営団5000系は学生時代利用せざるを得ないほど乗った電車でして。
そのころ写真を撮り捲くっておれば今頃大変貴重な資料となったでしょうに。
すっかり何も撮らず卒業し、全滅直前に張ったのみというオロカしさ。
5813ですが、これも社会人として出張になってから適当に撮影したのみでして。
反対側の5013もこの通り、深夜の東陽町車庫で出張レンタカーから撮ったのみ。
私が西葛西に住んでいた平成3年から平成7年の間、05系がじゃんじゃん増備されており
最期の組み替え大作戦直後であったと思います。
5000系の非冷房車は全て5+5の編成に組まれ、
貫通編成は順次冷房改造に突っ込まれている状態でした。
7両編成は全滅直後であり、放送では「10両編成の快速電車・・・」などと言っておりましたが私のときに7連は既になかったのでした。
7連こそ無いものの、アルミサハがスキンステンレスの編成に混ざった編成、
301系と103系1200番台編成の5+5
103系1000番台地下鉄復帰
窓とりどりの5000系冷房車
徐々に非冷房車は廃車の運命に走っており、
在学中にはアルミサハがリサイクル回送のために深夜の西葛西高架線を3連の5000系に押される形の4連で東陽町から行徳車庫に推進回想されるシーンも偶然見ました。
すまいは西葛西と葛西のちょうど中間点の高架脇のマンションの一室であり、窓から顔を出すと電車が見える場所でした。
中葛西3丁目という場所に住んでおりました。
な ん で 撮 影 し な か っ た ん だ 馬 鹿 や ろ う。
悔しいですねぇ。
時既に遅しの頃に取ったもの。
ある出張に際し、葛西の宿に設定し、「ここ逃したら永遠に駄目かも」と早朝仕事に入る前から葛西駅に1時間陣取り最後の撮影をしたんですね。
5808
殆ど全てインドネシアに行ってしまう直後です。
その中野戻りの5808
アルミ車両で整った外観が素敵だった5950
5809
奥に見える「ソフトウェア情報開発」ビルの線路側手前の4階建て白いマンションの1階が私の住処でした。
正直、またあの部屋を借りて住みたいです。
金があれば借りっぱなしで東京隠れ家にしたい・・・。
当時6万円もしましたっけ。
現在は築23年くらいになっているのかなあ。
5807
学生の頃にはなかった移籍車両1041
同じく1061
なんでわざわざ戸袋まで全て埋めるまで改造したのかな。
非冷房車を徹底的に改善しており不思議な気持ちでした。
クーラーも異なりますね。
筋がついています。
西船橋方面戻りの1041
最期の数編成はこれで全部だったのかわかりませんが、形式写真も撮りたかったものの、編成写真も撮りたかったのですよ・・・。
個別の床下については友人から頂いた写真があったのでとらなかった記憶。
屋根上。(もらい物写真)
保存されるはずが結局解体となった5001(もらい物写真)
保存されたばかりのときの5833
もう荒らされてゴミ同然と聞きます。
どうもメトロマークはいまだに馴染めません。
JRマークアレルギーに近いものかもしれません。
若旦那撮影・1980年の綾瀬支線5000系
奥にも本線5000系が見えますね。
現代の綾瀬支線5000系
アルミ車がここに居ついたんですね。
5951の編成は5+5だったはずですが、中間ドアはクリーム色の「先頭には出られないドア」が東西線当時付けられていたと記憶しているのですが、どこからアルミドアを調達したのでしょう。
いまさら撮影しても遅い気がする角度など
まぁ、前もこの写真は出したのでこれくらいで。
車内は学生時代の更新室内のままが嬉しいですね。
さて、平成8年頃に友人を中心に調査した資料など。
Hゴムの色分けなどかなりのバリエーションがありました。
まぁ、ゴム劣化や割れれば交換していたのでしょうから瞬間芸のようなものです。
白ゴムは黄土色がかった劣化色でしたね。
一方戸袋窓は部分部分で違うことはなかった模様です。
それにしても統一感の無い編成ばかりでした。
共通しての間違いがこれにはあり、5252は事故廃車で代わりに5254が入っています。
なんで当時間違えたかな。
90編成・91編成はアルミ7連組み換えが良くわかる・・・
でもね?スキンステンレス編成に嫁に行って一足早く廃車となったアルミサハって黒ゴムだったっけ?
