葉山の海と森

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トノヤマ残照

2021-12-21 11:11:05 | Weblog
随分前に鎌倉のバー「トノヤマ」の事を書いたが、その後お店を引き継いだ「Y」というお店が今月で再開発のために移転する。
再度書く気になったのはこの場所が鎌倉駅から近く八幡宮の二の鳥居のそばという立地で新しいビルに生まれ変わるそうだ。

思い出の「トノヤマ」が完全になくなるというのは仕方のない事だが、そこのカウンターは何とか残せないかと考え始めた。
たかがカウンターとはいえ、約60年前の厚いラワンの曲げ加工で縁取りし、寄木の趣のあるカウンターで庶民の文化財と云えるものであった。
経営者一族はほとんど鬼籍に入り、客たちも同様であるが残ったもので何とか残したいと思い立ったのであります。

殆どの方は知らないと思うのだが、怪優と言われた殿山泰司氏の義妹がママをやっていて、ご主人だった松竹の映画美術監督だった戸田重昌氏が
設計し、松竹の大道具が宮大工仕様で作ったという今でも頑丈なカウンターが残っているのでこれを何とか残したいと思っている。
当時の流行だったラワン材の厚い縁取りと寄木のカウンターはたばこの焼け焦げや酒を吸い込んであめ色に変わってはいるが、まだまだ使用可能な
しっかりしたものである。

開店当時は作家や松竹関係者はもとより鎌倉の知識人が談論風発、時代とともに会社帰りのサラリーマンが一寸立ち寄りバス待ちやタクシー待ちで
深夜まで賑わっていたものだった。鎌倉の「トノヤマ」と云えば銀座のホステスが鎌倉に住んでいる客の社長を送りながら来たという話も残っている。
物書き、詩人、映画製作、新聞記者、旦那衆が常連で我々若造も社会勉強をさせて頂いたものであった。

老人の郷愁かもしれないが、今の鎌倉の商店街を見て淋しく感じている年寄りとしては、せめて青春のよすがを何とか残したいと思っている。
鎌倉でバーをやりたい人いないか探しています。カウンターは持ち主さんの了解を得てもらうことになっていますので、運賃だけでいいのです。
又、保存ができるようにだけでもと考えています。「トノヤマ」ゆかりというだけで客が呼べるのではないかと思っています。

鎌倉は変わりました。世の中も変わりました。人の心も変わてしまったかもしれません。でも60年、人の喜び、悩み、愚痴、楽しみを見てきた
カウンターを何とか救いたいと思っています。何とか頑張って生かす方法を考える今日この頃です。(良い知恵を頂ければ幸いです)







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