生きてあればこそ。古稀同窓会。

2018-04-09 13:59:29 | 日記
 2日目は、地元の幹事長!が、役場のマイクロバスを運転して、島めぐりです。かんす海岸に、小夜島。いずれも潮が引くと遠浅でした。家のすぐ近くでしたから、冬でも入って、鰈を踏んだり、エビ、カニを捕って遊んでいました。児童減により、今春より、小中あわせて義務教育学校大島学園となる。
 中学校の歴代の卒業写真に見入っています。なお、私は、中1、1学期で、生活のため一家をあげて北九州へ転居しましたので、ここには写真はありません。大島の最高点、みたけ山で、懐かしい景色に見とれる。向いは、神の湊から、宗像四塚の湯川山。大島灯台とその下の海岸線。小学校の遠足で来ていました。灯台のすぐ下の海岸には、三浦洞窟があります。昨年、映画化された遠藤周作の「沈黙」は、長崎県外海ですが、モデルとなったのは,
ジュゼッぺ・キャラというシシリア生まれの宣教師で、1643,6,27にここ筑前大島に上陸し、この三浦洞窟に潜んでいたとの事です。写真の「沈黙」あとがきは、単行本のもので、現在の文庫版には収録されていないようです。

名残惜しいですが、同年寄(どうねんより)もこれでお終い。来年は、どこかへ1泊旅行です。次は、喜寿77ですが、みんなが元気で、何より大島の世話役が達者でなくては実現しません。波止場で別れのテープ! 同級生に、感謝です。

生きてあればこそ。古稀同窓会(1)

2018-04-09 12:11:05 | 日記
 4月7~8日は、我がふるさと、宗像市大島にて古稀祝いの小学校同窓会でした。昭和36年3月卒業生64名、うち物故者9名、住所不明3名は、悲しいことですが、病気やら事情もあって欠席20名、出席者は32名。当時は、戦後の引き揚げ、住居、食糧を求めて、地縁血縁を頼りに、離島にも家族がたくさんおりました。人口は、2000人程、小学生340人でピークであったようです。幼なじみ達も、ほぼ全員が島の生まれです。33、42、還暦祝い、そして古希の祝いと、節目には、島に残って漁師や主婦をしている同級生が世話をしてくれて集まるようになっています。これは、各学年とも同じです。

 まず、渡船が着いて皆がお宮に集まると、神事です。世界遺産宗像神社中津宮。生まれてからの初参り以来、遊び場であり、相撲を取るところであり、漁師には日々の安全を祈願するところです。神事が、終わると、鳥居の下で、集まった島の人へ紅白の餅まきです。
 次に、お寺へ移動。物故者供養の法要です。生きているうちは、中津宮へ奉仕、死はお寺に世話になるという生活が、島の人を覆って当たり前の日常です。

 いよいよ、由緒ある沖廣屋旅館へ。80歳を超えたおかみさん、私たちは、沖廣屋のおばちゃんと呼んでいますが、の手料理で祝宴です。恩師もお二人。先生の乾杯の音頭で始まり。地魚の豪華な料理に、差し入れのあったアワビも。
 となりに座っている婆ちゃんは、下の写真の三人とも母方の従姉で、うち二人。バックが暗いですが、父方の従兄の長女(!)と、従兄の嫁さんの妹。私は、3月31日生まれで、同級生の中ではよちよちでしたから、いずれも頼りがいのある、いささかおっかないお姉さん方でした。
 日帰りの恩師を波止場にお見送りをして、さらに延々と宴は続きます。【1日目終わり】