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みちのく津軽へ(3)ああぁ~津軽海峡なつげしきぃ、、、

2017-05-31 20:06:23 | 日記
 「ああぁ~、つがるかいきょう、なつげしきぃ~」と絶叫するのに7秒、トイレを済ますのに10分見て、バス停まで何分かな? やっぱり、最少20分は見込んでた方がいい、となると、7月16日pm18;00に必着すること。スタートから、135km、22時間。うう~ん、微妙だねぇ。ここ、龍飛岬の関門時刻は、pm20;30なんですがね? いいえ、爺さんには、それは危ないことなのです。

 今回の250kmコースの正念場は、なんと言っても龍泊ラインをどうやって越えるか、にある。そして、190km中泊町パルナスrp2まで走り切れるか。(250km完走当然の強者には、関係のない話です。念のため)コース全体の、要リタイア可否判断個所を、順にチェックしておこう。
(1)10km弘前市街めぐりから、岩木山に向かう時。体調不良なら、郊外に出るべきではない。鰺ヶ沢まで、山中、引き返せるところは無い。
(2)鰺ヶ沢。57,7km 関門05;00.お魚食べて、わさお君に会って、五能線で弘前へ帰る。
(3)十三湖中之島rp1。99.4㎞ 関門12;30.シジミ汁。最終17;20発バス、五所川原駅へ、五能線で弘前へ。
(4)小泊津軽の像記念館。110,5km 関門15;30.中里経由バス14;55 または17;15 いずれも五所川原駅から五能線。
(5)龍飛崎。135,0km 関門20;30.最終バス18;20~三厩駅18;50(外ヶ浜町営バス) 三厩駅20;16~奥津軽いまべつ駅20;38(今別町巡回バス)奥津軽いまべつ駅21;30~新青森駅21;47(北海道新幹線はやて98号)新青森21;55~弘前22;29.これしか、ありません!
(6)中泊町パルナスrp2.190,6km。関門07;30.ここまでくれば、ご自由にお帰り下さい。津軽鉄道最果て駅、中里駅から、五所川原経由、弘前へ。

 龍泊ライン、小泊から龍飛崎まで25km、関門時刻の差は、5時間。関門すれすれランナーにとっては、留意すべき時間と思う。龍飛崎でリタイアするとしたら、最終バス後は、何か仕掛け(!)が期待できるのだろうか。まったく何もないとすると、中泊まで2夜目を走りとおす覚悟をするしかない。あるいは、今別までの民家のあるところで軒先借りて野宿をするか。
まず、小泊で、前に進むか、どうか、判断すべきだろう。体調、天候、時刻、、、。レスキューシートは、必携だな。

 いろいろと考えると、「龍飛崎まで、死に物狂いで走ること! あとは、どうでもいいや!」ということになる。風景を楽しめるのは、夜明けの鰺ヶ沢から、夕日の龍飛崎まで。翌日の津軽平野を延々と南下するのは、まさに忍耐の一字。気力が続くかなぁ。えっと、走られる皆さん、交通機関は事前に確認してくださいね。なにせ九州で調べてます、これ以上、分かりません。他に、名案があったら教えてください。あ、それから、岩木山麓でクマに襲われたニュースが有りましたが、どうしたらいいのでしょうね、、まったく。

みちのく津軽へ(2)龍泊ライン眺かん台

2017-05-26 14:00:42 | 日記
<「第2回みちのく津軽ジャーニーラン」には、250キロの部が新設された。第1回を走ったつわものどもが、あそこを走りたいと言い出したそうだ。鰺ヶ沢から日本海に沿って北上し、折り返し点であった中泊町小泊(小説「津軽」の像記念館)から、さらに、龍飛岬へ足を伸ばそうというもの。私は、昨年、コースの下見ドライブで通ったので、エッと驚いた。
そして、はたしてエントリーするのかどうか、さんざん悩むことになった。

 小泊~龍飛崎は、25㎞。しばらくは、天気が良ければ、日本海の絶景を眺めながら海岸を行く。が、10km辺りから突然標高475mの展望台(眺かん台)までおそらく6~7㎞で登る。(写真は、展望台からのもの拝借)絶対に、走れない。さらに、龍飛崎までアップダウンを繰り返す。絶景である。しかし、この25km、公共バス路線は無い。3kmの所に道の駅、それから2kmで夏期のみ営業の温泉宿があるが、それから先は人家は無い。吹きさらし、日陰無し。かんかん照りか、日本海からの暴風雨か、好天を祈るのみ。さらに、道路際に野生のサルがいた。ひとに餌をねだったり、襲ったりしないのか。

