小嶋つうしん(号外)

(元)大分県議会議員 小嶋秀行の徒然ブログ

朝の風景

2011年05月24日 | 社会
 久しぶりの長雨。九州南部では梅雨に入ったとも。この二日間の朝は「もうそろそろかナ」と思わせるような降り方。

 さすがに今朝は、みんな一様に傘をさしている。小降りの日などは、時として傘を片手に濡れて通学する小学生もある。「おいおい!風邪ひくから、ちゃんと傘をさしなさい」と声をかける。どういう訳か、そのまま通り過ぎる子もある。

 ほぼいつもの時刻になると、「おはよう」と声をかけてくるアンちゃん、今日は欠席か?「もう行った?」と、モモちゃん。「うーン!おじちゃん、今朝は少し遅れたからなぁ見かけなかった」「じゃぁもう行っとく」「うん分かった。行ってらっしゃい!」

 同じクラスの子らしく、いつもの交差点で待ち合わせするこの二人。これに、以前はカナちゃんも待ち合わせのメンバー。新学期のクラス替えがあったのか、カナちゃんは、シノちゃんたちといくことが多くなった。(名前は、もちろん仮名)

 「おはよう!」「おはようございます。」「行ってらっしゃい。」何気なく交わすあいさつに、最近、大きな意味があることに気付いた。「おお、元気そうだ」「家で何かあったのかな」「いつも通りだな」と子どもの様子がわかる。朝交わす「あいさつ」そのものが、社会教育の一つだということ。

 「今、何時ですか。」「はいはい、えーっと、7時37分。」「ありがとうございました。」「いいえ、行ってらっしゃい。」「行ってきまーす。」こうして、何人もの児童が通過時刻を尋ねる。ほとんど決まった子たちが聞くが、その数が今ではずいぶん増えた。

 毎朝交差点にいる「緑のおじちゃん」の“信頼度”が増したのか、児童たちの朝の通学路の風景に溶け込むことができたのか、自己満足なだけかもしれないが、今ではこの子たちの顔を見ないと一日が始まらない。

 小学校と中学校の通学路は、丁度交差点でクロスする。中学生は、中学校になってから初めて顔を合わせる生徒が多い。小学生は、中学生になると顔を合わせなくなる子ばかり。不思議な発見の二つ目は、中学生になるとほとんど同じメンバーで通学すること。

 しかも、歩くパターンも必ず右左の位置取りも常に一緒。二人で通学する女子生徒は、いつも同じように並んで歩く。右と左の位置は、これまで一年間全く変わらない。それがなぜかわからないが、何か法則めいたものを感じないでもない。これも不思議な朝の風景。

 今年の三月に、二回目の「感謝の寄せ書き」をもらった。六年生一同と書いてあった。おそらく、先生か保護者の誰かが、アドバイスしての事かもしれない。それでも受け取る方は、うれしい。何にも変え難い「勲章」のようなものだ。

 中には、「進んであいさつができるようになった」とか、いくつもの寄せ書きがあった。毎朝「おはよう!」「おはようございます」としか言葉を交わさない。それ以上の言葉や余計な声をかけたりしてはいけない。が、今も緑のおじちゃんに「遣り甲斐」を感じるの何故だろう。

 今年の四月で、正味七年間継続していたことが、安全協会地域分会の会議で判明した。ただ、交通安全協会は、指導的立場にあらず、あくまで「啓発」が旨という。一方、交通指導員は、行政が委嘱し、指導的立場。ピッ!ピッ!ピッ!と笛を吹くこともある。

 単に、児童生徒の通学路の安全を確保することのみが目的で、他のドライバーを指導しようなんて考えてもみない。一時も早く右折を済ませようとするドライバーの心理も理解しないではないが、「歩車分離式」交差点は、歩行者を最優先にしないと意味がないではないかと思うことが多い。

 寒い時期や雨の多い時期、真夏のギラギラする天気の下では、つらい日も少なくないが、ほぼ毎日の「朝の風景」の中、元気な子ども達の顔を見ることで、実は、自分がたくさんの元気をもらっていることに、最近気づいた。