幼なじみで今は関東北部にいる友人の写真。
よく一緒に撮影に行きました。
こうして出すと喜んでくれるので今回また出してみます。
屋根上写真として利用可能かな?
1989年ころの静内です。
キハ22がまだまだ主役を張っていた時代。
結局、この苫小牧区のキハ22の後半番号が中心となって、最晩年に函館に貸出、そのまま貸出地の函館で終焉したのは平成6年でありました。
日高線の景勝地の一つでのカット。
キハ22はのっぺりしており、鈍重でお世辞にも格好良いと思うことはありませんでした。
右を向いても左を向いてもキハ22とキハ40しか無いので飽き飽きしていましたが、まさかその後22全廃後に15年以上もキハ40しか無い時代になろうとは予想だにしていませんでした。
この風景も明るい塗装になったとはいえキハ40に置き換わっただけですね。
@苫小牧区
同じ番号しか映っていません。
それは今も変わらないですね。
配置数が少ない中ですから。
327と215しか無いのかwと言われそうですが個人的には324が一番目にしました。
青春18切符風
JRマークがとかく嫌われた時代。
確かにいきなり不躾に貼りつけられた様は驚きを禁じえませんでした。
一夜で国鉄車両がずいぶん惨めになった感想はありました。
新風・キハ130 JRならでは?の割りきった軽装気動車で軽快な姿は新時代を予感させました。
が、まさかあっという間に消えるなんて・・・。
赤か青か。
幌が黒い711系がありますが、
国鉄時代末期の「新型感」はこの黒い幌であるということでもありました。
なんとも変化に乏しい時代で微細な差を新型と認識せざるをえない時代。
奥のオハフ51はめでたくPDCになれたのでしょうか?
スハネフ14-500もドアが引き戸だとずいぶん鈍重に感じます。
この風景、多少の駅装備のハードさはありますが今も殆ど変わらぬというのはすごい話です。
23年も前の写真なのに!
利尻にドリームカー。
利尻なのに「MARIMO」
こういう時代もありました。
このとき、自分は動画を撮っていました。
ニコニコ動画にアップしてあります。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11728641
床下は灰色ですね?
これは急行ちとせ。
この時も隣で動画を撮っていました。
これは急行狩勝。
コレの動画もあります
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11728978
急行ちとせ・・・だと思うんだけどなぁ・・・・。
ヘッドマークないし。
これは時代的には4連の北斗81号82号だと思います。
S901ですね。
いやぁ、もっと乗りたかった。
この角度でわかるかどうかですが、実は165系と側面の窓高さがそもそも違います。
50mm程度上方にあるのです。
台枠が厚い分、窓を上げていますので相対的に天井高さが50mm低いのです。
内地の方に見慣れた165系より、ちょっと窓が上ずっているのが理解いただけると思います。
あまり好きな列車ではなかったトマサホ。
前面のスタイルが大変野暮ったいものでした。
富良野で見せたシャープさがなく、ヘッドライト周りは単純穴で黒でカムフラージュしているんですもの。
反面キシ80-501は格好良い食堂車でした。エンジン下ろして連結器強化して北斗星に使って欲しかったくらいです。
見飽きたキハ56系。
山のように居たので、カメラを向けることも少なかったどころか、全滅セレナーデのときも全く心が動かなかったくらい。
無くなるなんて考えもしていなかったです。
どこかまだ輝きが残っていた1989年の583系。
ただ、これはヒルネ運行で青森-盛岡です。
好摩などに50系が死屍累々で横たわっていた気がします。
キハ22がどうでも良い加工をされ始めた晩年。
塗装を換えただけで「お買い物列車うとう号」となった姿。
コンセプトがいまいちはっきりしません。
表記類がものすごいところに張り付いています。
↑堕落モデラー・・・はやくなんとかしたいんですが。