9月22日、お彼岸です。先週末から朝は空気が澄み、我が町内から南には背振山がくっきりと見えるようになりました。暑さはまだまだですが、秋は近いようです。
昨深夜、秋雨前線の南下で雷雨激しく、横で寝ているグータラ娘がパニックになって、おかげで今朝は寝不足です。能登の皆様へ、大雨お見舞い申し上げます。
平成23年(2011)3月末、爺さんは、再雇用2年を含めて38年間のサラリーマン生活から足を洗いました。『もうイヤだ。』『もうイイや。』と万感の思い積り、また、くたびれ果てたのでした。家のローンを退職金で返済して、幸い娘3人は、「失われた10年」に遭遇し回り道を余儀なくされながらも職業をみつけておりました。「老後の設計」などある訳もなく、(そもそもその頃は、こんなに長く生きながらえるとは思ってもおらず)「なるようになれ。」と(受給繰り下げもせず)年金生活に入ったのであります。満62歳でした。
それからは、言わば引きこもり。本を読みふけります。トボトボと近所の走り歩きでお日様に会うのみです。
自分の生きてきた時代は、どういうものだったのだろうか、父母、その兄弟、そして、我が家の流浪の旅は? 「日本近現代史」というジャンルのなかで探してみようとしました。
走り歩きは、しだいに距離が延び、市民マラソン大会10kmから、ハーフマラソン、フルマラソン、とうとう四万十川ウルトラマラソン(100km)を完走したのは、2014年10月、65歳でした。
平成27年(2015)は、終戦70年です。夏に終戦記念日が近づき、爺さんは、ふと短歌を詠みます。
老兵の父は帰省し帰農せり山羊を率いて草山に入る
朝日新聞「朝日歌壇」に初投稿、入選させてもらえました。選者は、馬場あき子さん。『八月帰省九月帰農』としていたのを『帰省し帰農せり』と推敲の上、わこちゃん、奈良の山添ママさん、瀧上さんと常連さんに続いて4席です。爺さんは短歌を趣味にしているわけでなく、その後はざれ歌を楽しんでいるくらいです。
これまで繰り言に書きました我が家と我が歩みを、かいつまんで添え書きしていたのを心にとどめていただいたのでしょう。引きこもりの自分なりの勉強が認められたようでたいへん嬉しゅうございました。66歳です。
身体はマラソン、精神にはこの歌壇入選で、爺さんの人生の行く先には、虹が見えたようでした。馬場あき子さんは、爺さんの恩人であります。
もっとも、兄たちは『何を今さら、オマエがそんなことを掘り繰り返すのか。』と困惑気味でしたが、『オマエは、ヤギのおっぱいにしゃぶりつきよった。』と語ってくれました。
老いの繰り言は、終わります。振り返ると、自分の人生はおおごとやった、こんなに頑張った、ばかりですが、その陰には爺さんのことを「許せん」「あの野郎」と恨みいっぱいの方もいるでしょう。日本人の歴史の振り返り方、そのものですね。
では。
昨深夜、秋雨前線の南下で雷雨激しく、横で寝ているグータラ娘がパニックになって、おかげで今朝は寝不足です。能登の皆様へ、大雨お見舞い申し上げます。
平成23年(2011)3月末、爺さんは、再雇用2年を含めて38年間のサラリーマン生活から足を洗いました。『もうイヤだ。』『もうイイや。』と万感の思い積り、また、くたびれ果てたのでした。家のローンを退職金で返済して、幸い娘3人は、「失われた10年」に遭遇し回り道を余儀なくされながらも職業をみつけておりました。「老後の設計」などある訳もなく、(そもそもその頃は、こんなに長く生きながらえるとは思ってもおらず)「なるようになれ。」と(受給繰り下げもせず)年金生活に入ったのであります。満62歳でした。
それからは、言わば引きこもり。本を読みふけります。トボトボと近所の走り歩きでお日様に会うのみです。
自分の生きてきた時代は、どういうものだったのだろうか、父母、その兄弟、そして、我が家の流浪の旅は? 「日本近現代史」というジャンルのなかで探してみようとしました。
走り歩きは、しだいに距離が延び、市民マラソン大会10kmから、ハーフマラソン、フルマラソン、とうとう四万十川ウルトラマラソン(100km)を完走したのは、2014年10月、65歳でした。
平成27年(2015)は、終戦70年です。夏に終戦記念日が近づき、爺さんは、ふと短歌を詠みます。
老兵の父は帰省し帰農せり山羊を率いて草山に入る
朝日新聞「朝日歌壇」に初投稿、入選させてもらえました。選者は、馬場あき子さん。『八月帰省九月帰農』としていたのを『帰省し帰農せり』と推敲の上、わこちゃん、奈良の山添ママさん、瀧上さんと常連さんに続いて4席です。爺さんは短歌を趣味にしているわけでなく、その後はざれ歌を楽しんでいるくらいです。
これまで繰り言に書きました我が家と我が歩みを、かいつまんで添え書きしていたのを心にとどめていただいたのでしょう。引きこもりの自分なりの勉強が認められたようでたいへん嬉しゅうございました。66歳です。
身体はマラソン、精神にはこの歌壇入選で、爺さんの人生の行く先には、虹が見えたようでした。馬場あき子さんは、爺さんの恩人であります。
もっとも、兄たちは『何を今さら、オマエがそんなことを掘り繰り返すのか。』と困惑気味でしたが、『オマエは、ヤギのおっぱいにしゃぶりつきよった。』と語ってくれました。
老いの繰り言は、終わります。振り返ると、自分の人生はおおごとやった、こんなに頑張った、ばかりですが、その陰には爺さんのことを「許せん」「あの野郎」と恨みいっぱいの方もいるでしょう。日本人の歴史の振り返り方、そのものですね。
では。