人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

神の栄光を見る②。

2016年01月24日 | お気に入りの言葉

 互に呼びかわして言った、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。(イザヤ 六・三)

  詩人ブレークは、海岸に立ち、大洋のかなたから日が上るのをながめていた。空も、海も、屈折光戦で輝いている。日輪が、今まさに水平線上に姿を現そうとしている。そのとき彼は、自分のそばにひとりの男が立っていることに気がついた。ブレークは恍惚としてふり向き、日の出を指して叫んだ。「ごらんなさい! ごらんなさい!

  あなたはあれをどうごらんになりますか」。男は答えた。「ええ、まるで、お金・・金貨・・のようですね。あなたはどうですか」。ブレークは答えた。「私は神の栄光を見ます。そして、おびただしい天の軍勢が、『聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主』といっているのを聞きます」。

A・W・トーザー

L・B・カウマン著 「山頂をめざして」より


神の栄光を見る①。

2016年01月24日 | お気に入りの言葉

 互に呼びかわして言った、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。(イザヤ 六・三)

  ある少年が父に連れられて動物園に行った。少年は、さるに非常な興味を覚え、美しい小鳥や、しとやかなしか、力の強い水牛などは見ようともしなかった。家に帰って少年が話すことができたのは、さるの話だけであった。

  私たちは、この人生を、多くのくだらない小間物やおもちゃをながめながら過ごし、神と、神が与えて下さる多くの祝福には、全く気づかないのではないだろうか。

  ふたりの者が海をながめていた。ひとりは、水の量を見ていただけだが、もうひとりは、畏敬の念に満たされていた、そこに、神の御手のわざを見て・・・小鳥のさえずりが聞こえて来た。初めのひとりには、それは騒音だったが、もうひとりの心は一日じゅう天に向けられていた。そして、小鳥の歌のゆえに、更に主を愛した。その目は、主の手で開かれて見え、耳はふさがれずに、多くの事を聞く。・・・

A・W・トーザー

L・B・カウマン著 「山頂をめざして」より