油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

ぬけがけの時代に。  (6)

2023-07-27 12:59:49 | 小説
 Kにとって、M男は弟のようなもの。
 そう思い、Kは常日ごろ、関西人らしいぶっ
ちゃけた正直なもの言いをしたが、M男はそ
れが承服しがたいらしい。 
 しかたなく、Kは、とことん、店長に対す
ることばづかいでM男に接した。
 「失礼ですが、今はおひとりで?」
 「ああ、うん……」
 とたんに、M男の視線があらぬ方を向いて
しまう。余計なことをと、M男は引いている
のである。
 Kは、そんな相手の意向を無視してしゃべ
りつづける。
 「家にはまだ嫁に行かずにいるかみさんの
妹がいますが、一度会いませんか」
 率直きわまりないものいいに、M男は顔色
を変えた。
 視線を宙にさまよわせたり、耳の中に左手
の指を入れたり、両脚をこきざみにゆすった
りした。
 さすがのKも、自分の思案がとても荒いこ
とに気づき、話題を変えた。
 「おとなりのライバル店さんの人気が気に
なりますね」
 「ああ、中華だよね。がんばってやってる
みたい。でも、向こうさんはそれなりのやり
方でおやりなんだから」
 「でも、お客さんを取られっぱなしじゃ、つ
まらんでしょう。うちでも何か特にこれといっ
た商品を開発しなくちゃなりませんね」
 「ああ、ううん……、そう、そうね」
 「でも、資金力がちがうし、長くやってる
しね」
 「人気って、金の多寡で決まるものでも長
い短いで決まるもんでもないですし。小さく
たってキラリと光る商品ひとつで、お客さま
が戻って来るやもしれませんよ。何よりもお
客さまの気持ちを考えてメニュー作りを」
 「……」
 M男が押し黙ったので、Kはそれ以上のも
の言いをさけた。
 Kは話を変えた。
 じぶんの身の上話をしてみた。正直にあれ
これと話した。
 しかし、M男は、うんとかすんと言う程度
の反応。あえて、M男みずからのことを、腹
を割ってまで話そうとはしない。
 それから一か月くらい経ったろう。
 Kの指の傷がふさがったころ、M男がKを
呼び、
 「あの縁談話はもう二度としないことにし
てください」
 と、きつい眼差しではっきり言った。
 (他人の本心っていうのは、容易に理解し
がたいものなんだな)
 Kはそう思った。
 店のウエイターやウエイトレス、パートで
頼んでいる人たちに対しても、たとえば、
 「香りの強い化粧はいかがでしょう」
 細かすぎるくらいの注意を与えられたりし
たがいったん、潮が引くように来なくなった
客数は戻らなかった。
 しばらくして、M男は店をやめた。
 (床屋さんみたいなことなんだな。いった
ん身についた技というか、はさみや櫛を動か
してヘアスタイルを整えること。ハンバーグ
セットだってサラダだって。煮たり焼いたり。
味つけしてからそれらをみつくろい、皿にの
せる。たったそれだけのことなんだけど、そ
れでもって新しいことをやろうとする、急に
手が頭が動かなくなる。皿から箱に器が変わ
るだけ。弁当を作ることができない。他人の
ことを批判してるけれど、じぶんの仕事にも
通じるところがあるんじゃないか、A塾で理
科を五科目を教えるのが時代にかなってるの
に、おれは引いてしまったじゃないか)
 Kは、M男を思い出すと、なつかさと共に
今でもじぶんが恥ずかしくなる。
 短くとも、縁があったから、この広い世間
で出会えたのである。
 「今までありがとうございました」
 と、M男に、こころの中で告げた。
 
 
 
 
 
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ぬけがけの時代に。  (5)

