アロエ様々で、痛みはかなり軽減の左足くるぶし。
よくよく見てみれば、ひどい内出血をおこしていました。今時の色、
そう紫陽花の花のように、それもそろそろ後半に入り、汚らしい色合いに
なってきています。正にその色状態の、おぞましい色が、皮膚の下に
広がっていました。ふ~ん、こんなひどかったのね。でも、もうこれは
お仕舞い! まだ、腫れもありますが、くるぶしに言うことです。
「もう、お仕舞い!」って。
それより、倒れた瞬間に右足でかばったのでしょう無意識に。
そちらの方が今日は痛かったですねえ。
「なんでもないじゃない!」
「ええ、アロエのお陰でね。まあ、見られた図じゃあないけどね。屈伸が
きついのよ」
「アッそう.でも医者に見てもらったら?」
「必要ないわ。ありがとう」
隣駅迄車で送ってもらって、昇りのエスカレーターでホームに。
母親同伴の子ども達がゾロゾロと試験会場へ向かいます。
3人の息子達へ、学校の勉強だけでいい!って言い続けてきた母親から見れば、
今の日本のある縮図を目の当たりにしたような感じを受けました。
当然その親たちの奇異な眼差しの中を手続きです。
親の控え室の前を通り過ぎ、受験者の控え室に案内されて見渡せば、
全員、孫~~~世代。
待たされる事、ウン十分、2人ずつ呼ばれて面接教室の前の椅子で待たされます。
可愛い坊やと一緒です。
「何年生?」
「6年生です」
「そう、頑張ってね」
「はい」
私の面接はどうでもいい、そんな感じを受けた今日の異様な光景。
子ども達が進んで受験してるとは思えない。
なべて、大人(女)の外国語特別視は、異常って思うイヤラシさが付きま
とう、そんなステータス外国語って女達のそれを、結構目に耳にしてきた
私は、面白くこそあれ、鼻持ちならない「ええ、○○語を勉強してます、
○○国へ主人の赴任へ同行してまして云々」たぐいの、脳みそが腐ってる
ような人種の仲間入りだけの外国語との関りは決してしたくない、絶対に
そんな女達に近寄らない。無視!
そう、いつもマイノリティ、蚊帳の外の住人を良しとしている女から見れば、
控え室で、ハラハラしながら待つ保護者へ
「お母様方もご一緒に受験なさったらいかが?真剣に面白がって取り組む姿は、
どんなに子ども達へいい影響になるか、よ。尊敬も得られるわ」
って思ってしまった今日でしたのよ。フ~~~・・・・・
礼儀作法は、そして、いつも逆の立場だったら?の訓練は、相手が望もう
と望まなかろうと、鉄は熱いうちに打て!です。それが人を人たらしめる
ものであることを知るべきなのです。教えるべきなのです。古今東西の人
の最低ベースを。問答無用は必要なのです。三つ子の魂百まで です。
けれども、能力に関することは、いかに面白いかを知らしめつつ、その子に
あるそれを引き出すのが親かもしれませんが(私には見つけられませんでした)、
いつも言うように、世間が、識者が言うから、それに乗り遅れまいって、
全く脳みそを遣わない親になっていってるおぞましさ。
親自身が、自分のことを信用してないから、自分自身が嫌いだから、自分の
可能性はとっくのとうに捨ててしまって、幸せは自分以外の人が持ってくる
ものって、思っているから、今日日(きょうび)のような社会が、あふれる
モノに囲まれて、飢えている、果てのない欲望の奴隷となった人々が満ち溢
れているのです。寂しい人々の虚しい日々卑しい日々。
そういえば、久し振りに若き(28)友人コウイチクンと会いました。
宮沢賢治・森鴎外、岡本太郎・かの子、ピカソ、ニーチェ、ジョルジュ・
ブラック、「百年の孤独」のガルシア、セザンヌ、トルストイなど等。
南米で生活するための資金調達に、彼は今「デカセーギ(出稼ぎ)」外国人
達と一緒にかなりきつい肉体労働者に。昼間はそれを、夜は執筆、土曜日は
スペイン語の勉強のためにYMCAへ。合間に読む膨大な本。日本語が薄くなって
きている、そこから芥川賞、直木賞の話へ。
熱く語る彼に、青春を見ます。模索しながら、創作の苦悩と喜びに浸る姿は、
まぶしくさえあります。1日1話の童話・寓話を原稿用紙に埋める作業は、
その、何がなんでも書き続けるという強い意志力が、いずれ「継続は力なり」
の成果を手にすることでしょう。
親が、
能力に関することに過度に関ってくると、強制が方向を決めるとしたら、
必ずや、「こんなはずじゃあなかった」という憂き目に出会うことを知らな
くてはいけません。覚悟の上の強制なら、・・・親がどうなろうと知ったこ
とではないのです。自業自得ですが、道連れにされた子どもの未来は、黒く
塗りつぶされて、・・・・・可哀想に。どれほど辛い人生を歩むかは言う
までもないでしょう。
やはり、私は隠遁生活が似合っていると思いました。
浮世は煩わしいばかりで、知らない方がどれほど穏やかか、「知らぬが仏」
とは良く言ったものです。知るが故に、心が波立ち、悪酔いします。
親に押しつぶされなければ、鼻持ちならない人を見下す大人になっていく
のでしょうか?肩書きが何より大事というつまらない大人になっていくので
しょうか?
