郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

泣いた分だけ

2019年11月02日 | 日記

 どうしたら笑うことが出来るのだろう。小さなときはすべての事柄がいつも新しい経験でよく泣いたり、笑ったりしたような気がしたけれど、大きくなると笑うことも泣くこともなくなった。それだけ日常での事柄にデジャヴ(déjà v~既視感:実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じる現象である)感覚を持つから感情起伏が無くなるからであろうか。それをも越える大きな辛いことがあって泣いたからその分心が強くなり笑い飛ばし笑えるようになれるのではないだろうか。逆にある意味、今日笑えなかったけれど、それだけ今まで泣かなかった日々を続けられたのだからそれはそれでよかったのではないのかと思う。それは今日も笑えなかった言い訳でしかない。また最初の疑問に戻ってしまった。

 今日の夕食は、



 ◆焼き干し鰈 ◆鶏肉と蓮根の治部煮 ◆ほうれん草の菊花和え ◆長芋のもずく酢 ◆茶碗蒸し ◆生麩田楽 ◆赤飯
   ~ 嬉しいことがあったわけではないが久しぶりに赤飯を ~


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