2023-07-25 17:53:36 | 小説
 いつもと同じ一日だと、Kは思ったが、少
し違った。
 その日の宵、Kは少々、おなかの調子がわ
るくなった。
 グルグルとおなかが鳴る。
 腸が動いているようだ。
 困ったことに、授業中トイレにかけこみた
くなってしまった。
 そんな症状がときどき起きるようになって
いた。
 Kはみたてに定評のあるT町通りにある内科
の先生の門をたたいたことがあった。
 「あんたは、ちょっとこれ、のんだがいい」
 白い玉っこを、三日分ほど渡された。
 効能かきを見て、Kは、へえっと目を丸く
した。
 (おら、ちょっとばかり、どこかで無理し
てるのかもな。先生みたく利口じゃないし瞑
想もやらない。たいして本も読まない。まだ
まだ修行が足りないや) 
 「被害妄想の気があるから」
 A塾の先生に、以前、注意を促されていた
ことがあった。
 歯に衣着せない物言いが、Kにとってとて
も新鮮だった。
 Kはちょっと心配事が起きると、それをい
つまでも引きずる。するとしだいにそれが膨
らんできて、お化けのようになる。
 虚なのに実になる。
 とても扱いにくい病である。
 Kの女親もとりこし苦労が多かった。
 くよくよといつまでも考え込み、しばしば、
 「ああっとへどがでそうになる」
 と、嘆いた。
 大人の世界は濁りに濁っている。
 とても一筋縄じゃまろけない。
 狭い国土に一億人以上の人たちが暮らして
いる。まるで狭い水槽に、小さな魚がものす
ごくたくさんいるようなものである。
 いさかいが多くなる。
 それは人の世も同様で、なかなか住みやす
い社会をというわけにはいかない。
 理想を追いやすい若いころは、互いに、簡
単にはほかの考え方を認められない。
 Kも学生時代、ある政党のシンパだったり
した。狭い人間関係が、Kをして、憂鬱な性
分にするに充分だった。
 Kにとって、A塾の先生に会えたことは、大
変重要だった。
 「前後ありと言えども、前後裁断せり」
 「どういうことでしょう」
 「道元さんのお書きになった、正法眼蔵随
聞記を読むといいよ」
 「しょうぼうげんぞう、ですか」
 「そう、禅宗の一方の旗がしらだよ」
 「はあ」  
 自分のお金で、その本を買い求め、読みだ
すまでにどれくらいの月日がかかったろう。
 まして、その言葉の意味を、本当にKが理
解するに至るまでの歳月と言ったら、あまり
に長かった。
 まさに、猫に小判……。
 Kは、ふと、現実の世界に立ち戻った。
 じぶんがいま、店の洗い場の前に立ってい
るのに気付いた。 
 体がふらついた。
 洗い場にむぞうさに積み重ねられた使用済
みの食器類をみて、なぜだかいやな気がした。
 眠い目をこすった。
 いざ、スポンジに、ねっとりした液体を垂
らした。
 危ないからグラス類を、まず初めにかたづ
けようと、ウイスキーグラスの内側に、右手
の指を二三本差し入れた。
 とたんにバリっと音がした。
 赤い色が、グラスの内側に広がる。
 それが指が傷ついたことによるものだと気
づくのに、時間がかかった。
 「ほら、これ。よくやるんですよね。これ
でしっかり指をおさえて」 
 店で使う、真っ白い布切れを惜しげもなく
差し出してくれるM男の声がありがたかった
が、Kは気が小さい。
 じぶんのズボンから取り出した黒っぽいハ
ンカチを、傷ついた指にぐるぐると巻いた。

 


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ぬけがけの時代に。  (4)

