあり、いわば気心の知れた間柄でしたので、その日の経緯も話してそのような運びに
なったのだと思います。
手を当てて頂いた自分自身は、救急車の隊員さんに下手をすると、と危ぶまれる程の状態であったにもかかわらず、治療が終わる頃には声も普通に
出せるようになり、痛みも相当収まって笑顔も出るようになっておりました。
次の日の友人の結婚式の話、これも色々とあるのですけれど、これはまた次の機会に譲ると致します。

ともあれそのようなことがあって後、それまでは順調に育っていたお腹の子でしたけれど、その日を境に成長は芳しくなくなっていったようでした。



                                  



すみません、続きを長々と書かせて頂き、後はアップするだけ、というところで後半が全てどうしたわけか消えてしまいました;。
もう一度書くのは、今の時点、力が抜けてしまいました、申し訳ございません。

気を取り直して、明日もう一度続きから書かせて頂こうと思います。


かなり短めの本日のブログとなりました、すみません。
それでもお付き合い頂きました皆様、有難うございました。
感謝申し上げます。
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ご縁かも

2017-10-23 21:23:08 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
昨夜は相当な風が吹いておりどうなることやらという感じでしたけれど、なんとか無事で一晩が明けました。
このあたりは日中、時折突風が吹くくらいで被害らしきものはありませんでしたけれど、雨で酷い被害にあわれた所、あるいは公共交通機関が
動かなかったり、と各地で大変だったようです。
そのような被害に遭われた皆様方にお見舞い申し上げます。

今朝は暑い雲の隙間から太陽が顔を覗かせておりました。




                                




                                




そんな今日は一日曇ったり照ったりを繰り返しておりましたけれど、これからしばらくは晴天が続きそうですね。
やっと秋らしくなって来るのかもしれません。
夕刻、いつものように散歩に行こうと家を出たところで向かいのお宅から、どこかで見かけた?お顔の男性が。
どうも営業で回っておられるようなのですけれど、それにしてはそのような営業の方は存じないしな、と思っていると向こうからお声を掛けて
下さいました。
「○○でお世話になっていた・・・」
と、そこでああ、あの会社の、とやっと気づきました。
以前は、その方は会社では常にスーツ姿でおられましたので今のような作業服ではなかったのでわからなかったようです。
その会社は、十数年前にまだ主人がおりました頃、ある方からの紹介で神棚を設けて欲しいとのことで伺うようになったところでした。
広島へ新たに支店を作り、これから頑張っていこうという気概に溢れておられる会社でしたので、参らせて頂いていた自分らもその雰囲気に
此方が元気を頂戴して帰るような感じでもありました。
年月を経るうち主人が倒れ、それでも変わらず参らせて頂いておりましたけれど、会社自体も中での様子も徐徐に変わられ、いつしかうちの
講社とは疎遠になっていかれておりました。
自分でも、会社の皆さんは元気にしておられるだろうか、とふと思うこともありましたけれど、知るすべもなく今日に至っておりました。
ですけれど今日久しぶりでお会いしたその方はどうやら以前とは別のところへお勤めらしく、それも伺えば、どうやら会社自体が広島のその
拠点を一年ほど前に無くされたとのことでした。
えぇっと驚く自分に、これまでの経緯を掻い摘んでお話して下さいましたけれど、なるほどそういうことであったのか、と合点がいきました。
年月を経るうちに色々変わることがあるのは当然のことですし、それよりも何よりもその当時その会社へおられた皆さんは今現在どうであられる
のか伺いますと、皆さんそれぞれに前職と似たような所へご縁を頂かれ、頑張っておられるとのことでした。
それなら何より、と聞いておりました此方も安堵させて頂いた次第です。

何事も同じように存続させていくことの難しさのようなものも感じつつ、今日久しぶりでお会いしたその方と話をしながら、ご自身は今の方が
精神的には楽ですとおっしゃる口ぶりからは心の余裕を拝見したように感じました。