帰りも、某駅で待っていてくれた宇宙人の車で帰宅しました。
「バカな資格マニアって、そこいらへんにいっぱいいるよ」
「そうなの?」
「それで、その資格にあったことを頼むと、できませんって言う。何なんだ?
なら、言うな!だよ。それが言いたがる、何々の資格がありますって。黙って
やってろ!言うな!ってつくづく思うよ」
「わからなくもないわね。根本の自分に自信がないのよ」
「そんなんのばっかり」
トルコ語も、英語がじわじわと、日本と同様に母国語の間に浸透している
ようです。こうしてアッチコッチの言葉をかじり出すと、
バベルの塔の話を思い出します。
神様が、ノア時のような洪水を恐れて、高い塔を作る思い上がった人間達の
意志の疎通を図らなくするために、一瞬にして様々な言葉をしゃべらせてし
まった。それが世界に広がってって。
そうかもねぇって思ってしまうほど多くの言語に満ち溢れている世界です。
立身出世のための道具にしてはつまらない。ええ、本当に!
「なんで?」「知りた~~~い!」
が根本になければ、あ~あ、子どもに嫌われる親になる。それは子どもに
とっての最大不幸。嫌われたって、やがて捨てられたって、それは自業自得。
英語が話せたら偉い? いいええ、ちっとも! それより中身です。その人の
人生観、世界観です。その表現力のたった一つの方法でしかないという事。
いい悪い、好き嫌いは別として、アメリカ人は他言語にほとんど関心を示さ
ないって聞きます。それは一つの見識だと思います(思い上がり?)。
世界中どこへ行っても相手は英語を話すものって。ま、そこまできたら大し
たものよ、です。
そして、ついに、あの、あの誇り高きフランス人さえ、とうとう英語をしゃ
べるようになったって、少し寂しいけれど、フランス人の母国語へ対する誇り
は、成り上がりもののアメリカ人なんかに誰が迎合するものですか!っていう
心意気と、自国の文化への揺るぎない自信がそうさせているのでしょう。
その上の英語なのだと思います。
刑務所ルックの、我がヤマト男子達。
「ベルトをしたら、自殺したくなる?」
そういうものなのです。それを嬉々としている、あ~あ、あっちへお行き!
公共の場所で、自室にいるような緩みきった精神態度。
電車でのマナーの悪さは、最低限もわきまえないバカ垂れドモ!
後味の悪い今日でした。もう、私の面接試験結果はどうでもいいって思う位。
いい声の試験官:女性でした。その声の英語が・・・せめてもの慰めでした。
天からの授かりモノと知っているけれど、絶対にこだわる声質です。
セニョール・ダンの声は、セクシーなバリトンです。息子達の声も同質です。
10代から他者の、特に男子の声は重要でした。見てくれなんて二の次でした。
今日の女性試験官の声質は、なかなかセクシーでした。甘ったれた?とんでも
ありません!落ち着いた、大人の女性の魅了する声質でした。
「どうしたの漢検は?」
「まだよ。9月だから。でも、私の頭がコンクリートなのかも知れないけれど、
ウッソーッ!違ってない?がいっぱいでね、少し気が削がれているのよ」
「そのまま素直に受け入れられないあなただからねえ」
ムッ!・・・そうなのかも・・・・・かなあ~~?
言葉は生き物だから、っていうああ言うのが嫌いなのよね、す~ぐ時代に
擦り寄るいやらしさが。フン、じゃかましい!わたしゃ未だに反抗期!・・?
今朝の読み物の中で、
「時代は流れ者とバカがつくる」って言われますね。
って文に出会って、朝からアハハハ アハハハ ハハハハハハアッハハ。
ちょい溜飲を下げて、それ見なさい!だから ワタシャァ仲間に入らない
孤高の女!よ。イヤァァァアア 朝から よか気分。そう、そうだったのね?