2023-07-12 19:31:05 | 小説
 そのころ、そう今から四十年ほど前である
が、K市の在所で暮らす人々のほとんどは兼
業農家だった。
 今のように、農業を継ぐ意思がないですと
はっきり主張する若者はさほどおらず、ご先
祖さまの田畑を、先ずは大切にと考えていた。
 農業とは、もともと人が寄り集まってこそ
可能だった営みであり、もう一度初心に帰っ
てでも、外国の米麦に頼らず、自前の米や麦
を作ろうとする意欲が残っていた。
 共同作業の復活、すなわち集団栽培方式を
採用することで、農業の跡継ぎ問題を、なん
とかして解決しようとした。
 米作りは苗を植え付ければ、当分の間、さ
ほど労力がいらなくなる。
 その間を縫うようにして、主に、土曜や日
曜に、若者がふんばったのだ。
 彼らのやる気に呼応するように、老いたり
とはいえど、まだまだ身体が動けるわい、と
見よう見まねで、こんにゃくやいちご、それ
に麻の栽培に手を染めるお年寄りがいた。
 その結果、工業や商業がさかんな県都U市
の豊かさにはほど遠いけれども、いなか町と
はいえど暮らし向きにはあまり困らなかった。
 「よう、Kよ。このあいだ、おらちに来て
くれた若いのが、バッテリアの店長さんやっ
てる人なんだべか」
 ある日の晩ごはんの時に、Kの義父が、一
日働いて、よほど腹が減っていたらしく、盛
んに、いためた豚肉を箸でつまんでは口に入
れているKに向かって、おずおずと問うた。
 父のとなりにいたKの妻は、ふふっと笑い、
 「父ちゃんね、バッテリアじゃないよ、ロッ
テリアでもないしね、ファミリーレストラン
の店長さんやってる人なんよ」
 「なんだ?そのファミリーなんとかっての
は?」
 「家族連れで、食事をとるお店なんよ」
 「へえ」
 義父は先だっての戦から帰還して以来、農
業ひとすじでやってきた。
 英語は、バッテリーやブレーキといった農
業機械でなじんでいる単語しか理解できない
のは致し方なかった。
 U市のはずれにできたロッテリアに、初め
てじぶんの次女に連れられて行き、初めて食
したハンバーグやスープが思いのほかおいし
かったらしい。
 「今度みんなで、あの方においしいものを
作っていただきましょうね」
 「うんだ、うんだ。それがいい。うまかん
べな、きっと。にこにこしててな、いい人だ
ぞ、あの店長さん」
 と、にっこり笑った。
 義父の笑顔はいつだって、家族をしあわせ
な気分にするにじゅうぶんだった。 
 こんな時でも、気安く、義父の問いに答え
ない。何が不服なのか、にこりともしない。
 もう七年経っているのだから、今少し、こ
こになじんでくれるといいのにと、Kの妻は
いつもそんな思いを胸に抱えていた。
 じぶんの夫と父母の間にはさまれたつらい
立場である。
 ある日、じぶんの母に向かって、夫の、K
の冷たい態度を訴えたことがある。
 「なに言ってる?Kはひとりだぞ。ひとり
でこの地にやってきたんだ。野良仕事だって
いやがらずにやってくれるし、お前には友だ
ちがうんといるだろ?おらはKの味方だ」
 彼女は憤ってしまい、すぐに車に乗り、遠
くまで車を飛ばした。
 「どこまで行って来たんや」
 Kの優しい言葉で迎えられたのが、よほど
うれしかったらしい。
 子どもは正直である。
 自然と、ふたりの男の子は、義父や義母に
まとわりついた。
 「よう働いてくれる婿さんで、助かるけん
ど、もうちょっと愛想よくしてくれたら、申
し分ないんだけんど」
 義父は頭をかかえた。
 「機嫌のいい時に、あたしがよく、言っと
いてあげるわ」
 「うん、わかった。あのな、ことしの米の
できは良さそうだし、そのなんとかいう店で、
うちの米を使ってもらえないかな?」
 「むずかしいと思うわ。どの店だって、お
米は上等なのを使ってるしね。父ちゃんって、
ひょっとして、去年の米を買ってもらおうな
んて魂胆じゃなかんべ?そんなこと、うちの
旦那に言わせたりしたら、承知しないわよ」
 「ああ、そうだんべ」
 義父はいたいところを突かれたらしく、急
に顔色がわるくなった。
 
 
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ぬけがけの時代に。  (3)

