いったい、どうなるものやら。

2018-04-23 17:03:37 | 日記
 4月21日 土曜日 長崎市江戸町公園~野母崎運動公園前 65,2km 11時間43分

 いよいよ橘湾岸マラニックまで、2週間。最後のあがきで、前回の試走では道間違いのため、さっぱり所用タイムの目安がつかなかった、スタートから野母崎までを走りに行きました。も少し早目の時期にと思ったが、都合付かず、折よく「長崎帆船祭り」と、好天の見込みで決める。20日金曜、回数券がある高速バス「九州号」で長崎へ。
 
 諏訪神社~長崎公園~長崎歴史文化博物館・長崎代官所~興福寺~亀山社中~風頭公園と巡り、降りてきて「三吉」でチャンポンセットの早目の晩御飯。風頭への登りで降りてくるランナーとすれ違う。次の日も何人も出会ったけど、長崎のランナーはふくらはぎの鍛えられた強そうな方が多い印象。今さら、龍馬にあこがれたりはしないけど、ならんで記念写真。帆船祭りは、「日本丸」が不参加になったそうで、やや淋しい。

 21日土曜日は、朝6時前に江戸町公園をスタート、新コースであるけど、迷いもせずに稲佐山へ。散歩中のおじさんに、旧道を教えてもらい、階段を登ると、山頂手前の駐車場辺りに出た。しめしめだったが、翌日、きたんそんに話と、「時間は変わらんよ」と。なんでも二手に分かれてタイムを計ったそうな。まあ、雨なら無理に藪に入らん方がいいかも。それにしても、173km走るのに、いきなりここに登らせるかねぇ、、、。

 コーセー歯科医院の横のコンビニで、パスタを温めてもらって朝食。ちょうど9;00診療開始。今夜は、jogtripで私設エイドをされるはず。爺さんは参加しませんが、ありがたいことでございます。
あぐりへと登る。今回は、写真を撮るつもりは無いので、うさぎちゃんとで終わり。

 軍艦島の見えてくる海岸線まで来ると、やはり景色が良い。これから先は、夜中に走るのはもったいない。本番では、7時のアーリーなので、権現山に日没前に着いて沈む夕陽を見たいものだが、、どうかなぁ。運動公園前、17;12着。あと4分後にバスが来る。足も心も折れちゃいました。暑かったなぁ!

 22日、またもや飛び入りで湾岸の仕分け作業の手伝いに茂木に。予定より早く終わったとのことで、みんなで昼飯へ。ビールの美味かったこと。銀さんにいろいろお話を聞いていると、想像を超える難題、厳しい状況を抱えながらも、開催されているのを感じる。本当に、長崎の皆さん方、ありがとうございます。

 路線バスで市内へ戻り、ホテルで預けていた荷物を受け取って、高速バスへ。夕刻17時には帰宅しておりました。さて、本番で
の計画を立てねばなりません。ちょっとじっくりと、下見らんを思い出しながら、考えてみます。では、5月にはお世話になります!

生きてあればこそ。古稀同窓会。

2018-04-09 13:59:29 | 日記
 2日目は、地元の幹事長!が、役場のマイクロバスを運転して、島めぐりです。かんす海岸に、小夜島。いずれも潮が引くと遠浅でした。家のすぐ近くでしたから、冬でも入って、鰈を踏んだり、エビ、カニを捕って遊んでいました。児童減により、今春より、小中あわせて義務教育学校大島学園となる。
 中学校の歴代の卒業写真に見入っています。なお、私は、中1、1学期で、生活のため一家をあげて北九州へ転居しましたので、ここには写真はありません。大島の最高点、みたけ山で、懐かしい景色に見とれる。向いは、神の湊から、宗像四塚の湯川山。大島灯台とその下の海岸線。小学校の遠足で来ていました。灯台のすぐ下の海岸には、三浦洞窟があります。昨年、映画化された遠藤周作の「沈黙」は、長崎県外海ですが、モデルとなったのは,
ジュゼッぺ・キャラというシシリア生まれの宣教師で、1643,6,27にここ筑前大島に上陸し、この三浦洞窟に潜んでいたとの事です。写真の「沈黙」あとがきは、単行本のもので、現在の文庫版には収録されていないようです。

名残惜しいですが、同年寄(どうねんより)もこれでお終い。来年は、どこかへ1泊旅行です。次は、喜寿77ですが、みんなが元気で、何より大島の世話役が達者でなくては実現しません。波止場で別れのテープ! 同級生に、感謝です。

生きてあればこそ。古稀同窓会(1)

