それから数時間、車は故障も事故もなく、
秋色を見せはじめた山あいを淡々と走りつづ
けた。
運転する種吉といえば、鼻歌まじり。
時には、片手でハンドルをにぎっているこ
ともあり、同乗する家族をひやひやさせた。
それまで、久しぶりの帰郷だから、はめを
少しは外したって、と大目に見ていた彼の妻
はこらえきれず、
「やめてよね、もういい加減な運転はっ。
事故ってケガするのはあんたひとりじゃない
の。どうすんのよ、一体?あんまり気楽に運
転されると、かえって不安になってしまうじゃ
ないのよ。いい加減にしてっ、片手運転はっ」
彼女は眉間にしわを寄せ、声高に言った。
「はい、わかりましたっ」
と言うなり、種吉はびくりと体をふるわせ、
すぐさま両手運転に切りかえた。
「うれしい時はうれしいように、かなしい
時はかなしいようにね。あんたって子どもの
時からそんなふうだったんだって。感情に振
りまわされちゃって、もういいご老体が。そ
んな性格、こかに吹き飛ばしちゃってよ。あ
んたのお母さんから、もうずうっと前によお
く聞いて知ってるわ」
かみさんの言うことは、ごむりごもっとも。
種吉はがくりとこうべを垂れ、黙り込んで
しまった。
「おいおい、どうすんのよ。運転してるん
だぜ、おやじ」
助手席の三男がにやりとし、右手を横にの
ばすなり、種吉の胸のあたりで、くるりと手
のひらを上に向け、種吉のあごをひょいと持
ち上げた。
種吉はにやっと笑い、
「えらい、世話かけます」
ぺこりとかぶりを振ると、種吉の顔がしわ
だらけになった。
「どういたしまして。いつものことで」
まるでふたりは漫才師のようだ。
実際、種吉は上方出身。
少年の頃から、いとしこいしや、横山えん
たつ花菱あちゃこの名漫才などを耳にして育っ
た。
そんな名を聞いても、おそらく今の若いひ
とは、かいもく、見当がつかないだろう。
関西人はおもろいのだ。
半面、彼らの内面はひゅうひゅう北風が吹
きまくっている。
豊臣秀吉が隆盛を極めたころの堺の商人を
例にとるまでもない。
関西地方に住む人々はいちがいに、むだを
きらう。吝嗇でもある。
けちんぼうなのだ。
「一円もまけまへんで」
商人はあきないに厳しい眼を持っているの
だが、一歩商いの外に出れば、大盤ぶるまい。
商売相手が驚くほどに、豹変し、饗応する。
かみさんのきつうい一言で、意気消沈した
種吉だが、再び、元気を取り戻しはじめ、そ
れと比例して、車のエンジンが軽やかな動き
を見せ始めた。
数年前、種吉の母が逝去した際にも、同じ
コースをたどり奈良市内に入っている。
あきれるほど長い恵那のトンネルをくぐり
ぬけると、中山道も、残すところ、あと少し
となった。
三男と運転を代わり、種吉はほっと一息い
れることにした。
助手席にふかぶかとすわり、ちらと車窓を
眺めた。
紅い果物が目に付く。
リンゴ畑の連続だった。
(わが国土ってほんとに山と川ばかり。ほ
んの数時間走れば、こちらの海から向こうの
海に行きついてしまう。こんな狭いところで
一億を越えるひとたちが住んでいる。思い起
こせば、北関東が第二のふるさとになったの
はたまたまのこと……)
北海道や沖縄だけでなく、種吉が行ったこ
とのない土地がいくつもある。
これから先、自分はどれくらい生きられる
かしれないが、できるだけあちこち旅したい
ものだと思った。
名古屋の街が近づいて来た。
松本方面に向かう車が徐々に渋滞しはじめ
ると、種吉は平静ではいられなくなった。
いつなんどき、自分たちの車も同じ目にあ
うやもしれない。
そんな思いが、種吉の脳裡にふとわいた。
彼なりの杞憂ぐせである。
まだ起こりそうもない事柄について、あれ
これと心配する。
これじゃ、おれは、おふくろの二の舞では
ないかと思ったとたん、彼女の落ちくぼんだ