 第1回の200km完走者には、優先エントリー権を認めると言う。これで、のぼせて色気たっぷりの気持と、冗談じゃないあんな危ないコースという冷静な頭が葛藤を始める。「主催者による選手の収容はありません。途中リタイヤも想定して、事前に交通機関等を確認しておいてください」だと! そもそも、代表の舘山さんfbにいわく「どうなっても知りませんよ。」(私は、走らせて下さいなんて、言ってはおりません!) 回収車が無いなんて!仕方ない、どうやったら、無事に生還できるか、昨年の記憶を呼び戻して、どこで何時までに、リタイヤすればよいか、どんな装備で行くか、クマは、どうするんだろう、、、仕方ないよなあ、、萩往還250km38000円、みちのく津軽250km21000円、スタッフは、みなさん東京辺りから、あとは弘前のみなさんのボランティアである。絶対に迷惑をかけないようにしなければ、、、なやむ。

 250km軽々と走ってしまう強者若人は、楽しかろうなあ、、ゴールできたとしても、制限時間目いっぱいの爺さんだから、悩む。、、そうか、こういうポジティブな気持が必要なんだな! 「龍飛崎に仁王立ちして、津軽海峡冬景色を熱唱するのが目標です! そのあとは、どうでもいいや! あ、でも、真夏だなあ~」(登坂子さん)、そう、このキップの良さ、おとこぶりの良さ、いや、女っぷりの良さ。見習おう!で、エントリーしました。

みちのく津軽へ(1), 「やませ来るいたちのようにしなやかに」

2017-05-22 10:31:18 | 日記
「萩往還」の疲れを癒しているうちに、「第2回 みちのく津軽ジャーニーラン」(250km)まで、2ヶ月を切った。川崎市に所帯を構えた次女宅に滞在がてら、2回ほど、「奥武蔵グリーンラインチャレンジ」を走った。楽しい団体だなとの印象を持っていたが、そのスポーツエイドジャパンの舘山代表が、故郷の弘前を舞台に「夏の光あふれるみちのく津軽へのいざない」として立ち上げられた。昨年の私としては無謀ではあったと思うが、なんとか、超ウルトラには絶好の(雨ではあったがそれゆえの)コンデシヨンに恵まれ、津軽の風景を楽しみながら、初200kmを完走することができた。これにより今回は、優先権を貰えたので、ずいぶん迷ったが、走ることにした。

 2016年7月15日am1030頃、私は、コースの下見ドライブ途中、十三湖畔で名物のシジミ汁を食べていた。が、七分袖の腕に鳥肌が立った。「寒いね!」「うん、この時期、日本海側からの風は、そうでもないけど、太平洋側から吹くと寒いんよ。」と売店のおばちゃん。確かに、十三湖の方は、霧か霞か、そう強くはない風が吹いている。「やませ」という言葉は知っていたが、この風を言うのかどうか。
 帰宅して、しばらくして、朝日新聞「折々の言葉」にこの句が掲載された。佐藤鬼房、釜石に生まれ塩釜を本拠とした俳人。東北の風土そのものを貫いたいわゆる社会派、わたしは、好きである。
 いま、気象庁のデータを調べてみると、十三湖北側の市浦では、7月15日、平均気温18,9 最高22,1 最低17,1 平均風速5,1 最大風速6,9東北東とある。”さむい”数字ではない。あの体感との差は何だろう。

 舘山さんの言葉。”「じゃわめぐ」とは、津軽の方言で「血が騒ぐ」という意味を持つ。、、津軽の冬は厳しく長い。、、長い冬の間、寡黙であった津軽の民の多くが、自らも熱く燃え上がる夏祭りを前にじゃわめぐ。そして、津軽平野の稲もりんごも夏の光を浴びてじゃわめぐ。そんな時期の津軽は躍動感にあふれ、実に素敵だ。”

 私は、福岡に生まれ、福岡のそとに暮らしたことが無いので、津軽の気象は、まったく想像もできない。私にとって、津軽を走るということは、アドベンチャーレースなのだ。ただ、自分の脚で、竜飛岬を目指すのは、おそらく最初で最後のチャンス。思い切って、楽しんで来よう。

68歳にして、「萩往還」250㎞初挑戦、完踏(その3)。ふたりの上野さんに感謝

2017-05-12 15:26:39 | 日記
 65歳の5月、100㎞ウルトラマラソンを走りたい思った私は、そのトレーニングのつもりで、近いからというだけで、第26回の70㌔を走った。そこで見たものは、板堂峠を向うから下りてくる白ゼッケンのランナー達、やがて青ゼッケンのランナー、ほんとうにびっくりするとともに、言い知れぬ感動を覚えて、萩の道の駅辺りまで、拍手のしばなしで、迎えすれ違った。さらに、自分たちCランナーがスタートする何時間も前にゴールしている250㎞ランナーがいるとは、後に「記憶集」が送られてくるまで、知る由もなかった。その2014年、サロマ湖ウルトラマラソンでは、熱中症で初挑戦は挫折し、秋の四万十川ウルトラマラソンで、初100km完走であった。

