よせばよかった。よせばいいのに、、、フランク永井。

2017-03-16 23:52:21 | 日記
 杉花粉の飛散も最盛期のようです。爺さんは、室内にいても鼻水だら~り、身体は重く何もやる気が起きない、、、日曜にはウイメンズマラソンに興奮したものの、自分は3日も走らず、気持は焦るばかり。13日、月曜は、朝から小雨、寒の戻りという。これ幸いと、夜8時、土地勘十分、地図不要の宗像、北九州方面へ、国道3号線を北上、ウエスト、吉野家、資さんうどんにて、食事休憩をたっぷりのちんたら道中。朝、7時に、八幡駅に到着。65キロ。そのまま、皿倉山へ。山頂を経て河内のあじさい温泉まで10キロ。ちょうど営業開始の10時ゴール。
萩往還千畳敷への登りでの、おえ~、、に備え、ひたすら”攻めの歩き”を意識する。標高622mだが、千畳敷330mの方が苦しいように思える。それにしても、懐かしい登山道。河内への下り、杉林で、しこたま花粉を吸い込んだ爺さんは、例によって、温泉に逃げ込むのでした。

 かくすれば、かくなるものと知りながら、よせばいいのに、、、反省できない爺さんでした。「さが桜」は、好天のようですが、爺さんにとっては過酷な花粉嵐。ゼイゼイハアハアは、いたしません。はやく、花粉飛散が収まってくれないと、爺さんには、”ブランク、長~い”となりそうです、、、、うっ、ちと古いですな、これは。

あちゃ~、こんなところに落とし穴!

2017-03-05 22:55:11 | 日記
2月28日、ひとりマラニックのゴールは、虎が埼・椿の館のつもりであった。うまくいけば開催中の「椿まつり」を見ても、シャトルバス、路線バスを乗り継いで、その日のうちに博多に帰れるハズであった。が、花粉をたらふく吸い込んだ爺さんは、鼻水タラタラ、くしゃみ連発、おめめかいかいに耐え切れず、玉江駅でタクシーにsos電話、「どこか、お風呂へ」で、「萩本陣」へ連れてってもらった。花粉を洗い流し、抗アレルギー目薬を注入し、なんとか、立ち直ったのでありますた。

玉江浦では、山陰線萩方向に突然、列車。なんだ?!この時間帯には無い筈。玉江駅の掲示で椿まつりのための臨時列車と判明。まあ、知らなくて良かった。知ってれば、ひ弱な爺さんは、ワープしてたでしょう。この辺は、三見からの淋しい恐~い峠越えを抜けて、ほっと一息つくところ。もっとも、この海岸で夜明けを迎えると、完踏にはかなり危うい遅れとのこと。

 これで、「萩往還マラニック250km」のコースは、昨年の140kmと合わせると、ほぼすべて試走したことになる。ほぼ、というのは、140km矢原河川公園折り返し~上郷駅前6.6kmを走ってないからですが、まあ、ここは団子状態であるし、道迷いは無いでしょう。2日目の夜間走となる仙崎~玉江は、2回走った。完璧ね、と自賛してると、熊本てれっと上野さんの「aid station」で、タイムリーにご指摘。

黄波戸の家並みを抜けた所、136km地点直前の落とし穴。詳しくは「aid station」をお読みになってください。まったく気がつきませんでした。現場の風景からして、おおかたのランナーは、ミスコースしてると思います。私は、その道に入ると、集落の袋小路かなと、ちらっと思った記憶が有ります。涙。タイムロスという程でもないし、失格とまでは言われないでしょうから、ま、いいっか。

宗頭ふたたび

2017-03-04 21:11:45 | 日記
2月27日は、仙崎公園まで。静ケ浦キャンプ場を折り返してゴール予定だったが、途中2か所の道迷いがあり、時間を食ったのと、アップダウンの繰り返しによる疲労で、仙崎公園前、「民宿きらく」にてストップ。海湧食堂のおばちゃんの「これからが正念場だね。」という言葉が身に沁みた。車でのコース下見をしているので、ここは間違えるはずがないつもりが、やはり自分の脚で走るのとは違う。「きらく」は、ホテル並みで、料理もうまい。ビールを、つい2本。でも我慢した。

28日 朝飯前に、キャンプ場まで往復と走り出したもの、早朝の冷え込みと、腹が減って、戻りは、情けなくもバス。「きらく」の朝食で、やっと温まる。am08;30出発、玉江駅pm13;48着。この区間は、11月末いらい2度目。宗頭文化センターでは、再び、女性の職員さんに暖かく迎えられる。彼女のお子さんが、4月から福岡へ進学とか、いろいろ雑談。

