人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

なぜ、思いわずらうのか。

2016年01月28日 | お気に入りの言葉

 イエスは彼らに言われた、「 なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」マルコ四40

 なぜ、寝床のことで思いわずらうのか

私たちはほんの一晩宿るだけだ

あるいは一月、あるいは一年

主の命のままに、この地上の住居に宿るだけだ

 なぜ、行く道のことで思いわずらうのか

丘や深い谷のことで、しかし

暗い道、重い荷があっても

私たちは見えざる手に助けられる

 なぜ、まだ来ていない年のことで思いわずらうのか

恐れではなく

勇気と信頼を持って労する者は

神との交わりを持つ

  私たちは思いわずらいを罪として扱うまで、これに対する勝利を知りません。なぜなら、思いわずらいはそんなものだからです。それは、御父のやさしいご配慮への根強い不信です。一羽のすずめが落ちるのさえ、神のやさしい配慮の中にあると、神は何度も私たちに確信づけて下さっているのですから。

 思いわずらいの始まりは信仰の終わりであり、信仰の始まりは思いわずらいの終わりである。       

カウマン夫人著 日の出に向かってより