ええ、朝食もソコソコに手にした本の中にあった言葉よ。アハハハハハハハハハ・・・
気分が良くなったところで、消毒の効果が出てきたバラ達の中の1本。
その名はスウィンブル。真紅の花は、洗面台の鏡をバックに飾られました。
よくよく見てみれば、ひどい内出血をおこしていました。今時の色、
そう紫陽花の花のように、それもそろそろ後半に入り、汚らしい色合いに
なってきています。正にその色状態の、おぞましい色が、皮膚の下に
広がっていました。ふ~ん、こんなひどかったのね。でも、もうこれは
お仕舞い! まだ、腫れもありますが、くるぶしに言うことです。
「もう、お仕舞い!」って。
それより、倒れた瞬間に右足でかばったのでしょう無意識に。
そちらの方が今日は痛かったですねえ。
「なんでもないじゃない!」
「ええ、アロエのお陰でね。まあ、見られた図じゃあないけどね。屈伸が
きついのよ」
「アッそう.でも医者に見てもらったら?」
「必要ないわ。ありがとう」
隣駅迄車で送ってもらって、昇りのエスカレーターでホームに。
母親同伴の子ども達がゾロゾロと試験会場へ向かいます。
3人の息子達へ、学校の勉強だけでいい!って言い続けてきた母親から見れば、
今の日本のある縮図を目の当たりにしたような感じを受けました。
当然その親たちの奇異な眼差しの中を手続きです。
親の控え室の前を通り過ぎ、受験者の控え室に案内されて見渡せば、
全員、孫~~~世代。
待たされる事、ウン十分、2人ずつ呼ばれて面接教室の前の椅子で待たされます。
可愛い坊やと一緒です。
「何年生?」
「6年生です」
「そう、頑張ってね」
「はい」
私の面接はどうでもいい、そんな感じを受けた今日の異様な光景。
子ども達が進んで受験してるとは思えない。
なべて、大人(女)の外国語特別視は、異常って思うイヤラシさが付きま
とう、そんなステータス外国語って女達のそれを、結構目に耳にしてきた
私は、面白くこそあれ、鼻持ちならない「ええ、○○語を勉強してます、
○○国へ主人の赴任へ同行してまして云々」たぐいの、脳みそが腐ってる
ような人種の仲間入りだけの外国語との関りは決してしたくない、絶対に
そんな女達に近寄らない。無視!
そう、いつもマイノリティ、蚊帳の外の住人を良しとしている女から見れば、
控え室で、ハラハラしながら待つ保護者へ
「お母様方もご一緒に受験なさったらいかが?真剣に面白がって取り組む姿は、
どんなに子ども達へいい影響になるか、よ。尊敬も得られるわ」
って思ってしまった今日でしたのよ。フ~~~・・・・・
礼儀作法は、そして、いつも逆の立場だったら?の訓練は、相手が望もう
と望まなかろうと、鉄は熱いうちに打て!です。それが人を人たらしめる
ものであることを知るべきなのです。教えるべきなのです。古今東西の人
の最低ベースを。問答無用は必要なのです。三つ子の魂百まで です。
けれども、能力に関することは、いかに面白いかを知らしめつつ、その子に
あるそれを引き出すのが親かもしれませんが(私には見つけられませんでした)、
いつも言うように、世間が、識者が言うから、それに乗り遅れまいって、
全く脳みそを遣わない親になっていってるおぞましさ。
親自身が、自分のことを信用してないから、自分自身が嫌いだから、自分の
可能性はとっくのとうに捨ててしまって、幸せは自分以外の人が持ってくる
ものって、思っているから、今日日(きょうび)のような社会が、あふれる
モノに囲まれて、飢えている、果てのない欲望の奴隷となった人々が満ち溢
れているのです。寂しい人々の虚しい日々卑しい日々。
そういえば、久し振りに若き(28)友人コウイチクンと会いました。
宮沢賢治・森鴎外、岡本太郎・かの子、ピカソ、ニーチェ、ジョルジュ・
ブラック、「百年の孤独」のガルシア、セザンヌ、トルストイなど等。
南米で生活するための資金調達に、彼は今「デカセーギ(出稼ぎ)」外国人
達と一緒にかなりきつい肉体労働者に。昼間はそれを、夜は執筆、土曜日は
スペイン語の勉強のためにYMCAへ。合間に読む膨大な本。日本語が薄くなって
きている、そこから芥川賞、直木賞の話へ。
熱く語る彼に、青春を見ます。模索しながら、創作の苦悩と喜びに浸る姿は、
まぶしくさえあります。1日1話の童話・寓話を原稿用紙に埋める作業は、
その、何がなんでも書き続けるという強い意志力が、いずれ「継続は力なり」
の成果を手にすることでしょう。
親が、
能力に関することに過度に関ってくると、強制が方向を決めるとしたら、
必ずや、「こんなはずじゃあなかった」という憂き目に出会うことを知らな
くてはいけません。覚悟の上の強制なら、・・・親がどうなろうと知ったこ
とではないのです。自業自得ですが、道連れにされた子どもの未来は、黒く
塗りつぶされて、・・・・・可哀想に。どれほど辛い人生を歩むかは言う
までもないでしょう。
やはり、私は隠遁生活が似合っていると思いました。
浮世は煩わしいばかりで、知らない方がどれほど穏やかか、「知らぬが仏」
とは良く言ったものです。知るが故に、心が波立ち、悪酔いします。
親に押しつぶされなければ、鼻持ちならない人を見下す大人になっていく
のでしょうか?肩書きが何より大事というつまらない大人になっていくので
しょうか?