 こうして、「萩往還」にとりつかれた私に、「jogtrip」(当時は「駄マラニック」)での顔なじみで、萩AランナーであるОさんが、ブログ「aid station」を教えてくれた。熊本てれっとの上野敦弘さん、今回もセミナー講師をされたから、みなさんご存じでしょう。ここには、「萩」を走るためのノウハウの宝庫であったし、「橘湾岸」のそれもあった。てれっとの方々の練習風景は、クラブに所属していない私には、このくらい練習しなければいけないのか、と目標と励みになった。今回は、御孫さんおふたりが、F35㎞に出場し、往還道で爺ちゃんを迎えられたとのこと、喜ばしい記事もありました。
 もうひと方は、”破れ帽子”の上野達雄さん。2015年3月に、「萩」ホームページのBBSに書かれた「萩往還250kmのポイント」。私は、プリントして手元にあるので、何度も読み返しては、励まされてきました。「250㎞という数字に飲まれないようにしましょう。100km完走者なら十分完踏できる能力があります。、、、あきらめなければ大丈夫です。」
 BBSは、他にも役に立つ記事が多かったと思う。過去記事が、読めるようにしてもらえると、後に続く人たちの為になると思うのだが。破れ帽子さんは、故障されていたらしい、dnsだったのでしょうか。お二人とも、65歳、これからもご活躍されることでしょう。


私の走行計画と、その苦闘の跡です。私には、完踏証よりも大事なものになりました。「250km」を意識して、走ろうと決めて丸3年、私には、「今度ダメなら、来年リベンジ」なんて余裕はありません。なにせ、一年一年、基礎体力は落ちて行くし、年寄の家族、親族がいっぱいでは、いつ緊急事態が発生するか、まちがいなく出走できるなんて保障はありません。若い人のように暗闇を突っ走って、力で押し切るなんてこともできません。140㎞も、3回の試走をし、今回も、3回の試走をしました。夜間に走行するところを、昼間、のんびり走り、風景を楽しみ、温泉につかり、地元の人たちと言葉を交わすのは、実に楽しいものでした。

 いまは、来年も「萩250km」を、という気持は、不思議に湧いてきません。この三年間の毎日が、5月4日瑠璃光寺ゴールを目指して、でしたから、もう十分ではないかという想いです。ウルトラマラソンの世界に入ってなかったら、おそらくアルコール依存か、老人性鬱になっていたような気がします。それだけ、サラリーマンが引退してひとりになると、淋しいものです。若い時から、この世界の楽しさを知った人はうらやましいですね。どうか、仕事と生活に負けないで、楽しんでください。
 萩往還のスタッフ、ボランティアの方々、本当にありがとうございました。出会ったランナーの方々、またどこかでお会いしましょう!

 「萩」は、これで、おしまいにします。

68歳にして「萩往還250km」初挑戦、完踏(2)。ぜんそく治療中、、、

2017-05-09 21:31:28 | 日記
 ここ福岡では、この数日、黄砂に曇り、pm2,5に汚染された日が続いています。「萩往還」開催中は、すっきりとした快晴で、まさに海の絶景を堪能してきました。もし走っている最中に、黄砂とpm2,5であったなら、私は、たぶん恐くてリタイアしていたと思います。

 62歳、2012年11月4日、少し風邪気味で微熱が有るのを押して、下関海響マラソンを完走しました。数日後、呼吸気科専門医師の内科医院ですが、肺炎の診断でした。それが治りかけたころ、「慢性気管支炎で、ぜん息ですよ。」と告げられました。サラリーマン現職中から、仕事中の咳に苦しみ、つらい想いをしました。このことが、再雇用の任期あと2年を残して、61歳末で完全引退をしたひとつの理由でもありました。当時は、おそらく花粉症と副鼻腔炎のせいだろうと、耳鼻咽喉科にかかっていましたが、アレグラ(花粉症の抗アレルギー薬)と、咳止め薬を服用するだけでした。

 以来、4年半、毎日朝晩、薬の吸入を続けています。「萩」では、出発前に2回吸い込みました。まあ、おまじないに近いでしょうね。毎月1回の診察時、先生はマラソンの予定を聞いてきますが、最初は、フルマラソンというといい顔はしませんでした。だんだん、事後報告になって、苦笑いに変わりました。治療効果が表れたのでしょう、風邪をひいてもひどい咳は少なくなりました。

 今回も、250㎞なんて言うと止められかねないので、「まあ、ゆっくり長く走る予定です。」とだけ。けいれん予防に、芍薬甘草湯をねだると、1週間分処方してくれました。2日前から飲み、走行中も一日3回摂りました。これは、筋肉痛にも良く効きますね。ロキソニンより効果あります。月末の診察では報告です。本当に、この先生には、感謝です。

 「萩」のランナーにも、ぜん息持ちの方は、意外といらっしゃるようです。上手に自己管理すれば、ウルトラマラソンだって走れると思います。pm2,5なんてのには、気をつけないといけないですが。皆さん、楽しんで、頑張りましょう!

今日は、ここまで。