古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。
伊邪那岐大神 (いざなぎのおおかみ)伊邪那美大神 (いざなみのおおかみ)
日本最古の書物「古事記」によると、この両神は神代の昔に、初めて夫婦のカタチを執ったと云う事です。
この二人の神が我国の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。
このように、命の親神様であることから、古くから延命長寿、縁結び、厄除けの霊神として信仰を集めたようです。
鎌倉から江戸時代にかけては、武家や民衆の信仰が一気に広まりました。(多賀大社のホームページより)
例えば、甲斐の武田信玄は25歳の厄年に際し、黄金2枚を寄進して厄除けを祈願しております。
太閤秀吉は母大政所の病気に際して
「命の議、三カ年、ならずんば二年、げにげにならずんば三十日にても」と祈願文を寄せ
米一万石を寄進しております。
幸いに大政所は治癒されました。
その一万石で正面の太閤橋や奥書院庭園が築造されました。
春のしだれ桜、秋の奥書院の紅葉などもみごとで
また、近辺には彦根城や湖東三山、琵琶湖などの名所にも恵まれ、
年間約170万人の参拝者を迎えています。
更に続きます。
伊邪那岐大神 (いざなぎのおおかみ)伊邪那美大神 (いざなみのおおかみ)
日本最古の書物「古事記」によると、この両神は神代の昔に、初めて夫婦のカタチを執ったと云う事です。
この二人の神が我国の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。
このように、命の親神様であることから、古くから延命長寿、縁結び、厄除けの霊神として信仰を集めたようです。
鎌倉から江戸時代にかけては、武家や民衆の信仰が一気に広まりました。(多賀大社のホームページより)
例えば、甲斐の武田信玄は25歳の厄年に際し、黄金2枚を寄進して厄除けを祈願しております。
太閤秀吉は母大政所の病気に際して
「命の議、三カ年、ならずんば二年、げにげにならずんば三十日にても」と祈願文を寄せ
米一万石を寄進しております。
幸いに大政所は治癒されました。
その一万石で正面の太閤橋や奥書院庭園が築造されました。
春のしだれ桜、秋の奥書院の紅葉などもみごとで
また、近辺には彦根城や湖東三山、琵琶湖などの名所にも恵まれ、
年間約170万人の参拝者を迎えています。
更に続きます。