帰りも、某駅で待っていてくれた宇宙人の車で帰宅しました。
「バカな資格マニアって、そこいらへんにいっぱいいるよ」
「そうなの?」
「それで、その資格にあったことを頼むと、できませんって言う。何なんだ?
なら、言うな!だよ。それが言いたがる、何々の資格がありますって。黙って
やってろ!言うな!ってつくづく思うよ」
「わからなくもないわね。根本の自分に自信がないのよ」
「そんなんのばっかり」
トルコ語も、英語がじわじわと、日本と同様に母国語の間に浸透している
ようです。こうしてアッチコッチの言葉をかじり出すと、
バベルの塔の話を思い出します。
神様が、ノア時のような洪水を恐れて、高い塔を作る思い上がった人間達の
意志の疎通を図らなくするために、一瞬にして様々な言葉をしゃべらせてし
まった。それが世界に広がってって。
そうかもねぇって思ってしまうほど多くの言語に満ち溢れている世界です。
立身出世のための道具にしてはつまらない。ええ、本当に!
「なんで?」「知りた~~~い!」
が根本になければ、あ~あ、子どもに嫌われる親になる。それは子どもに
とっての最大不幸。嫌われたって、やがて捨てられたって、それは自業自得。
英語が話せたら偉い? いいええ、ちっとも! それより中身です。その人の
人生観、世界観です。その表現力のたった一つの方法でしかないという事。
いい悪い、好き嫌いは別として、アメリカ人は他言語にほとんど関心を示さ
ないって聞きます。それは一つの見識だと思います(思い上がり?)。
世界中どこへ行っても相手は英語を話すものって。ま、そこまできたら大し
たものよ、です。
そして、ついに、あの、あの誇り高きフランス人さえ、とうとう英語をしゃ
べるようになったって、少し寂しいけれど、フランス人の母国語へ対する誇り
は、成り上がりもののアメリカ人なんかに誰が迎合するものですか!っていう
心意気と、自国の文化への揺るぎない自信がそうさせているのでしょう。
その上の英語なのだと思います。
刑務所ルックの、我がヤマト男子達。
「ベルトをしたら、自殺したくなる?」
そういうものなのです。それを嬉々としている、あ~あ、あっちへお行き!
公共の場所で、自室にいるような緩みきった精神態度。
電車でのマナーの悪さは、最低限もわきまえないバカ垂れドモ!
後味の悪い今日でした。もう、私の面接試験結果はどうでもいいって思う位。
いい声の試験官:女性でした。その声の英語が・・・せめてもの慰めでした。
天からの授かりモノと知っているけれど、絶対にこだわる声質です。
セニョール・ダンの声は、セクシーなバリトンです。息子達の声も同質です。
10代から他者の、特に男子の声は重要でした。見てくれなんて二の次でした。
今日の女性試験官の声質は、なかなかセクシーでした。甘ったれた?とんでも
ありません!落ち着いた、大人の女性の魅了する声質でした。
「どうしたの漢検は?」
「まだよ。9月だから。でも、私の頭がコンクリートなのかも知れないけれど、
ウッソーッ!違ってない?がいっぱいでね、少し気が削がれているのよ」
「そのまま素直に受け入れられないあなただからねえ」
ムッ!・・・そうなのかも・・・・・かなあ~~?
言葉は生き物だから、っていうああ言うのが嫌いなのよね、す~ぐ時代に
擦り寄るいやらしさが。フン、じゃかましい!わたしゃ未だに反抗期!・・?
今朝の読み物の中で、
「時代は流れ者とバカがつくる」って言われますね。
って文に出会って、朝からアハハハ アハハハ ハハハハハハアッハハ。
ちょい溜飲を下げて、それ見なさい!だから ワタシャァ仲間に入らない
孤高の女!よ。イヤァァァアア 朝から よか気分。そう、そうだったのね?
ええ、朝食もソコソコに手にした本の中にあった言葉よ。アハハハハハハハハハ・・・
気分が良くなったところで、消毒の効果が出てきたバラ達の中の1本。
その名はスウィンブル。真紅の花は、洗面台の鏡をバックに飾られました。