こうしてみると面白い・5000系編成。
白地は貫通ドアが山側方向の開き向きだったかな。
とにかく貫通ドアが一方に開くように統一されていました。
引き代の無いほうが2段窓となっておりました。
しかし、MC2とTCの接続点となる5100型、5900型中間車はその向き合いに簡易運転台があったので、どちらともHゴム窓が嵌っており、
5300型後期はどちらの妻板にもドアが無くどちらも2段窓が嵌っておりました。
で、ややこしいのは本来TCの場所に入るべき?ところに5200型(5300番台突入車両含む)や5600型が挿入されている編成がこの当時で5編成あります。
電装解除車両ですが、5900型に改番することなくサハ化しており、ややこしい限りです。(まぁそれのおかげで前文の謎が閃くんだけど)
7連に5300番台・5100型・5900型の5次型3連中間車をそのまま入れればよいと思う反面、単純ではなかったようで番号が乱れ捲くっております。
で、こうしてみると違う観点で判りやすいのが戸袋。
基本的に戸袋無しに注目するのが5000系の第一歩。
元から戸袋が無いものと、後で埋め立てたものの途中でやっぱり埋めるの止めたため、ややこしくなっております。
先頭車両で元から戸袋窓がなかったのは例の荒川鉄橋転覆事故で代替新製された5818・5252号車だけですね。
あとは後天的戸袋埋め先頭車というのは有名な話かと。
この表で後天的戸袋窓埋め車両は、「西船橋側で5818と5252以外の1両目~3両目、中野側の1両目~2号車がまず当確で、中野側3両目~4両目が元から埋まっているものと後埋めの2種があったように思います。
組み合わせを変えれば、全戸袋ありが更に1本と全戸袋無し編成2本に最低限組み替えられるようになっていると見えますが、実際は全戸袋無し編成はついぞ10連では現れず、
ぐちゃぐちゃの窓有り無しが楽しい系列でした。
結局全部戸袋窓あり編成はごらんの3本+アルミ車で、5000系ラスト編成はほぼ戸袋ありの初期車両編成だったのです。
これは、何故だったんでしょうね?
ちなみに内装色は確認できなかったのですが、新製当時の濃いベージュ色と後期更新室内のホワイト系に2種類でした。
初期更新まではベージュを使っており、やや暗い色合いでした。
初期更新で積極的に戸袋窓埋めをしておったのですが、後期更新になると戸袋埋めをやめてしまい、その代わり粗いメッシュの扇風機も細かいメッシュのものに取替え、内装もホワイト系に、ゴムは積極的に黒ゴム化となっていったはずです。
記憶によると、この内装色の違い、戸袋Hゴム色とリンク度が高く、戸袋窓があって黒ゴムの車両はホワイト系内装だったはずですが
「記憶に間違いがなければ」少数戸袋窓無しの車両にもホワイト系内装車両が居たはずです。
ただ、本当に少なかったと思うんですけれども。
なんせ今のように簡単に画像交換も出来ない時代、デジカメって無い時代ですから目視と記録、その文字起こしが全てですので微妙に間違いがあるかと思います。
しかし調査に協力してくれた友人TTには感謝です。
あれ?
「じゃ、GMのキットは5807~5809には出来るの?」
と言うところですが、実は正解は×
側窓に2種類があり、角Rがきついものと大きなRの二種類がありどの戸袋窓編成も混在しております。
そこを気にしなければ、5807~5809のどれかに付けると自然かと思います。
言わなきゃ気がつく人は少ないですけどね。
つまりGMキットも過去の真鍮キットもそのままリアルリアルに組めるのは・・・
イエロートレインキットだけのはずです。
ちなみに非冷房と冷房の車両では帯の色と屋根の色が異なっておりました。
非冷房は帯色が薄く、屋根色は大変明るい灰色、廃車間際はさび色を軽く吹いた感じ。
冷房車は帯色は鮮やかな青で、屋根もウレタン系塗料を塗り上げたようで、青味の掛かった濃いグレーでした。
同じ色ではちょっとイメージが異なります。
限りある中で平成8年のベスト統一感編成は5807の編成ですね!
しかしこの編成も詳しい調査無しですが、廃車直前は5213のところに戸袋無し車両が入っております。
これが証拠。
全体写真は上にあります。
そんな時期に埋めるはずは無いので、廃車編成から差し替えたのではないでしょうか?
↑部分的に間違いがあると思いますが、概論として捕らえてください。
最新の画像[もっと見る]
Sebagai seorang tetsudoufan, terima kasih banyak.
こんばんは、私はインドネシアの鉄道ファン。私は日本の電車は大好きです!
本当にありがとうございます!私は東京メトロ5000系と問うよう校則1000系がとても大好き!
このペエジはむずかしいでしょう。
だから、ありがとうございます!
あなたは与えることが東京メトロ5000系の編成:52F、53F、54F、55F、56F、60F、69F、71F、73F、74F、75F、76F、82F、および88Fですか (千代田線の編成は含むです)?