京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

建仁寺塔頭 正伝永源院

2023年06月04日 08時56分00秒 | 日記
 5月21日は建仁寺の塔頭寺院"正伝永源院を訪ねました。



よみうりカルチャーの講座「茶人・武将としての織田有楽斎」での参加です。







表門を入り左に折れると織田有楽斎の墓があります。
大きな石塔は有楽が"茶の師"として慕う武野紹鴎の供養塔を模して墓とするようにと遺言があったからだそうです。



通常非公開のお寺ですが春と秋には定期的に公開されます。

まずは方丈内で正伝永源院の真神啓人ご住職と天理大学の天野忠幸先生との対談がありました。

「茶人」としての有楽斎の顔、「武将」としての有楽斎の顔がなんとなくイメージ出来た対談内容でした。

"本能寺の変"の際、妙顕寺に寄宿していた信長の長男「信忠」に自害を進言したり、豊臣政権に身を置いていた際には"大坂夏の陣"で徳川家に寝返ったりと"時の政情"を敏感に察し、自身の身と織田家の存続をはかった"臨機応変"な人物でもあります。







方丈には「正伝院」と「永源庵」とふたつの扁額がかかっています。

明治時代の時に上地令や廃仏毀釈で疲弊していた「永源庵」が「正伝院」と合併する形になった為です。
「永源庵」は室町時代からの名家「細川家」の菩提寺のひとつで、今も祇園で営業されている料亭"鳥居本"の庭園はかっての「永源庵」の庭園の一部だそうです。





武野紹鴎供養塔。

約100年ぶりに藤田観光が経営していた大阪太閤園から返還されました。

もとは、正伝院にあったもので織田有楽斎が江戸時代に正伝院を再興した際に武野紹鴎を敬愛する気持ちから自坊に移していました。



方丈に安置されている織田有楽斎像と向かい合う位置に設置されました。















次に茶室・如庵に入室し見学しました。

平成8年(1996)に数寄屋建築の第一人者中村昌夫先生の監修のもと、復元された茶室です。

茶室内は光が多く取り入れられていて明るく、暦張りの壁などに有楽斎の美意識を感じます。

本物は愛知県犬山市にある有楽苑内にあり、国宝茶室三つの内のひとつです。









この後、呈茶があり建仁寺の塔頭寺院らしく天目台に載った形で供されます。
お手前は無かったですが、今も茶道のひとつとして「茶道・有楽流」が受け継がれています。


今月25日まで、京都文化博物館で「大名茶人 織田有楽斎」展が開催されています、






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