また、鬱陶しい梅雨がやってきた。これを書きながら足元には400wのストーブを抱えて書いている。年を取ると寒暖差が
身に沁みてくるが、今年は極端に暑さ寒さの差があると思えるのは年のせいであろうか?しかしながら日本は幸せである。
海外では熱波で川が干上がるような状態らしいので、ちゃんと梅雨という雨の季節もあり、夏の暑さや冬の厳しさもあるこの国に
生まれた事の幸せを感じるこの頃である。
鎌倉に生まれ40年、葉山に住んで38年にもなるが久しぶりに庭先に青大将が現れて自然が戻ってきた感がうれしくもあり
夜中に帰ってくるときには大通りを通ろうと改めて蛇嫌いを実感したものである。これからの季節紫陽花や木々の緑が目を楽しませて
くれるがこの地域に住むことが如何に幸せなことかとつくづく思わされる。
ただ、申し訳ないくらい平和な日本、葉山に住んでいる自分に出来る事は限界があり、ウクライナやビルマ、アフリカなどの途上国など
大変な状態であるのに何もできない自分には忸怩たる思いもある。今日のニュースで円安が進み135円(対ドルレート)という20年
ぶりの下落だそうである。この先の不確的要素、ロシア問題を端に発する不景気や人心不安など枚挙にいとまないこの頃だ。為政者は
その事を肝に銘じてもらいたいのだ。
梅雨に咲く花は情緒があって良いものだが、雨の鬱陶しさと寂しさがこの先もずっとこの世情を象徴しているような気がしてならない。
人生の終焉を見据えるようになると残される人たちへの何もできなかった事への無責任さを感じることが多くなった気がしている。
葉山の地でのんびりできる事の幸せと戦で疲弊した人々の落差に申し訳ない思いと複雑な心で梅雨空に天を見上げるばかりである。
身に沁みてくるが、今年は極端に暑さ寒さの差があると思えるのは年のせいであろうか?しかしながら日本は幸せである。
海外では熱波で川が干上がるような状態らしいので、ちゃんと梅雨という雨の季節もあり、夏の暑さや冬の厳しさもあるこの国に
生まれた事の幸せを感じるこの頃である。
鎌倉に生まれ40年、葉山に住んで38年にもなるが久しぶりに庭先に青大将が現れて自然が戻ってきた感がうれしくもあり
夜中に帰ってくるときには大通りを通ろうと改めて蛇嫌いを実感したものである。これからの季節紫陽花や木々の緑が目を楽しませて
くれるがこの地域に住むことが如何に幸せなことかとつくづく思わされる。
ただ、申し訳ないくらい平和な日本、葉山に住んでいる自分に出来る事は限界があり、ウクライナやビルマ、アフリカなどの途上国など
大変な状態であるのに何もできない自分には忸怩たる思いもある。今日のニュースで円安が進み135円(対ドルレート)という20年
ぶりの下落だそうである。この先の不確的要素、ロシア問題を端に発する不景気や人心不安など枚挙にいとまないこの頃だ。為政者は
その事を肝に銘じてもらいたいのだ。
梅雨に咲く花は情緒があって良いものだが、雨の鬱陶しさと寂しさがこの先もずっとこの世情を象徴しているような気がしてならない。
人生の終焉を見据えるようになると残される人たちへの何もできなかった事への無責任さを感じることが多くなった気がしている。
葉山の地でのんびりできる事の幸せと戦で疲弊した人々の落差に申し訳ない思いと複雑な心で梅雨空に天を見上げるばかりである。
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