2018-04-09 12:11:05 | 日記
 4月7~8日は、我がふるさと、宗像市大島にて古稀祝いの小学校同窓会でした。昭和36年3月卒業生64名、うち物故者9名、住所不明3名は、悲しいことですが、病気やら事情もあって欠席20名、出席者は32名。当時は、戦後の引き揚げ、住居、食糧を求めて、地縁血縁を頼りに、離島にも家族がたくさんおりました。人口は、2000人程、小学生340人でピークであったようです。幼なじみ達も、ほぼ全員が島の生まれです。33、42、還暦祝い、そして古希の祝いと、節目には、島に残って漁師や主婦をしている同級生が世話をしてくれて集まるようになっています。これは、各学年とも同じです。

 まず、渡船が着いて皆がお宮に集まると、神事です。世界遺産宗像神社中津宮。生まれてからの初参り以来、遊び場であり、相撲を取るところであり、漁師には日々の安全を祈願するところです。神事が、終わると、鳥居の下で、集まった島の人へ紅白の餅まきです。
 次に、お寺へ移動。物故者供養の法要です。生きているうちは、中津宮へ奉仕、死はお寺に世話になるという生活が、島の人を覆って当たり前の日常です。

 いよいよ、由緒ある沖廣屋旅館へ。80歳を超えたおかみさん、私たちは、沖廣屋のおばちゃんと呼んでいますが、の手料理で祝宴です。恩師もお二人。先生の乾杯の音頭で始まり。地魚の豪華な料理に、差し入れのあったアワビも。
 となりに座っている婆ちゃんは、下の写真の三人とも母方の従姉で、うち二人。バックが暗いですが、父方の従兄の長女(!)と、従兄の嫁さんの妹。私は、3月31日生まれで、同級生の中ではよちよちでしたから、いずれも頼りがいのある、いささかおっかないお姉さん方でした。
 日帰りの恩師を波止場にお見送りをして、さらに延々と宴は続きます。【1日目終わり】

コースの下見は終わったけれど。

2018-04-04 17:15:02 | 日記
 4月1日 茂木~江の浦(116km~141km)25km (am10;48~pm15;07) 4;19

 4月2日 江の浦~小浜(141km~173km)32km (am8;22~pm13;55) 5;33

 橘湾岸スーパーマラニックまで、一月。年明けてのぎっくり腰、風邪、花粉症と、走れていないので、不安ばかりだが、せめてコースの下見だけは完了しようと思い立つ。1日日曜日の朝、高速バス九州号で長崎へ。東横インに荷物を預け、コンビニでサンド、おにぎりを仕入れ、路線バスで、茂木へ。バス内で朝食。朝から、暖かい。
 橘湾沿いに美しい海岸線を行く。が、道は上り下りを繰り返し、平坦なところは記憶にございません。日見公園エイド地点を過ぎて、海岸線防波堤を行ってしまい、矢上大橋を渡れない。こんなところで道間違い。結いの浜を過ぎ、急坂を登る。途中の公民館では賑やかな酒盛りの最中。ひいこらと飯盛とんの山に出る。すぐ先の安徳さんというお宮の前で、地元の方と立ち話。今日は、ここのお祭りだったそうで、それで酒盛りとのこと。「安徳さん」というから平家ゆかりかな。
 坂を下ると、今日のゴール141km江の浦到着。長崎県営バスを40分ほど待って、市内へ戻る。

 2日目。jrで諫早へ。県営バスに乗り継いで、江の浦へ。今日も暑くなりそう。登り始めるとジャガイモ畑が見えてくる。元気君サイロのあたりのジャガイモ畑の景観はなかなかのもの、だが本番ではこの辺は、もういや!という気分でしょう。
ラブホ街を抜け、坂を下ると、唐比へ。唐比饅頭を買って食べる。海岸線にはえべっさんもいて。

 163km千々石から道路に上がる路地が分からず、見当つけて階段を登ると民家のお庭に。お家の方と鉢合わせ、「すいまっせん、とおしてください。」 その昔の小浜温泉鉄道跡の道だけが涼しかった。小浜南本町公民館にゴール、望洋荘で温泉。小浜チャンポンを食べたかったが、準備中でフラれてありつけず。諫早経由で市内へ戻る。

 18時、プラムアンへ。飛び込みで、案内書、コースマップなどの袋詰め作業の手伝い。こんな爺さんにもマラニックという遊び場を作ってもらって、ほんとにありがたい。それにしても大変な準備だなあ、と推察する。参加費を払っているんだから、いいでしょうお客様で、、という気持はやっぱりいかんなぁ。

 さて、これで、173kmコースの下見はしましたが、まだまだ完走の目安も立ちません。もう一度、スタートから権現山cpまで70km、せめて女神45kmを走ってから、走行のイメージ作りです。じぶんのスタート時刻が、申告どうり7時になってるのを確かめて、ホッとしているとこです。では、みなさん、故障しないように気をつけましょう。萩往還組も頑張ってください1