皆がいわば一丸となって物事に取り組んでおれば自ずと活気も沸いて来るのでしょうけれど、せねばならない、こうでなくてはならないと縛られ
ると段々と窮屈になり雰囲気も暗くなってくるのでは、と思います。
こう書かせて頂きながら生意気ではありますが、なんとなく今の日本の産業界の抱えている暗い部分をある意味、垣間見たような思いがしたのも
事実です。


その方と二人してしばらく歩きながら、それじゃとお別れしましたけれど、このような自分に気軽にお声を掛けて下さった事がとても嬉しく感じ
られた出来事でした。
この方としかしあと1分、自分が家を出るのが遅ければ、おそらく出会っておらずすれ違っていたでしょう。
そう思うと、これもなんだか今日このようにしてお会いさせて頂けたのは、やはりそのようなご縁を頂いておったのかもしれません。
不思議といえばそうですけれど、出会い、ご縁というものはそのようなものなのかもしれませんね。



                                 
                                   


朝はいつものように祝詞奏上の後に目を閉じて瞑想をしておりました、といってもそんなに長い時間ではありません、してもせいぜいが
20分かそこらです。
瞑想の仕方は色々あるかと思いますけれど、自分の場合はまず一番下のチャクラから白く輝く丸い光を順番にその上のチャクラへと上げていく
感じで行っております。
その一番下のチャクラではイメージの中で赤く感じられ、チャクラを上がるごとに赤からオレンジにそして黄色に、と色味が変わるように
思います。
また白いその玉がそれらのチャクラに来るとそこがじんわり温かく感じるようです。
自分自身、瞑想をする際にこのように順番にチャクラを意識し出したのは割と最近で、それまでは常に眉間のチャクラに意識を集中して行って
おりました。
そのせいか、今でもこの眉間のチャクラへ意識を持ってくると一番敏感に感じるように思います。
此処へ意識を集中すると、映像としては紫色が浮かんできます。
それが本当であるのかどうかは自分ではわかりませんけれど、そんな感じになります。
その紫色が中心から周りへじわーっと滲むのではありませんけれど、広がっていくように思え、それが幾度も繰る返されるようです。
こうなってくると、やがて頭頂部がモヤモヤとしてくるみたいで、心地よく感じます。
大体がこんな感じの、瞑想というのか、ただ座っているだけなのですけれどね;。

この時に言葉のようなものが入って来たり、映像が次々に浮かんできたりします。
今日は言葉として入ってきました。


    (瞑想で)目に見えるもの 感じるもの それ全て己れの世界なり 本物なり

         一人ひとりの世界がある それは真実 みんな違う それでよい



         此度の台風 根こそぎ 悪しきものを一掃するため 人々の心の中から 地中から
     
         ひとたび 悪しきものを 全て 洗いざらい出してくる

         それがなければ 次の良い芽が出て来ぬ

         そのための 大風  

         人々の心を 今一度 目覚めさせるため



         火山の噴火は ある意味 ガス抜き 地球はおできのように 此処から出したがっている

         マグマ かゆくて堪らない

とそんな言葉が入ってきたようでした。
言葉をこのようにして書き出すと、あまりにも辛いことを言われているようにも感じます。
地球やよく言われる上の方から、とすればそのようなことになるのかもしれませんが、それを受ける側の者、つまり我々人間はたまったものでは
ないとも思います。
ですけれど、何事にせよ綺麗な状態にするのであれば、一度全て悪いものを外に出してしまわねば、いくら上っ面、表面だけを取り繕っても致し
方のないことかも、とも思えます。

今回の大型台風、その様相を見たとき、日本列島はすっぽり覆われるように大きく伸ばした腕のような雲の下にありました。  
周囲の空気を左回り、反時計周りで取り込み、巻き込みながら進んできます。
昨日も申したごとく、折りしも衆議院選挙の投票日に狙い定めたようにやって来た台風、何かを暗示しているように感じられた方も少なくない
のではないでしょうか。   
言葉の中身は、このようなことも含んでいたのか、とも考えましたけれど、さてどうなんでしょうね。
意味としてわかってくるのは、まだ後少し時間が掛かるのかもしれません。




                                




毎回、他愛ない話に終始しておりますこのブログ、本日もお付き合い頂きまして有難うございました。
感謝申し上げます。
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