2023-07-01 19:28:42 | 小説
 会話はそれ以上つづかず、M男は腰をくの
字に曲げて体勢を低くすると、カウンターの
下にある、店内へとつづく戸を開けた。
 しかし、しかしである。
 M男は、店内の黄色味を帯びた淡い光の下
にあらわれないのである。
 Kは心配になってきた。
 (ええっ、そんな……、店長さん、どうし
たの、一体……)
 Kはつま先だったり、首を大きく振ったり
して、こころの中でM男に呼びかけた。
 (まあ、子どもじゃないんだし、店内のど
こかにはいる。さっきだって、わたしが到着
するまでは店内にいるのが鉄則なのに、外に
出ておられたようだったし……)
 Kはうつむき、洗い場に積み重ねられた油
まみれの食器などを、きれいにする作業に没
頭しだした。
 「かんじざいぼさつ、ぎょうじんはんにゃ
あはらみたじ、しょうけんごおうんかいくう
いっさいくうやく……」
 Kは誰にも聞き取られないよう、小声で般
若心経の一節を唱え始めた。
 次第に速くなる。
 「とにかくスピードが大事なんだよ。英語
教科書をできるだけ早く音読することだって
いい。頭の回転が良くなるからね」
 Kにとっては仕事の大先輩であり、文学の
師匠でもある、A塾の塾長の教えを忠実に守っ
ている。
 だしぬけに、Kの脳裏に、A先生のにこやか
な顔がふわりとあらわれた。
 Kは、我知らず、微笑してしまった。
 「Kさん、ひょっとして僕のこと、心配さ
れました?」
 身近でM男の声がして、Kは驚いた。目鼻立
ちのくっきりした顔が、口元に笑みをたたえ
ている。
 「あれれ、ずっとそこにおられたんですか、
まあ、言ってみれば、あなたはおとうとみた
いなものですし……」
 「弟?おもしろいこといわれますね」
 「いけませんか?」
 「いいえ、まあ大丈夫ですが」
 「Kさんって、何かうれしそうでうらやまし
いです」
 「すみません、気が付かずにいて。そう見
えますか」
 「はい。充分に」
 「Kさんって、あんまり笑われないですよ
ね。先だってわたしがあなたのご実家を訪ね
た折にも、おふたりのお子さんを叱ってばか
りで。彼らが初対面のわたしに興味があるの
は当たり前ですし、わたしにじゃれついたっ
て、放っておかれるといい。まだ五歳や二歳
じゃありませんか。もっとのびのびと育てて
やればいいんじゃないかって思ってしまいま
したよ」
 「これは痛いところをつかれました」
 Kは、泡だらけの右手で、頭をかいた。
 「わたしはBOKUが好きなんです。山から
切り出したばかりの材木のことです。これか
らどのようにも細工できるでしょ。大きな可
能性を持っているのです」
 Kは、ふたたび、A先生の言葉を思い出した。
 (それにひきかえじぶんはどうだろう。も
はやBOKUとは呼べないな。でもな、子ども
が好きだし、毎日こうやって、子どもと読み
書きそろばん、じゃなかった。算数を勉強し
ている)
 Kは、自分の生きる姿勢を、なんとか合理
化しようと試みた。
 彼の二十代の頃は、全国の高校生や大学生
のほとんどが政治に関心があった。
 七十年安保条約の動向に、若者たちの視線
が向けられていた。
 学生の本分は学業。人はいつでも冷静でい
るべし。
 自分自身が利口にならなきゃ、世の中の体
制なんぞ、いくら変わろうとむだなこと。
 ひとりひとりが善く生きるほかに、社会が
住みやすくなるはずがない。  
 そんな単純なことを、なかなか判ろうとし
ないでいた。
 「店長さんの夢はなんですか」
 「もちろん、店を一軒、持つことですよ」
 「どんどん新しいことに挑戦ですね」
 「ええ、まあ……」
 M男の顔色がふいに変わったのをKは見逃
がさなかった。

 
 
 
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