ふたつの目を思い出した。
秋色を見せはじめた山あいを淡々と走りつづ
けた。
運転する種吉といえば、鼻歌まじり。
時には、片手でハンドルをにぎっているこ
ともあり、同乗する家族をひやひやさせた。
それまで、久しぶりの帰郷だから、はめを
少しは外したって、と大目に見ていた彼の妻
はこらえきれず、
「やめてよね、もういい加減な運転はっ。
事故ってケガするのはあんたひとりじゃない
の。どうすんのよ、一体?あんまり気楽に運
転されると、かえって不安になってしまうじゃ
ないのよ。いい加減にしてっ、片手運転はっ」
彼女は眉間にしわを寄せ、声高に言った。
「はい、わかりましたっ」
と言うなり、種吉はびくりと体をふるわせ、
すぐさま両手運転に切りかえた。
「うれしい時はうれしいように、かなしい
時はかなしいようにね。あんたって子どもの
時からそんなふうだったんだって。感情に振
りまわされちゃって、もういいご老体が。そ
んな性格、こかに吹き飛ばしちゃってよ。あ
んたのお母さんから、もうずうっと前によお
く聞いて知ってるわ」
かみさんの言うことは、ごむりごもっとも。
種吉はがくりとこうべを垂れ、黙り込んで
しまった。
「おいおい、どうすんのよ。運転してるん
だぜ、おやじ」
助手席の三男がにやりとし、右手を横にの
ばすなり、種吉の胸のあたりで、くるりと手
のひらを上に向け、種吉のあごをひょいと持
ち上げた。
種吉はにやっと笑い、
「えらい、世話かけます」
ぺこりとかぶりを振ると、種吉の顔がしわ
だらけになった。
「どういたしまして。いつものことで」
まるでふたりは漫才師のようだ。
実際、種吉は上方出身。
少年の頃から、いとしこいしや、横山えん
たつ花菱あちゃこの名漫才などを耳にして育っ
た。
そんな名を聞いても、おそらく今の若いひ
とは、かいもく、見当がつかないだろう。
関西人はおもろいのだ。
半面、彼らの内面はひゅうひゅう北風が吹
きまくっている。
豊臣秀吉が隆盛を極めたころの堺の商人を
例にとるまでもない。
関西地方に住む人々はいちがいに、むだを
きらう。吝嗇でもある。
けちんぼうなのだ。
「一円もまけまへんで」
商人はあきないに厳しい眼を持っているの
だが、一歩商いの外に出れば、大盤ぶるまい。
商売相手が驚くほどに、豹変し、饗応する。
かみさんのきつうい一言で、意気消沈した
種吉だが、再び、元気を取り戻しはじめ、そ
れと比例して、車のエンジンが軽やかな動き
を見せ始めた。
数年前、種吉の母が逝去した際にも、同じ
コースをたどり奈良市内に入っている。
あきれるほど長い恵那のトンネルをくぐり
ぬけると、中山道も、残すところ、あと少し
となった。
三男と運転を代わり、種吉はほっと一息い
れることにした。
助手席にふかぶかとすわり、ちらと車窓を
眺めた。
紅い果物が目に付く。
リンゴ畑の連続だった。
(わが国土ってほんとに山と川ばかり。ほ
んの数時間走れば、こちらの海から向こうの
海に行きついてしまう。こんな狭いところで
一億を越えるひとたちが住んでいる。思い起
こせば、北関東が第二のふるさとになったの
はたまたまのこと……)
北海道や沖縄だけでなく、種吉が行ったこ
とのない土地がいくつもある。
これから先、自分はどれくらい生きられる
かしれないが、できるだけあちこち旅したい
ものだと思った。
名古屋の街が近づいて来た。
松本方面に向かう車が徐々に渋滞しはじめ
ると、種吉は平静ではいられなくなった。
いつなんどき、自分たちの車も同じ目にあ
うやもしれない。
そんな思いが、種吉の脳裡にふとわいた。
彼なりの杞憂ぐせである。
まだ起こりそうもない事柄について、あれ
これと心配する。
これじゃ、おれは、おふくろの二の舞では
ないかと思ったとたん、彼女の落ちくぼんだ
ふたつの目を思い出した。