イエスは彼らに言われた、「 なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」マルコ四40
なぜ、寝床のことで思いわずらうのか
私たちはほんの一晩宿るだけだ
あるいは一月、あるいは一年
主の命のままに、この地上の住居に宿るだけだ
なぜ、行く道のことで思いわずらうのか
丘や深い谷のことで、しかし
暗い道、重い荷があっても
私たちは見えざる手に助けられる
なぜ、まだ来ていない年のことで思いわずらうのか
恐れではなく
勇気と信頼を持って労する者は
神との交わりを持つ
私たちは思いわずらいを罪として扱うまで、これに対する勝利を知りません。なぜなら、思いわずらいはそんなものだからです。それは、御父のやさしいご配慮への根強い不信です。一羽のすずめが落ちるのさえ、神のやさしい配慮の中にあると、神は何度も私たちに確信づけて下さっているのですから。
思いわずらいの始まりは信仰の終わりであり、信仰の始まりは思いわずらいの終わりである。
カウマン夫人著 日の出に向かってより