 さて、しばしの仮眠から覚めて出て行こうとすると、彼女達も行こうとしている。これ幸いと、「先の道筋もわからぬ道中の心細さ、あまりに不安で恐ろしゅうありますので、見え隠れなりとも御供をして参りとうございます、どうかこの爺さんにもお情けをくださいませ」と涙を流したところ、「うちらは早かっちゃけん、休憩もせんよ。他の人も同じ方向に行くけん、あとに付いて行き!なんとかなるよ」と、そっけなく走って行った。さすがに、老いの悲哀がしばらくは収まらなかった。
    一つ家に 爆女も寝たり 萩と月   破走庵倒勢爺「はぎの細道」
 

 (註)”爆女”九州爆走女のこと。一見、手弱女なれど強烈な脚を秘す。山中に遭遇した時は速やかに道を譲るべし。無謀にも競りかけたあげく自尊心をズタズタにされ、再起不能の男子、その数を知れず、云々。
九爆のお嬢さん方、ダシにしてごめんなさい。ここは、”爆女”でないとパロディにはなりません。


ナイトランなんて、恐くて、、、。

2017-03-03 22:35:09 | 日記
27日月曜日。
 昨日の分の写真を載せそこないましたので、ここで。あしからず。
 
 江戸時代の成人男子一日の歩行距離は十里が標準であるというから、だいたい39km。草鞋に脚絆に、、、と時代劇なり、火付盗賊改の一場面でも思い出してくだされ。爺さんは、hoka oneoneに、ワコールのcw-xタイツ、finetrackの衣類、salomonのトレランザックと至れり尽くせり。「ウルトラマラソンだあ!」と粋がっても(そんなことしませんが)、いったい、ヒトとして進歩したのやら、まったく確信が持てません。ザックの重さは、3日分の着替え、云々を詰め込んだので4kg超。トレランで鍛えている若人には何ともないでしょうが、爺さんにはこたえます。

 農協西三叉路から、玉江駅まで91.8km。しかも、時刻は、am08;00。速いランナーの走っている時間帯です。爺さんも、いっそ一気にナイトランとも思ったのですが、やはり、おじけずく、ためらう、、、。「記憶集」、ブログの完走記には、みなさん、恐い恐いと。まんいち、怪我して動けなくなっても人っ子ひとり通らない、救急車を呼んだら、それこそ「萩往還マラニック」が非難されよう。無謀な年寄、行きすぎたランニングブーム、運転免許も、マラソンも年齢制限を!と、マスコミのいい餌食は間違いない。

 玄海灘のある小島、爺さんが小学校1年生のころだから、昭和30年、もう60年前の頃、深夜に朝鮮半島からの密航船が接岸、すぐに発覚して、駐在さんの指揮で、水防団、消防団が総出で、公民館に「保護」。ほんとに小さなおんぼろ漁船に詰め込まれ、汗と潮に汚れて、目をぎょろぎょろさせ、ぼろのような衣類に、すえたにおいの男、女、子ども。今にして思えば、朝鮮戦争後の混乱下、生きるために懸命だったのでしょう。私の島だって、そう豊かではなかったが、子ども心にも、かわいそうだなと思えました。現在の「密航」とは? 北朝鮮の工作員の出入り、覚せい剤、金の密輸の洋上取引にかかわる闇の世界、、、鉢合わせしたら。粋がって、こんなところをひとりでナイトランなんて、とんでもない。老爺心とオ笑いなさるな。

 

萩往還ひとりマラニック(俵山温泉~玉江駅)

2017-03-03 21:23:15 | 日記
2月26日~28日、ひとりザックを背負って、萩往還マラニック250のコースを行きました。この5月、いよいよ本番なのだが、どう考えても、完踏できたとして制限時間48時間まぎわのゴールと見込まれる。とすると、道迷いによるタイムロスは、爺さんにとっては、即、関門時刻アウトにつながる。地図を持っていても、夜中に、しかも睡眠不足の頭で、読めるわけがない。コースを自分の足で、覚えておくしかないではないか。

26日、好天が続くとの予報。下関駅前からバスで俵山温泉まで。11月末に、上郷駅~俵山をひとりマラニックしたので、今回は、その続き。誰もいない道を淡々と進む。油谷大橋を渡りしばらく行ったところで、ガス欠気味。ちょうど、「焼き立てパン」の看板を見て、立ち寄る。ご主人と話していると、北九州八幡からの田舎暮らしの方であった。津和野に4年ほど暮らして、水害被害に遭われて、油谷に来たとのこと。週末の営業のもよう。やがて、海湧食堂へ到着。萩往還の試走と言うと、老夫妻がとても喜んでくださる。メモ用のボールペンを落として困っていると、ちびた鉛筆をくださった。ポケットに入れるのにちょうどいい。
 今晩の宿、久津の錦波旅館にザックを預けて、俵島へ一回り。16時30分には、旅館に入り、風呂をお願いする。客は、誰もいない。みんな帰ってしまって淋しいと、おばあちゃん。

 前回、俵山では、「草臥て 宿かるころや 菊の花」(破走庵倒勢)を得たのであるが、今は、水仙、椿、梅、ミカンであって、どうもしっくりきません。「笑点」を見ながら、ビールを飲んで、早々とよい子のお休みでした。