高遠城下石仏ウォーキング 其の3です。
400年間の歴史の中から生まれて来た石仏が、
それぞれの集落の辻や往還(おうかん)脇、
社の境内の中に祀られています。
そして全国各地に旅石工として出かけた高遠石工は
信仰心に篤く、実直で、高い技術を持って
精緻な石仏を次々と生み出していくのです。
江戸時代、信州高遠は石工の里として全国に知られていた。
石工とは石材加工を行う職人の事で石切とも呼ばれた。
高遠藩領内出身の石工は「高遠石工」と呼ばれ、優れた腕を持っていた。
厳しい財政の高遠藩は出稼ぎを奨励し、高遠石工は「旅稼ぎ石工」として
全国各地に出向き藩財政を助けた。
江戸城の石垣工事や東京都お台場の「品川砲台」の石垣工事にも
高遠石工が参加したという記録が残っている。
正観音菩薩 ↓↓
石仏の名前と説明が出来ず申し訳無いです。
どの石仏も、暖かさがあって実に素晴らしいです。
高遠石工は、いい腕を持っていたことが、これらの
写真を見るとよく判ります。
さて、私はどのように撮るでしょうか・・。
ちょっと、行ってみたいです。
では、また。(^O^)/
何時も有難う御座います。
アップした石仏は普段は格子状の
中に保存されているのですが、
この時は解放されていました。
顔の部分が暗く台座のハスの部分が
太陽光で白飛びしそうな感じでした。
本当は少し斜めから撮りたかったのですが、
他の人が居たりで何か正面が多かったです。
次回も石仏ですが、守屋貞治石工の
作品に成る丈名前を入れてアップ
したいと思います。