30年前夫が亡くなった後、地域の一定数の人達から無視される、辛辣な言葉を浴びせられる、配偶者を亡くしたことで同性から見下される、というような扱いを受けました。
その都度、これは一体何だろうか?と考えました。私が彼らに何をしたというのだろう?
そんな状況が続いているうち、その人の持っている感情の自浄作用として弱っている人を叩くのは面白いんだ、そして、同じような考えを持つ側にいる安心感なんだと理解しました。
そこから私は人々が私に向ける嫌がらせを徹底して無視。幸か不幸か夫亡き後やらなければならない事が山ほどあって、構っちゃいられなかったのもあります。
1年もすると、それは潮が引くようになくなって行きました。
今もその人達と会えば挨拶もするし、お身内に不幸があればお悔みも伝えます。人の不幸を嗤ってはいけない。明日は我が身です。
SNSを見ていると思います。
何かあれば事の詳細も知らずに多くの人が叩く。擁護する人がいればその人も叩く。後にそれが間違っていたとしても、発した言葉の責任をとらない。
それが大衆の心理だとしても、私は何か怖さを感じるのです。
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イングリッシュセッターのジェームス。君が逝って27年が経ちましたよ。大好きだよ。